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2020年5月24日 (日)

神経質礼賛 1748.紺碧の空

 前話の続き。早稲田大学応援部から応援歌「紺碧の空」の作曲依頼を受けた古関裕而は気乗りしなかったが、応援団長の熱意に触発されて一気に曲を書き上げ、それが早慶戦で歌われることになる。そして慶應に連戦連敗していた早稲田は勝利をつかむ。古関にとって、この曲は人々に歌われる事実上最初の曲となり、売れずにクビ寸前の状態から飛躍していく起爆剤になった。

 「紺碧の空」は、野球の試合でチャンスが回ってきた時に歌われることが多く、盛り上がる曲で、卒業してからも集まりがあると、校歌とともに必ず歌う曲である。早稲田に入学する学生の過半数は東大や京大を落ちてきた敗残者である。私もその一人だった。もちろん、高校時代をのびのびと過ごして附属の高校からエスカレーター式に進学してくる人や私大一本に絞り早稲田を第一志望にして入って来る人もいるけれども、多くは入学した時には強い挫折感・落伍者意識を引きずっている。しかし、野球の応援に行って、この「紺碧の空」を歌っているうちに1年もすれば熱烈な早稲田人に変貌している。まさに起死回生の応援歌である。

 学生の時に買った校歌や応援歌が入ったLPレコードはまだ持っている。レコードプレーヤーを処分する前にパソコンに取り込んでおいたので、いつでも曲を聴くことは可能である。古関裕而作曲の応援歌は昭和6年作の「紺碧の空」の他にも昭和24年作の「ひかる青雲」が収録されている。「ひかる青雲」も大変よくできているけれども、やはり「紺碧の空」は若さと勢いに溢れていて、それ以上に元気が出る曲である。曲の終わりで校名を連呼する部分は3か所とも上昇音型で作られていることもあるのだろうか。レコードのジャケット内側は見開きで昔の大隈講堂付近のセピア色の写真になっていて、歌詞の紙も入っているから、何となく捨てられないでいる。

 応援歌は私たちを力づけてくれるものであるが、神経質にとって最強の応援歌は森田先生の言葉である。神経質人間は些細なことで凹みやすく自分はダメだと思いがちである。そして頭の中で屁理屈を空転させ、行動を止めてしまうと自縄自縛の神経症に陥ることになる。それが森田先生の言われるように、神経質が本来持っている「よりよく生きたい」という生の欲望に目を向けてできる行動を積み重ねていくと心機一転となるのだ。ピンチをしのいで逆転ホームランが飛び出す。

 「自分は駄目だ」と思ふ絶望は、只恐怖に対して見つめる時にのみ、起る事であり、あゝなりたい・あれが欲しい・と欲望に心を集中する時、初めて勇氣が出るのでありまして、其見つめる方向によつて、自由自在になるものであります。家の内に向へば暗く、戸外に向へば明るい事は、自由に自分の好きな通りになる事であります。
(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.510)

 神経質は、机上論の屁理屈を押し進めているうちに、病の悩み死の恐怖という一面のみにとらわれ、動きもとれなくなったものが、一度覚醒して、生の欲望・自力の発揮という事に気がついたのを心機一転といい、今度は生きるために、火花を散らして働くようになったのを「悟り」というのである。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.705)

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