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2020年5月10日 (日)

神経質礼賛 1744.塵土不驚幽夢

 テレビ東京の「開運!なんでも鑑定団」という番組は私の地方では1-2カ月遅れてローカル局から日曜の正午から放送されている。昼食までの間、何となく見ている。今日は東京で3月17日に放送されたものだった。福島県会津美里町の出張鑑定で勝海舟の書が出てきた。かなり茶色く変色していて、勝海舟が不眠に悩む人に書いたという話を聞いて私は耳ダンボになった。鑑定士の増田孝さんは「塵土不驚出夢」(実物は右から左に書いてある)と読み、真筆として50万円の鑑定を出した。意味はよくわからない、勝海舟は思いつきでいろいろ書くことがあった、と解説されていた。調べてみると中国明代の詩の中に「塵土不驚幽夢」という一節があるようだ。崩し字なので、「出」にも「幽」にも見える。塵土(俗世間)は幽夢を驚かず。ということは不眠に悩む人よりも夢に悩む人向けの言葉なのではないかと思ってしまう。

 神経質人間はよく不眠に悩まされる。正確に言うと、不眠のために体に支障をきたすのではないか、仕事や勉強に支障をきたすのではないか、早死にするのではないか、などと取越苦労する、いわば不眠恐怖なのである。森田療法では「眠りは与えられただけとる」という指導をする。神経症性不眠の人は実はどこかで眠っている。だから眠れようが眠れまいがそれは問題にしない、という態度で臨めば不眠は解決するのである。そして、悪夢や変わった夢へのこだわりも強い。260話に書いたように、森田正馬先生は「夢ノ本態」の中で大久保彦左衛門の言として「迷いの中の是非は是非とも非なり 夢の中の有無は有無とも無なり」という言葉を紹介しておられる(白揚社 森田正馬全集第6巻p.48)。良い夢を見ようが悪い夢を見ようが関係ないということなのである(1306話)。不眠も悪夢もともに不問とするのが良い。

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コメント

四分休符先生

 最近、私のコメントばかりで気が引けるのですが...
 いつの日か、四分休符先生の「神経質礼賛」にも私自身飽きてくれるといいなぁ、と、ごめんなさい、冗談です、そうなるとこうコメントしなくて済むかも知れませんね...

 以前、コメントした記憶があるように思うのですが、不眠に対する恐怖について。
思えば、私は小児神経症のきらいがあったように思います。9歳もしくは10歳の時に眠れぬ夜を過ごしました。親に訴えるでもなく、一人で眠れぬ焦りと戦っていました。どうしよう、どうしよう、と。気付けば、障子から空が白んでくる感じが受け取れる。とうとう私は眠れなかったのだ。学校どうしよう。一睡も出来ずに学校へ行けるのだろうか。

 記憶はそこで終わっています。結局、学校生活に支障が無かったのでしょう。以降、私は不眠で悩んだ事がありません。いつでもどこでも眠ろうと思えば眠れる。眠れなければそれはそれでいい、放っておけばいい。子供心に身についた精神です。死にゃしない。いつか、どこかで寝ている。

 子供心に追い詰められて初めて気付いた心境だったように思います。その後のパニック障害についてはおそらく追い詰められていないから、「超す」事が出来ないのではないか、と思っています。慢性化してしまったパニック障害ですから、どうなるかわかりませんが、おそらく、子供の時の体験からすると、どうにもこうにも選択肢が無く、追い詰められれば、悩むことなくヒョイと森田と鈴木知準先生から教わった道元禅の精神をつかめるのではないか、とちょっと楽観している64歳です。あぁ、今年冬になれば、65歳になります。神経症歴ほぼ同年。

yukimiya 様

 コメントいただきありがとうございます。

 私も子供の頃、家人が寝静まってから全く眠れず、電球の横に付いている小さなナツメ球(常夜灯)をずっと見ていた記憶があります。それでも、何とか育った(?)ようですので、どこかで眠っていたはずです。
 「眠れなければ眠れないで放っておけばいい」その通りです! 神経症の他の症状も同じことで「放っておけばいい」のであります。

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