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2020年7月30日 (木)

神経質礼賛 1770.不安心は用心の安心にして失敗は改良の喜びなり

 表題の言葉は562話「失敗は成功のもと」でも紹介したが、森田正馬先生が色紙に書かれたものである。前半も後半も神経質礼賛につながるありがたい言葉だと思う。

  神経質人間は不安に対する感度が高いので、ちょっとしたことでも不安になりやすい。不安は嫌だ、何とか不安をなくしたい、と思うのは人情である。しかし、不安になることで悪い事態に陥ることを用心して避けることができるのである。不安はよりよく生きていく上で必要不可欠なものだ。逆に不安に対して鈍感であるがために危険な行動を取ってしまう人達がいる。昨今の新型コロナ感染症ではクラスターの発生が問題となっている。「自分は大丈夫だろう」と油断して夜の街を遊び回り、飲み歩いて感染し、家族や同僚を感染させてしまうという事例が後を絶たない。その点、心配性の神経質人間は危険な場所へ立ち入ることは避けるので、そのリスクは低い。

  さらに、神経質人間は失敗することを極度に恐れる。だが、失敗しない人はいないし、過度に失敗を恐れていては前に進めない。ビクビクハラハラのまま前進していく必要がある。失敗を反省するのは神経質の得意とするところであり、さらにそれを防ぐための改良を考え出すのも神経質の優れたところである。惨めな敗戦時の自画像「しかみ像」を座右に置いて慢心を戒め、長期計画で着々とポイントを稼いでついには天下を取った徳川家康(209話)、就寝前の1時間をその日の反省にあてて、新たな創意工夫をこらしていった「経営の神様」の松下幸之助(211話)。優れた神経質の先人たちにあやかって神経質を生かして行こう。

2020年7月26日 (日)

神経質礼賛 1769.食品ロス

 母が入院してしまったので買い置きの食品の処分をしなくてはならない。妻は「全部捨てちゃってよ」と簡単に言うが、私は食べられる物を捨てることには強い抵抗感がある。使いかけの野菜などは捨てなくてはならないが、冷凍保存ができそうな物は冷凍庫に移し、生卵はゆで卵にして休日に少しずつ私が食べている。ゆで卵好きの森田正馬先生だったら一気に片付くところだが、私だと1日2個が限度である。ついでに冷蔵庫の中の掃除もした。使いかけのコメや調味料類は、あと3か月位様子をみて、リハビリ病院から家に退院できそうもなければ処分することにした。乾物で賞味期限がまだ先のものは少しずつ私が消費していく予定だ。

 食品ロスがよく話題になる。コンビニやスーパーで期限が近づいた食品が廃棄されているが、まだ十分に食べられるものも少なくない。世界的に見れば食糧不足のため飢えに苦しんでいる人々がいる。それに廃棄にはコストもかかるしCO2排出を増やすことにもなる。なるべく食品ロスは少なくしたいものである。森田療法では物を大切に使い、その価値を最大限に生かしていく「物の性(しょう)を尽くす」(350話)ということを日常生活の中で実践していく。それは「己の性を尽くす」にもなり、最後には「人の(性)を尽くす」にまで発展していくのである。

 ところで、賞味期限と消費期限とどう違うのか疑問に思われる方もおられるだろう。賞味期限はおいしく食べられる期限、消費期限はそれを過ぎたら食べない方がよい期限、という違いがある。概して商品の期限はゆとりを持たせて本来よりも早めに設定している場合も多い。だから、賞味期限の場合は少々過ぎていても実物をチェックして問題なさそうならば(自己責任で)食べるという選択肢もありうるのだ。まずは必要以上に買い過ぎないこと、時々在庫品の期限をチェックして順次無駄なく食べていくところに神経質を活用したい。

2020年7月24日 (金)

神経質礼賛 1768.GoToトラブルの愚

 東京オリンピックが始まるはずだったこの4連休。東京都内の新型コロナ新規感染者数は連日200人を超え、昨日はついに366人の新記録となっている。感染者を収容する病院や軽症者用の宿泊施設は逼迫し、危険な状態となってきている。日本医師会はこの4連休は不要不急の外出を控えるよう声明を発表し、東京都知事・大阪府知事も同様のコメントを出している。にもかかわらず、国は旅行に補助金を出すGoToトラベルキャンペーンを強行してしまった。国が誤ったメッセージを国民に送っているのだ。医療は逼迫していないし感染対策をしていれば問題ないと総理大臣は現実を否認する発言を平気でしている。この男は今までも繰り返し不祥事や大問題が起きるたびに「すべて私の責任」と言い続けて、一度も責任を取ったことはない。運輸・旅行業者から政治献金をもらっている以上、早くやらなければ、ということなのだろうけれども、あまりにもタイミングが悪過ぎる。感染の輪を広げ、国民を長く苦しめるGoToトラブルキャンペーンとなるだけだ。どうしてもやるというのならば、今は取り急ぎ運転資金難の旅館・ホテル業者や運輸関連業者に資金援助して、キャンペーンは感染が収まってからにするべきではないか。多くの人々の生命、そしてこの国の命運がかかっているのである。神経質が足りなかった、では済まされない。

2020年7月23日 (木)

神経質礼賛 1767.花の効用

 今年は梅雨が長くてまだ明けそうにない。ただでさえ顔からはじわじわ汗がにじみ出てくるのに加えて、マスクをして歩いていると息が苦しくなる。駿府城内堀を背にする弥次さん喜多さん像もなぜかマスクをしている。誰かが付けて管理者が外すのだろうけれども、いつの間にかまた付けられている。雨間に蝉が鳴いている中、二人とも暑苦しそうだ。

 閉塞状況が続く中で何かよいストレス解消法はないものだろうか。医療サイトのニュースを読んでいたら「花の画像を数秒見るだけでストレスは軽減される 血圧が低下し、扁桃体や海馬の活動を抑制」と題する記事に目が留まった。農研機構の望月寛子氏らの研究成果で、本物の生花は画像の花よりもストレス低減に効果があると推察されるとのことだ。花を見ると気分が和らぐという実感を科学的に証明した画期的な研究だと思う。

 自宅の庭の花を愉しめる人は幸せだ。家庭菜園をやっている人は、野菜の花を愉しんでさらに新鮮な野菜を食べられるのだからすばらしい。オクラの花は特に美しいけれども、ジャガイモ、ニラなども美しい花を咲かせる。森田菜園の花々を見ることができなくなったのは残念だ。街中の狭小住宅やアパートやマンションに住んでいるとなかなかそうはいかない。鉢植えの花を育てるのもよし、それが難しければたまには花を買ってくるのもよし、花の絵を飾るのもよいだろう。私は公園の横を歩いていて季節の花が咲いているのを見ると何気なくスマホのカメラで撮るけれども、自然にストレスを低減させようとしているのかもしれない。神経質もちょっと一休み、一休み。

2020年7月19日 (日)

神経質礼賛 1766.転倒事故

 先週、いつものように母の入浴日に午後1時に行って玄関の戸を開けてびっくりした。母が廊下に仰向けに倒れているではないか。どうしたのかと聞くと、「痛くて全然動けない」と言う。お盆になるので、朝6時前に仏壇の手入れをしていて、バランスを崩して左に倒れ、尻もちをついたのだそうだ。電話をしようにも全く動けないし、大声で助けを求めたが誰も来てくれなかった、と言うのだ。7時間も倒れたままなので、とにかく水を飲ませる。昨年12月に椅子に座ろうとして尻もちをついた際には這って動いて電話で助けを求め、救急車で病院に行き、入院となったのだが、今回はもっと重傷で骨折の可能性が高い。よくある大腿骨頸部骨折だろうか。そのうち入浴サービスの介護士さんも来たのでケアマネージャーさんに連絡をお願いする。救急車が来て、7年前に右変形性股関節症で人工関節を入れる手術をしている市立病院に搬送してもらうことになった。これがもし、次の日に起きていたら発見まで2日経ってしまい、脱水などで生命に危険が及んだかもしれない。
 CTを撮って診察まで2時間ほど待った。診断は左大腿骨転子部骨折。CTでは大腿骨が縦に割れて大きく開大していた。若い整形外科の先生が「こういう折れ方は初めて見ました」と言う。3日後にチタンの金属棒を2本入れて固定し骨の周りをワイヤで巻く手術をしてもらうこととなった。様々な説明書と同意の文書を大量に渡され、次々とサインする。その中には身体拘束の同意書もあった。高齢だからやむを得ない。病室に入り、足には牽引装置が付けられた。まるで交通事故に遭った患者のようである。ちょっと転んだだけで、こんなことになってしまうのだから、高齢者の転倒事故は本当に恐ろしい。特に一人暮らしの老親がいらっしゃる方は少しでも転倒リスクを減らす工夫をされるとともに、安否確認をこまめにしていただければと思う。
 手術は無事終わり、その日のうちに、ケースワーカーさんから転院先のリハビリ病院の話があって、行き先を決めてきた。市役所にも行って、高額療養費の限度額適用認定証を再発行してもらい、病院に提出する。できることはどんどんやっていかないと。

2020年7月16日 (木)

神経質礼賛 1765.電話魔

 外来患者さんで頻繁に電話をかけてくる電話魔のような人がいる。薬の副作用が出たとか、症状が急激に悪くなったとかで相談したくてかけてくるのは仕方がないが、不安耐性が低く依存的な人が「眠れない」「不安だ」といってかけてくる場合が多い。忙しい時にかかってきて時間をとられる。以前勤務していた病院でもそういう「常連さん」は何人かいたが、病院を替わってもやはりそういう人はいるもので、前任の先生から引き継いでいる。不安抑うつ状態ということで長年通院している方で、抗うつ薬、抗不安薬、睡眠薬、鎮静目的の抗精神病薬が多量に処方されていて、2週間に1回通院してくる人なのだが、週に2、3回は必ず電話がかかってくる。一人暮らしは何とかできていて軽作業にも行けている人だ。回答は自然と森田療法的対応になる。

「頓服を飲んでも不安がなくならない」→時間が経てば自然に収まって来るので待つこと。薬は決められた量を服用し、頓服も飲み過ぎないように。不安を完全にゼロにすることはできないので、多少の不安はあっても行動すること。「不安で外へ出れない」→不安から逃げようとすればますます不安は強くなる。不安であっても買物など必要な外出はするように。「睡眠薬を飲んでいても5,6時間しか眠れない」→それだけ眠れれば十分。家のことも仕事もできているのだからそれでよい。「初盆で人が来るから心配。点滴をやってほしい」・・・よく聞けば7月のお盆ではなく8月の旧盆の心配とのこと→先の心配をしてもキリがない。今できることをやっていくこと。今日点滴をしても役に立たない。といった具合である。

 医師だけでなく、訪問看護師さんやケースワーカーさんもこの種の電話に困っている場合がある。本人の訴えを傾聴することは大切だけれども、神経症的な訴えに対しては森田療法的アプローチも有効な場合が少なくないように思う。

2020年7月12日 (日)

神経質礼賛 1764.汎用エアコンリモコン

 蒸し暑さがきびしくなり、エアコンの出番である。ところが、我が家の2階ダイニングで使っていたリモコンがなくなってしまった。私はリモコン類を目に付く場所にまとめて置くのを好むが、妻はそうした「電気物」を極度に嫌っていて見えないところにしまい込むのを常としている。ずいぶん探したが出てこない。妻も困ってあちこち探したが見当たらない。仕方がないので1階の音楽練習室のリモコンを2階に持ってきて使い始めた。そうなると、1階で使いたいときに不便である。

 今日、ホームセンターに買い出しに行った際、小物家電コーナーに汎用リモコンがあったので手に取って見た。ELPA(朝日電器)のRC-22ACという商品で価格は1,970円。国内主要メーカー13社のエアコンに対応とのことだ。バックライト機能付きだから、夜間寝ていて使う時に便利そうだ。心配なのは「対応メーカーの機種でも操作できない場合や一部機能が操作できない場合があります」「本機は2007年3月までに発売された機器をもとに開発を行っております。それ以降に発売された機器については操作できない場合があります」という記載があることだ。我が家のエアコンは家の外壁塗装の際に全部まとめて買い替えていてまだ5年ほどの機種だから、使えない可能性がある。そうなると全く無駄になってしまうが、買ってみることにした。

 家に帰って中の説明書をよく読んでみる。まずはメーカーコードの設定。日立だと設定番号が8種類あって、どれが「当たり」かわからないので、順次試していく。これがもしシャープ製エアコンだと、設定番号が40種類近くあって大変だ。どの設定にしてもエアコン本体は全く反応しない。困った。これはダメかなあ。もしかするとエアコンが他社のOEMかもしれない、と思って、他社の設定番号もいくつか試したがやはり全く反応なし。念のため、もう一度日立の設定番号を入れ直して試していったらエアコンが作動するものが見つかった。やれやれ、一安心だ。このような各社対応をうたった商品を開発する担当者の苦労がしのばれる。きっと神経質な技術者さんが頑張っているのだろうと思う。

2020年7月 9日 (木)

神経質礼賛 1763.見るよろこび

 閉鎖されていた全国各地の美術館が少しずつ再開しつつある。いわゆる三密を回避し、マスク着用、会話禁止、入場者数の制限などの感染症対策を行いながら手探りでの展示といった感じである。地元の静岡市美術館も6月17日から「見るよろこび:東海道図屏風・竹久夢二を中心に」と題して無料の展示会を行っている。試験再開といったところだ。収蔵品のみの展示であり、展示品の数は通常の半分にも満たないから、ちょっぴり寂しいけれども、展示を見られるだけでとてもありがたい。竹久夢二の絵とデザインは40点近くあった。そのうちの20点がセノオ楽譜の表紙だった。

 セノオ楽譜はラジオやレコードがまだ普及していなかった大正時代に爆発的に売れたそうである。歌曲、オペラの抜粋などの小品が1-2曲入った楽譜で、竹久夢二が表紙を描いていた。楽器屋だけでなく呉服屋の店頭にも並べられ、通信販売でも購入することができた。作曲家の古関裕而は少年時代にセノオ楽譜を買い集めていたという話がある。私がもしその時代に生きていたら、夢二の表紙絵につられて片っ端から買い揃えていたに違いない。

 東海道の屏風絵、地元画家による子供の頃に見た懐かしい静岡の情景の絵画、そして夢二美人たちを眺めて、しばし現実から離れる。展示室内にいた時間は15分ほどだったが、リフレッシュできた。神経質は行動本位に仕事をしていくものではあるけれども、森田先生の形外会でもレクリエーションがあったように、こういうちょっとした休符も潤滑油として必要である。もう長いこと県外に出ていない。また東京の美術館や博物館へ行ける日が来てほしいものである。

2020年7月 5日 (日)

神経質礼賛 1762.電気設備の定期調査

 買物に家を出ると、近所を中部電気保安協会の人が点検器具を持って歩いていた。そういえば、先日、点検予定の連絡がポストに入っていたから、今日がそうなんだろうなと思った。4年に1回の定期調査で、屋外の電力メーターの所と屋内の配電盤の所で漏電がないかどうか調べていく。帰宅してから妻に聞いてみると、調査には来たけれど、「こういう(新型コロナの)時期ですから、中はやめておきますか」と聞かれて、そうしてもらった、中に入って来られなかったからよかったわ、とのことだった。妻にとってはそうなのだろうけれども、それでいいのだろうか。

 家の中に入って点検するのは係員にとっても面倒だし、家人にとってもうっとうしいことではある。しかし、これは法律に基づいた大切な点検である。電気設備が古くなってくると漏電の危険性が高まり、漏電火災や感電事故を招くこともある。時に無人の倉庫などから出火して、漏電が原因だった、ということもある。点検に要する時間はせいぜい1-2分である。新型コロナを理由に屋内の点検を回避するのはどうかと思うし、係員の方からそれを誘導するのはまずいのではないかとも思う。頻度は低いとはいえ、漏電を見落として火災や事故が起きたら取返しがつかない。ウチは新しいから大丈夫、と思っていても、近隣の古屋から漏電出火して延焼することだってありうる。神経質人間からすると、きちんと点検してほしいし、住人もなるべく屋内点検には応じてほしいと思う。

2020年7月 2日 (木)

神経質礼賛 1761.3か月経過

 今の病院に移ってちょうど3か月が経過した。当初は電子カルテが変わり、仕事のやり方もいろいろと異なるので、どうなることかとハラハラしたが、やっと慣れてきた。担当する入院患者さんの数は前よりも少なくなった代わりに急性期の患者さんの入院をどんどん受けるため、入退院が多くて、その分仕事量は多い。外来患者さんの数は前の倍近いという印象がある。午前の外来が午後2時近くまでかかる日もある。患者さんが多い分、自立支援医療や障害手帳の診断書、傷病手当金の意見書、訪問看護の指示書、年金診断書、介護認定の際の医師意見書などの書類書きの仕事も大量に発生する。電子カルテになる前の紙カルテを取り寄せて読まなくてはならない場合もあって、意外と手間取る。その間にも病棟から入院患者さんに関しての報告や診察依頼の電話が次々と入って来る。統合失調症の患者さんの持続性注射剤(LAI・いわゆるデポ剤)の注射は以前の病院では病棟看護師さんがすべてやってくれていたけれども、今の病院では医師が行うことが多い。肺炎球菌ワクチン、破傷風トキソイドなどの予防注射も病棟では医師の仕事になっている。今までこれほど多くの患者さんに注射をしたことがなかった。院内での歩数は1日6000歩前後。デスクワークが多い割には意外と歩いている。何とかその日の仕事を終わらせる時には電池切れ近くなっている感じである。県や市からの委託業務も以前よりも増えたから、予定がいろいろと入って、先のことを考えるとあれこれ心配になる。

  そんな具合だから、特に、体調がよくない日や、朝から大雨が降っているような日には、気分も重くなりやすい。山頭火(887話)の句を思い浮かべる。「だまって今日の草鞋(わらじ)穿く」、先の心配をしたところでどうにもならない。今日一日を過ごせばいい。とにかく靴を履いて一歩一歩前に進んでいく。「どうしようもないわたしが歩いてゐる」という気持ちをぶら下げながら。「捨てきれない 荷物のおもさ まへうしろ」、重荷を背負いながらも、その場その場でできることをやっていくしかないのだ、と自分に言い聞かせる。気分はともかく、何とかなっているのである。これでいいのだ。

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