神経質礼賛 1780.それでも神経質礼賛
森田正馬先生は、神経質が優れた性格であることを繰り返し説いておられ、月1回の集まりである形外会も「神経質礼賛会」と名付けたかったという話が記録に残っている。ところが、「やはり神経質は劣等である」と論文で反論した人物がいる。昭和5年に九州帝国大学医学部を卒業し、翌6年の夏に1か月ほど森田先生のところに入院した入江英雄(いりえ ひでお)である。森田先生は形外会の場で、その説を批判されている。とは言っても、入江は森田先生を尊敬していたし、森田先生も入江のことを気にかけていた。昭和10年春、入江は博士号を取得し、学会の折に熱海で森田夫人の久亥さんと会い、博士になったことを夫人から褒められたという。入江は九大助教授となる。同じ年の年の10月に久亥さんは脳出血のため急逝する。森田先生は『久亥の思ひ出』を書かれているが、その中の追悼辞には入江の「想出」という文が載せられ、次に鈴木知準先生の「森田夫人を偲ぶ」という文が続いている。
さて、入江は戦後、九大医学部放射線科教授となり、長崎の原爆症の研究で大きな業績を上げる。附属病院院長、医学部長を経て、昭和44年には第十三代・九大総長にまで昇りつめた。結局、入江は神経質が優れているということを身をもって証明してしまったわけである。なお、その次の第十四代総長となったのが森田療法と縁の深い池田数好であるのも面白い。
昭和8年4月の形外会での森田先生の話を紹介しておこう。
僕が神経質を礼賛するのは、真珠が好きだというくらいの事です。いやルビーだオパールだと争うのではない。我々が自分自身の本性を認めて、これを礼賛し、ますますこれを発揮し、どこまでも、これを向上させて行こうという心境を、唯我独尊といいます。これは絶対的の主観的心境でありまして、他と比較しての事ではない。「唯我独尊」とかこんな言葉は、どのようにでも、勝手に説明のできるものであるけれども、ちょっと面白い心境であろうかと思います。
強迫観念の治った人は、強迫観念にかかった事を喜び、神経質という素質は優秀であり、有難い事であると礼賛するようになる。この話は、先月の形外会記事に出ている事ですが、この強迫観念の全治という事は、「悟り」の模型標本であろうかと思います。(白揚社:森田正馬全集 第5巻p.340)
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