神経質礼賛 1790.裸にて生まれて来たに何不足(2)
前話には続きがある。さらに1年以上経った形外会の場で表題の句が再び話題に上がった。香川会長は事業が順調であったが、仕事がいつだめになるかという心配や不安を抱いていて、どうすればそれを取ることができるかと、有名なキリスト教社会運動家の賀川豊彦に問うたところ、「何不足、人は裸で生まれたに」と言われたのだった。また禅の坊さんたちに同じ質問をぶつけてみたが同様のことを言われた。しかし香川さんとしては、そうは思えないということに悩んでいた。それについて、森田先生は「それは結果からいった事で、現在ではないからこれをそのまま実行にあてはめる事は難しい」とコメントしている。さらに次のように述べておられる。
私のところでは、「裸になった、貧乏になったと思え」とかいう事は、決して教えない。これを聞いて、普通の人ならば、なるほどそうかと、感心して聞き流しておくが、神経質の人は、正直にこれを真に受けて、その通りに感じ、思ってみようとする。衣を着ていて、しかも裸になったと思う事のできるはずがない。神経質はこの不可能事を、無理にその通りに思うとするから、初めて強迫観念に悩まされるようになるのである。賀川さんは、神経質でない人に、そういえば、多くの人は、それに励まされて、修養を積むであろうが、私のところでは、神経質ばかりの人だから、その通りにはいかないのである。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.324)
神経質は言葉にとらわれやすい。無理に裸になったと思う必要はないのだ。不安を抱えながら一歩一歩前に進んで行けばよい。順調な時でも先の心配をして用心するのが神経質の美点であり、それを生かせばよいだけのことである。
最近のコメント