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2020年10月29日 (木)

神経質礼賛 1800.一つ一つ文句にとらわれる

 頭でっかちの神経質、特に強迫の人は言葉にとらわれやすい。下手に森田理論を聞きかじるとますますまずい場合がある。よく言われる「あるがまま」も、気分が乗らないからあるがままに休む、という誤用は論外であるが、「あるがまま」をただ唱えているだけでは何の効果もなく、気分はさておき必要な行動をしていく、というところまで行って初めて「あるがまま」になっているのである。
  森田正馬先生の患者さんにも言葉にとらわれる人がよくいたようで、森田先生は次のように言っておられる。

 神経質に一番困る事は、一つ一つ、その文句にとらわれる事です。「見つめよ」という教え方は、人が「何か仕事をしなければならぬ」と思って、当てどなく、仕事を探し回るとか、あるいは気を紛らわせよう注意を配ろうと工夫して、ウロウロするような時に、そんな自分の心の「はからい」をせずに、現在の境遇に柔順にして、仕事がなければないままに、あるいは退屈のままに、なんでもその目前の物に、目をとめているという意味です。ことさらに、わざと努力して、見つめる稽古をするのではない。すなわち「見つめていればよいか」という問い方は、間違いの元になる。これと同じ意味で、仕事が忙しくて、疲労している時などでも、その仕事に関係したことに、自然にかじりついていればよいという事にもなります。そうすると自然に、何かと感じが起こって、「はからう心」を忘れて、精神の発動を起こしてくるのであります。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.582)

 理屈はいらない。理屈は役に立たない。理屈抜きで目の前の仕事にさっと手を出す。それが身について自然に行動の連鎖が起きるようになれば、ギアをニュートラルに入れたままでエンジンの空ぶかしをするような頭の空転はなくなっているのである。

2020年10月25日 (日)

神経質礼賛 1799.栗蒸羊羹

 つい先日までは暑い暑いと言っていたのが嘘のように朝晩は冷えるようになってきた。いきなり晩秋らしい感じになっている。あわてて扇風機の羽を拭いてしまっておく。そろそろ冬物の衣類を出さなくてはならない。近年は1年の半分近く夏が続き、春と秋は1カ月少々、というのが実感である。春秋用の衣類の出番がなくて困る。スーパーの店頭に栗おこわを見かける。秋の楽しみ、栗の時期である。

 洋菓子のモンブラン、和菓子の栗蒸羊羹、どちらも好きだけれど、より季節を感じさせる点では栗蒸羊羹に軍配が上がる。そうだ、栗蒸羊羹を買いに行こう! 街の小さな和菓子屋さんがその店で作っている素朴な栗蒸羊羹が好きなのだが、そうした店は少なくなってしまった。仕事帰りにデパ地下で栗蒸羊羹を探す。叶匠寿庵のショーケースの上に栗山家(くりさんが)という季節限定の栗蒸羊羹を見つけて買い求める。栗が一個丸々入って税込270円は手頃である。同じ価格で年中出ている一壺天(いっこてん)という栗を粒あんで包んだお菓子もあってこれは美味しいので期待が膨らむ。帰宅すると夕食前だというのに、早速妻が皿の上に出して食べることになる。予想していた蒸羊羹ではなく、ぷるるんとした感じで柔らかめの外郎(ういろう)といったところである。甘さは控えめで上品な味わいだ。おいしい緑茶が欲しくなる。私はこれも美味しいと思ったが、妻からは「一壺天の方がよかったのに」と言われる。また普通の栗蒸羊羹を探してみよう。

 栗の話題は971話に書いた。心配性で用心深い神経質はイガイガをまとった栗の実のような存在である。人からは一見付き合いにくい人間と思われやすい。しかし、本当は人から好かれたい・人に認められたいという気持ちが非常に強いのである。人がどう思うだろうかと考えるのはさておき、人の役に立つように尻軽く行動していくと、いつしかイガイガが抜け落ちて、真の神経質の魅力が発揮されるのである。

2020年10月22日 (木)

神経質礼賛 1798.ベートーヴェン生誕250周年

 今年は楽聖・ベートーヴェン(1770-1827)の生誕250年の記念年にあたる。本来ならばそれにちなんだ演奏会が数多く行われるはずだったのが新型コロナのため演奏できない状態が続いていた。特に声楽系は感染リスクが高いため、交響曲第9番合唱付は最もハードルが高い。それでも、年末までには何とか開催できそうな状況になってきている。

  今はどうかわからないが、私が子供の頃の小学校や中学校の音楽室の壁には作曲家たちの肖像画が貼られていた。その中でひと際目立つのがベートーヴェンで、強い印象を受けた方も多いだろう。圧倒的な目力があって、強い意志を感じさせる画である。小学生の時に伝記を読んでとても感銘を受けた。若くして音楽家にとっては致命的な重度の難聴となりながらも、困難を乗り越えて、後世に残る名曲を次々と作り続けた生き様はまさに「性(しょう)を尽くす」「生き尽くす」だったと思う。すぐれた作曲家というだけでなく、ピアノという楽器の改良発展に寄与した功績も大きい。

  私の家にはステレオはなく、小さなレコードプレーヤがあっただけだった。中学1年の時に貯めた小遣いでFMラジオを買い、2年の時にカセットテープレコーダを買って、それを繋げてクラシック番組を録音できるようになった。クラシック曲で真っ先に録音したのが交響曲第5番「運命」である。第3楽章から第4楽章に入っていく所の苦悩の末に運命を切り開くという音楽表現が、聞く人を大いに勇気づけてくれる。後に浜松医大オーケストラでこの曲を弾くことになるとは思いもよらなかった。

 ベートーヴェンは存命中から変わり者として知られていた。60回以上引っ越したエピソードは有名である。若い頃はお洒落で結構モテたらしいが、中年以降は衣服には無頓着で髪はボサボサで浮浪者と間違えられて逮捕されたこともあったそうだ。その一方、潔癖症で手洗い癖があったというし、コーヒー豆は必ず60個数えて淹れていたというあたりからすると、強迫性・神経質な面も持ち合わせていたのかもしれない。

2020年10月18日 (日)

神経質礼賛 1797.飛沫感染防止の衝立(ついたて)

 今週から外来診察室に飛沫感染防止のための衝立が設置された。診察机の正面に幅1m高さ1.5m位、横には幅1.5m高さ1.5m位、二枚のアクリル製の衝立である。薄く透明なアクリル板で、支える縁の部分は白いプラスチック製である。精神科だと聴診など患者さんと直接接しての診察が少ない代わりに長い時間話すことがあるので、新型コロナやインフルエンザなどの飛沫感染防止対策が必要になってくる。この衝立は新型コロナやインフルエンザ対策として有効な手段だと思われる。入室して雰囲気が変わっていて驚いた人もいたけれど、「お店でもこういうのが付いているからやってもらえると安心です」と言ってくれる人もいて、概ね好評のようである。

 しかし、不便な点もある。高齢の患者さんたちには難聴の方が少なからずいる。ただでさえマスクを付けて話している上に、衝立が間に入ると、難聴の患者さんにはさらに聞きにくくなってしまう。結局、衝立の横から顔を出して大きな声で話さなくてはいけなくなる。また、聴診器を使うことはほとんどないとは言え、抗精神病薬の副作用のため筋強剛などの症状が出ていないかチェックする際には患者さんに直接触れなくてはならない。

 透明の衝立というと、サスペンスドラマで留置所での被疑者への弁護士や家族の接見場面を思い浮かべる方もおられるだろう。衝立は透明だけれども、外側の自由な世界と内側の自由を奪われた世界とを隔てる壁という存在だ。物理的な隔てはあっても心の隔てはよろしくない。冷たい感じにならないように気を配って利用していきたい。

2020年10月15日 (木)

神経質礼賛 1796.オリーブの実

 5か月前にオリーブの花のことを書いた(1746話)。枝が南側に向かってどんどん伸びて道路にはみ出してしまうので枝を切ることにした。高さも4m位になっている。枝を切りながら上の方を見ると、なんと小さな緑の実を付けているのに気付いた。よく見ると10個ほどはありそうだ。オリーブは自家受粉しにくく、半径100m位以内にオリーブの木があると、風に吹かれたり虫が運んだりして受粉するのだそうだ。ということは我が家のオリーブの花粉も近くに飛んで行って実を付けさせているのかもしれない。そんなことを考えると楽しくなる。

 先週は母親をリハビリ病院から家に連れてきて病院のスタッフやケアマネージャーさんに動きを見てもらった。リハビリ病院の入院期限は3か月だから来月中旬までには退院しなくてはならない。本人は退院して今までのように一人で暮らしたいし、私もリスクは覚悟の上でそれをサポートしていきたいと思っていた。しかし、今回の骨折前に比べると明らかに筋力が落ち、動きが悪くなっているし、判断力も低下している。病院スタッフからは家に戻るのは難しい、ケアマネさんからは家に戻すのはまた骨折させるためのようなもの、と厳しい意見が出た。

  そんなわけで、急遽、退院後の施設探しに動き出した。まずはケアマネさんから紹介された老人ホーム相談所に連絡して面談の予約を取る。予算の範囲内で家から5km以内にある介護付有料老人ホームを紹介してもらい、見学しに行った。空き部屋があるので、その場で申し込んだ。すぐに病院の担当者と連絡がついて、来週には施設の人が病院に行って本人と面談することになった。それで決まれば月末には退院・入所ということになる。準備もいろいろあるので、慌ただしくなりそうだ。とにかく安全な環境で生活してもらえればと思っている。

2020年10月11日 (日)

神経質礼賛 1795.噛みしめ(クレンチング)症候群

 4か月ほど前、左側上下の奥歯が痛み始め、食べ物が噛めなくなった。左額下リンパ節が熱を持って腫脹して、耳下腺まで腫れている感じがする。鏡を見ると左顎全体が腫れ上がっている。痛みは徐々に左側の歯肉全体に広がる。こうなるとしゃべるのも大変だ。マスクをしているから患者さんにはわからないけれども外来診療が辛い。解熱鎮痛薬を飲んで寝る前には左顎に湿布を貼っていたが効かない。高校時代の同級生がやっている歯科医院に駆け込む。小柄だけれど声が大きく元気な女医さんだ。

 レントゲンと視診・触診で、「歯そのものは悪くないねえ。噛みしめ癖があるね。それで歯周病が悪くなったんだよ。ストレスが強いんじゃない?」とのこと。ありゃりゃ、完全にお株を奪われてしまった。確かに、退職、再就職、母の介護などでいろいろあった。ストレス解消に弾いているヴァイオリンやヴィオラも左顎には良くなかったようだ。楽器は左肩と左顎で挟んで支えるので、プロでは左奥歯を傷めやすいという話もある。抗生剤のジスロマックを処方してもらい、歯を食いしばらないように気を付けることにした。1週間後には痛みと腫れは少し軽減してきた。歯石取りとクリーニングをしてもらう。歯磨き指導の後、「この歯みがきを使うといいよ」と歯科医院用の『ジーシーおとなのトータルケア歯みがきジェル』を勧められた。毎日、その歯みがきを使ってブラッシングを丁寧に続けていたら症状は徐々に良くなってきている。短い時間ならばまた楽器も弾けるようになってきた。

 歯の食いしばりが常習化すると、歯の欠損・亀裂・破折、歯周病、知覚過敏、顎関節症、重度の肩こり、頭痛、耳鳴りなどの症状をきたす。これが噛みしめ(クレンチング)症候群である。さらに、歯を噛みしめる時には1回に3-5mlの空気を飲み込むと言われ、げっぷ、おなら、腹部膨満感などの症状もきたすため、噛みしめ呑気症候群とも呼ばれる。近年、パソコンやスマホの長時間使用やストレスのため、このような症状に悩まされる人が増えているそうである。特に不具合はなくても年に1-2度は歯医者さんへ行って歯や歯肉の健康状態をチェックしてもらうとよいだろう。

2020年10月 8日 (木)

神経質礼賛 1794.森田療法はみんなの自己教育

 この4月から引き継いだ外来患者さんに突然「先生の本を読みましたよ」と言われた。通所している作業所のスタッフから勧められて掛川市立図書館の本を借りて読まれたそうだ。以前勤めていた病院でも、統合失調症のため月に1回、古くからある持続性注射剤を打って内服薬はなく、パートで働き続けている人から「本を読みました。よかったです」と言われて驚いたことがある。御殿場市立図書館で見つけて借りて読んだとのことだ。県内各地の公立図書館に寄贈したものが思わぬところで読まれて何かのお役に立っているというのはうれしい。

 森田療法は神経質性格の持ち主には特にシャープな効果を示す。しかし、本質は人間教育であり、幅広く人々に役立つものである。岡本重慶先生の京都森田療法研究所ブログ令和2年8月27日版に心を熱くする言葉がちりばめられているので御紹介したい。平成27年日本精神障害者リハビリテーション学会のスライドを公開なさっている。テーマは禅の「十牛図」と森田療法ということで、森田療法学会でも拝見したスライドが使われている。タイトルを含めて6枚目のスライドに「忘れられた森田療法の本質」として次のようなことを挙げておられる。

〇神経症に限らず、万人が人生の「苦」に向き合って生きる智恵。
〇人間としての治療者が、人間としての患者を巧(たく)まずして薫陶する。
〇精神療法のみならず、あらゆる治療やケアの従事者にとって必要な自己教育。
〇人間みんな当事者。

  そして最後のスライドには「パラドクスとしての森田療法の本質」として次の2点を記されている。

〇森田療法を金科玉条とすれば森田療法ではなくなる。
〇日常生活そのもの。

 まさにその通りで、普段、私が思っていることをズバッと指摘して下さったと感じている。理屈ではなく日常生活ファーストなのである。残念なことに森田療法の入院施設は減少の一途を辿ってしまっているが、岡本重慶先生の指摘された点を忘れなければ森田療法はこれからも発展していく可能性を大いに秘めていると思う。

2020年10月 5日 (月)

神経質礼賛 1793.医師会のWeb講演会

 学会のシンポジウムや講演を視聴し続けていて食傷気味なところに、昨日は県医師会主催の「かかりつけ医向け地域医療リハビリテーション基礎研修」があった。勤務先の病院側より、地区医師会からの要望なので参加して欲しいと言われた。会場は自宅から歩いて5分もかからない新築の県医師会館だけれども、Web参加にした。

 一般の方々からみれば、医師はみんな医師会に入っているものと思っておられるだろう。実際のところ医師会員のほとんどは開業医で、勤務医の大部分は医師会には入っていない。妄想を持つ患者さんから「医師会に言いつけて仕事ができなくしてやる!」という脅しを受けることがあるが、私は医師会員ではないのである。

 メールで指定されたコードとパスワードを入れると会議ソフトが起動され、パソコンのカメラから自分の姿も表示されている。自宅の中でも背景が映ってもいい場所に移動していたけれども、他の参加者に丸見えは好ましくないので、表示を消す。

 講演の内容は「後期高齢者の質問票 対応マニュアル(日本老年医学会編)」に沿ったもので、かかりつけ医が広い視点から高齢者を診て総合的なフレイルの状態を把握し、医師以外の歯科医師、訪問看護師、栄養士、包括支援センター担当者らと連携して、サポートしていこうというもので、ごもっともな内容だった。ただ、限られた時間や資源の中で実行していくのは難しいと感じた。Web参加とはいえ、アンケートがメールに添付されていたので、それに記入して返送しておく。

 これからはこういう講演会が増えていくだろう。在宅勤務と同様、自宅で参加できるのは楽な面もあるけれども、実際に足を運んで参加する場合と比べて、別の疲れ方をするものである。

2020年10月 4日 (日)

神経質礼賛 1792.学会のWEB開催

 日本精神神経学会の学術総会は毎年6月に開催されてきた。今年は仙台で行われるはずだったが、新型コロナの影響で9月に延期となり、さらに現地での開催は中止しWEB開催となった。何しろ大勢の医療関係者が集まるので、クラスター感染でも起きたら大事件である。

 私のような一般会員の多くは精神科専門医の更新ポイントを確保するために学術総会に参加しているのが実情である。5年間に2-3回参加することになるけれども、ビジネスホテルの確保が大変で、当日は会場で缶詰状態。同時にいくつもの会場でシンポジウムや講演や一般演題の発表があって、人気のある演題だと狭い会場で席が不足して立見とか入りきれずに諦めて他へ行くというようなことになる。その点、WEB開催ならばそういう問題はなく参加しやすいし、ライブ配信終了後も1カ月間オンデマンド配信を視聴することができるから、とても助かる。同じ時間帯の講演や発表も後で視聴できる。

 申込は例年通り、パソコンで事前申込をして、領収書をプリントアウトした。ただし、いつもなら参加証もプリントアウトして会場で首から下げるのが、今回はライブ配信が終わってから発行可能になるというのが異なる。
初日にはZOOMというソフトのダウンロードを求められた。初めてのことなのであたふたする。実際にライブ配信を見てみると、スライドがピンボケで読みにくかったり、2時間のシンポジウムのはずが1時間半で尻切れトンボのまま終わってしまったりというような不備がみられた。討論の際、発表者の顔が画面一杯アップで出るのもちょっと違和感があった。気を付けないと鼻毛とかも映ってしまう。こんなに大きく出さなくてもいいのではと思う。急遽、WEB開催のみになったし、初めてのことだからやむを得ない面もある。慣れてくればいろいろと改良されていくと思われる。たまたま新型コロナの影響でこうなったのだけれども、これからの学会はこういう形で学術総会を行うことが増えていくだろうし、それは参加者にとってメリットが大きいと思う。

2020年10月 1日 (木)

神経質礼賛 1791.神経質力士の優勝

 あまり大相撲に関心のない私がここ数年、ずっと注目していた力士がいる。1176話「神経質力士の誕生」、1709話「神経質力士の活躍」で書いた正代(しょうだい)である。親方からはマイナス思考で弱気だと言われ続けてきたが、郷里の熊本地震に発奮して実力を示すようになった。これまで2回、もう少しというところで優勝を逃している。関脇の地位で臨んだ今場所、前へ前へと出る積極的な相撲が光り、千秋楽では2敗の単独トップに立っていた。私にしては珍しくTVで見ていた。初優勝がかかりプレッシャーは大変なものだ。元来小心な人がとても緊張しているのが見て取れる。相手は新入幕の注目力士、絶好調の翔猿(とびざる)。こちらは負けてもともと、一発やってやろうじゃないか、という鋭い目つきをしている。これは危ないな、とこちらまで心配になる。立ち合いで出遅れる。もしかしたら相手が変化してくるかもしれない、と慎重になったのだろうか。土俵際に追い込まれてピンチに陥る。何とかこらえて押し返して勝負は反対側の土俵際で。後のインタビューで本人が言ったように「体が自然に動いた」、相手の攻めをこらえながらうまく引き落としで逆転勝利を掴んだ。熊本出身の力士としては初優勝。東京農大出身の力士としても初優勝なのだそうだ。

 華やかさはないけれども、黙々と人一倍稽古に取り組む力士である。引き揚げていく時に、歩きながら付き人と肩を抱き合って涙を流している姿が印象的だった。「純な心」そのものである。大関昇進も決まり相撲協会からの伝達に、「至誠一貫、相撲道に精進します」と緊張しながら答えている。至誠一貫・・・真面目で純な正代関にピッタリの言葉だと思う。神経質大関の活躍に期待したい。

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