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2020年10月22日 (木)

神経質礼賛 1798.ベートーヴェン生誕250周年

 今年は楽聖・ベートーヴェン(1770-1827)の生誕250年の記念年にあたる。本来ならばそれにちなんだ演奏会が数多く行われるはずだったのが新型コロナのため演奏できない状態が続いていた。特に声楽系は感染リスクが高いため、交響曲第9番合唱付は最もハードルが高い。それでも、年末までには何とか開催できそうな状況になってきている。

  今はどうかわからないが、私が子供の頃の小学校や中学校の音楽室の壁には作曲家たちの肖像画が貼られていた。その中でひと際目立つのがベートーヴェンで、強い印象を受けた方も多いだろう。圧倒的な目力があって、強い意志を感じさせる画である。小学生の時に伝記を読んでとても感銘を受けた。若くして音楽家にとっては致命的な重度の難聴となりながらも、困難を乗り越えて、後世に残る名曲を次々と作り続けた生き様はまさに「性(しょう)を尽くす」「生き尽くす」だったと思う。すぐれた作曲家というだけでなく、ピアノという楽器の改良発展に寄与した功績も大きい。

  私の家にはステレオはなく、小さなレコードプレーヤがあっただけだった。中学1年の時に貯めた小遣いでFMラジオを買い、2年の時にカセットテープレコーダを買って、それを繋げてクラシック番組を録音できるようになった。クラシック曲で真っ先に録音したのが交響曲第5番「運命」である。第3楽章から第4楽章に入っていく所の苦悩の末に運命を切り開くという音楽表現が、聞く人を大いに勇気づけてくれる。後に浜松医大オーケストラでこの曲を弾くことになるとは思いもよらなかった。

 ベートーヴェンは存命中から変わり者として知られていた。60回以上引っ越したエピソードは有名である。若い頃はお洒落で結構モテたらしいが、中年以降は衣服には無頓着で髪はボサボサで浮浪者と間違えられて逮捕されたこともあったそうだ。その一方、潔癖症で手洗い癖があったというし、コーヒー豆は必ず60個数えて淹れていたというあたりからすると、強迫性・神経質な面も持ち合わせていたのかもしれない。

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コメント

四分休符先生

 私の大好きなベートーヴェンです。本当にこの年初には「今年はベートーヴェン イヤー、ベートーヴェンシャワー!沢山聴ける!」と思ったものです。まさか、このような禍が待ち受けているとは思いもよらない事でした。

 四分休符先生の言われるエピソードが事実であれば、『神経質の無神経』だったのでしょうか。しかし、その時代は現代のように「社会規範」のような物が比較的緩くて、生活の自由がよりあったのかもしれません。

 私は毎日ベートーヴェンを聴かない日はありません。第九の三楽章です。通して全楽章を聴く時もありますが、そういう時は大抵三楽章を覚えていません。という事は...三楽章で寝入っているのです。心地良く...

 モーツアルトが天才・神であるならば、ベートーヴェンは神を見た人、と私は思っています。努力の人です。生涯独身で致命的な病を得て残した作品に思いを致しながら私は聴き入っています。

 とはいえ、後期室内楽には疎い私ですので本当のベートーヴェンはきちんと理解出来ていないとも言えますね。ミーハーです。

 ピアノでは今、まさにベートーヴェンをさらっています。四分休符先生は弦楽器ですから、オーケストラ参加出来てうらやましい限りです。

yukimiya 様

 コメントいただきありがとうございます。

 ベートーヴェン・イアーが憎っくき新型コロナのために霞んでしまって残念至極です。仰るように第九の第3楽章は穏やかで心休まります。心地よく眠れるかもしれません。
 yukimiya様はピアノを弾かれるのですね。ベートーヴェンの素晴らしいピアノ曲はいくらでもありますから一生楽しめますね。

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