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2020年10月25日 (日)

神経質礼賛 1799.栗蒸羊羹

 つい先日までは暑い暑いと言っていたのが嘘のように朝晩は冷えるようになってきた。いきなり晩秋らしい感じになっている。あわてて扇風機の羽を拭いてしまっておく。そろそろ冬物の衣類を出さなくてはならない。近年は1年の半分近く夏が続き、春と秋は1カ月少々、というのが実感である。春秋用の衣類の出番がなくて困る。スーパーの店頭に栗おこわを見かける。秋の楽しみ、栗の時期である。

 洋菓子のモンブラン、和菓子の栗蒸羊羹、どちらも好きだけれど、より季節を感じさせる点では栗蒸羊羹に軍配が上がる。そうだ、栗蒸羊羹を買いに行こう! 街の小さな和菓子屋さんがその店で作っている素朴な栗蒸羊羹が好きなのだが、そうした店は少なくなってしまった。仕事帰りにデパ地下で栗蒸羊羹を探す。叶匠寿庵のショーケースの上に栗山家(くりさんが)という季節限定の栗蒸羊羹を見つけて買い求める。栗が一個丸々入って税込270円は手頃である。同じ価格で年中出ている一壺天(いっこてん)という栗を粒あんで包んだお菓子もあってこれは美味しいので期待が膨らむ。帰宅すると夕食前だというのに、早速妻が皿の上に出して食べることになる。予想していた蒸羊羹ではなく、ぷるるんとした感じで柔らかめの外郎(ういろう)といったところである。甘さは控えめで上品な味わいだ。おいしい緑茶が欲しくなる。私はこれも美味しいと思ったが、妻からは「一壺天の方がよかったのに」と言われる。また普通の栗蒸羊羹を探してみよう。

 栗の話題は971話に書いた。心配性で用心深い神経質はイガイガをまとった栗の実のような存在である。人からは一見付き合いにくい人間と思われやすい。しかし、本当は人から好かれたい・人に認められたいという気持ちが非常に強いのである。人がどう思うだろうかと考えるのはさておき、人の役に立つように尻軽く行動していくと、いつしかイガイガが抜け落ちて、真の神経質の魅力が発揮されるのである。

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