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2020年11月29日 (日)

神経質礼賛 1810.じれったいと仕事の能率とは正比例する(2)

 11月も終わりに近づき、何かと慌ただしい12月に突入する。今年は新型コロナの影響で忘年会を中止するという所が多い。とはいえ家の中では年1回やらなければならないことが多くて気がもめる。年賀状作成もある。枚数は年々減ってきているけれども一仕事である。森田正馬先生はとても筆が速かったようである。

 年賀の葉書の宛名を書くのに、私は一時間に、百二十枚書きます。普通の人と比較すると、早いようです。
 さてここで、「じれったい」「気がもめる」とかいう事について、これは自分の欲望する仕事を、早く仕上げたい・片付けたいという衝動の気分であって、この衝動がすなわち仕事を早くはかどらせるところの原動力である。この衝動なしには、決して仕事のできるものではない。それで仕事は、できてもできなくとも、どうでもよいというような時に、決して「じれったい」という気分のあるはずはない。仕事の能率と「じれったい」の強さとは、常に比例して行くものである。
 「面倒くさい」という事がある。これも「じれったい」と同様の関係にあるもので、仕事の価値批判と労力との相対関係である。例えばある人が、一円の仕事を一時間でする事を普通の事とすれば、それを二時間・五時間でする事になれば、その「面倒」さが増してくるはずである。それで、「面倒」という事も、早く仕事をしてしまいたいという「気のあせり」すなわち衝動である。
 この衝動が強いほど、仕事を早くしようとする工夫やりくりが、絶えず心の内に起こってくる。そこに初めて、仕事の絶えざる能率増進がある。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.626)

 「じれったい」「気がもめる」のは能率よく早く仕事を終わらせたい、という神経質人間の強い「生の欲望」のためである。面倒だと言って愚痴をこぼしているばかりではいつまでも仕事は片付かない。まずはとにかく手を出していくことだ。一旦転がり出せば簡単には止まらないのが神経質の特長だ。さらには効率を上げる工夫もこらす。気が付けば仕事はどんどん片付いているのである。

注:1年前の1691話でも同様の記事を書いていましたので、タイトルに(2)を付けました。

 

2020年11月26日 (木)

神経質礼賛 1809.劣化

 先日、Eテレ再放送の「SWITCHインタビュー達人たち しりあがり寿×田丸雅智」を見た。しりあがり(334話)さんは漫画家で田丸さんはショートショート作家である。しりあがりさんは最近、劣化ということに注目しているという。一度自分で描いた絵をグラインダーのような機械で痛めつけている画面が流された。古寺の仏像や絵画などは長い年月を経て落剝したり変色したりして、当初の姿とはまた別の美を発揮していることを考えてのことだそうだ。わび・さびといった日本の美意識にも通じるという。しりあがりさんは私と同学年だから、劣化を意識する年頃なのかもしれない。

 誰もが多かれ少なかれ加齢とともに体力・知力・気力が衰えていくことは避けられない。江戸時代の禅僧・仙厓さん(90・238・1033・1556話)の禅画「老人六歌仙」には次のような言葉が添えられている。
 しわがよる ほくろが出来る 腰が曲がる 頭がはげる ひげ白くなる
 手は震え 足はよろつく 歯は抜ける 耳は聞こえず 目はうとくなる
 身に添うは 頭巾襟巻 杖 眼鏡 たんぽ 温石(おんじゃく) 尿瓶 孫の手
 聞きたがる 死にともながる 淋しがる 心がひがむ 欲深くなる
 くどくなる 気短になる 愚痴になる 出しゃばりたがる 世話焼きたがる
 またしても 同じ話に 子を褒める 達者自慢に 人は嫌がる

 いつの世も同じだ。前半は身体的変化、後半は精神的変化をあらわしている。しかし、絵に描かれた老人たちは楽しげに見える。特に中央に描かれた腰の曲がった老人は実にいい表情をしている。あちこち劣化したところで、それがどうした、そのまんまで生きて楽しんでいけばいいじゃないか、仙厓さんは老いを笑い飛ばしながらそう言っているように思えてならない。

 森田正馬先生が亡くなる前年の写真に着物姿で下駄を履き帽子をかぶり傘をさして小さな乳母車にちょこんと座って外出しておられるものがある。とても自然ないい笑顔をしておられて、私はこの写真の森田先生が一番好きである。たとえ病気のため老化のため思うにまかせなくなったとしても、こうして楽しんで生き尽くせばいいのだよ、と一枚の写真で教えて下さっているように思う。

2020年11月22日 (日)

神経質礼賛 1808.シャッター操作用ペンダントの交換

 今時の住宅では1階以外には窓のシャッター(雨戸)はない場合が多い。サッシ窓が昔に比べて丈夫になったためだ。我が家は防火・防災・防犯効果を考えて2階や3階も設置可能な窓にはシャッターを付けてある。下から上に上げる金属製のシャッターで、開ける時には上に押し上げ、閉める時には手を伸ばさなくても下げられるように操作用のペンダントが付いているので、これを引っ張って下げる。要は金属製の紐なのだが、よく開閉する2階のシャッターの紐が根元で切れてしまった。交換部品がないかとネットで調べたが見つからない。いろいろ補修部品を揃えていそうなモノタロウのサイトでも見当たらない。半ばあきらめていたところ、家を建てたへーべルハウスから定期的に送られてくる冊子の最新版の通販コーナーにそれらしきものがあった。本当に適合するかどうかはわからない。サッシ下側のネジを外して構造を確認する。ヴァイオリン弦の端と同様、ボール状の部分を引っかける仕組みになっていることがわかった。冊子の写真を見ると、多分それで使えそうだ。3階のも1か所切れる寸前のものがあったので、2本注文した。

 送られてきた部品を見て、間違いないと確信する。交換自体はそれほど難しい作業ではない。ただし、サッシ下側のネジをドライバーで外したり付けたりするのに注意が必要で、うっかりネジを下に落としてしまう危険がある。2階や3階からネジを窓の外に落としてしまうと厄介である。2階の交換が終わり、3階の交換にかかる。左手でペンダントのボール部分を引っかけてあるプラスチック部品を押さえながら右手でネジを締めていたのだが、硬くて力を入れた際につい左手が緩んで、ペンダント部品を窓の外に落としてしまった。大失敗だ。それでもネジを落としたわけではないので、家の外に拾いに出て、すぐに見つかる。もう一度付け直して作業完了した。

 住宅は経年変化により、あちこちに不具合が出てくる。先送りせず、早めに補修していくに限る。同様に人間の体もあちこち経年劣化が起きてくるものだと実感するこの頃である。

2020年11月19日 (木)

神経質礼賛 1807.街の電気屋さん

 先週のある日、帰宅すると「テレビのBSが映らなくなった」と妻が言う。テレビやビデオのプラグを全部コンセントから引っこ抜いてまた差し込んだけれども同じ、とのことだった。電化製品の具合が悪い時、一旦コンセントを抜いてまた差し込むと、内臓マイコンがリセットされてうまくいくこともあるけれども、設定が消えてしまって厄介なことになる。やたらとやられては困る。リビングのテレビだけでなく他の2台も同様に地上波は映ってBSだけ映らないので、アンテナかブースターのトラブルと思われた。やはり電気屋さんに頼まなくては。20年近く前、家を建てた時にアンテナの設置を頼んだ電気屋さんはまだやっているかな。休みの日の朝、行ってみると、家から歩いて5分位のその電気屋さんは健在だった。息子さんの代になっているようだ。「昼前に伺いますよ」と言ってくれた。結局、アンテナの角度がずれて信号強度が低下していたことがわかった。調整してもらってまた映るようになった。ネット情報ではBSアンテナの寿命は10年位と書かれている。経年変化によりパラボラの反射が劣化するためらしい。強風にさらされ雨ざらし日ざらしの過酷な環境に置かれているから無理もない。アンテナの交換を依頼しようと思っていたが、「4Kとか8Kテレビだったらアンテナを交換した方がいいですけど、映るからとりあえずはいいんじゃないですか」と言われたので、「今度交換の時はお願いします」と言っておいた。

 子供の頃、真空管式のテレビやラジオが故障すると修理に来てもらったものだ。豆電球や電池ボックスやエナメル線や乾電池など小学生向けの電気工作の材料は街の電気屋さんで買えた。中学・高校生の頃はFM放送を録音するためのカセットテープを買っていた。今では電化製品は使い捨ての時代になり、家電量販店やネット通販に押されて街の電気屋さんはすっかり減ってしまったけれども、住宅設備関連の電気工事の仕事を主体にして営業しているらしい。特に松下電器→ナショナル→パナソニック系はしぶとく残っている。創業者の松下幸之助(211話・1670話)が特約店の育成に力を入れてきた効果ではなかろうか。さすが神経質である。

2020年11月15日 (日)

神経質礼賛 1806.缶入りスープを食べる工夫

 昨年に頂いた缶入りスープの詰め合わせがまだ残っている。アヲハタの有名料理店監修のスープ詰め合わせと帝国ホテルのスープの詰め合わせだ。朝、パンのトーストを食べる時、とても相性が良いのだが、後始末が大変だ。金属缶だからそのまま電子レンジにかけるわけにはいかない。鍋に移して温めると、さらに食べる時の器が出る。食べ終わってから油物の鍋や器を洗うのは朝の出勤前の時間には厳しい。また、空き缶の回収は月1回だから空き缶も簡単に洗っておかないと、後が臭ってしまう。それに流し台の網が油でべとつくと、妻からクレームがつく。そんなわけで、なかなか減っていかなかった。

 早いもので11月になってすぐデパートからは分厚いお歳暮のカタログが送られてきて、先週には駅のコンコースや大きな商業施設には巨大なクリスマスツリーが飾られ、夜にはイルミネーションが点滅するようになった。朝が冷えるようになってきたので、件のスープを休日の朝に食べていこうと考えた。アヲハタのスープはどれも油っぽい。特にコーンスープはコーンの粒がそのまま入っていて缶に白い脂分がべったり付着するので後始末が大変である。そこで、器は使わず、100円ショップで買ってきた大きめの紙コップに移す。缶にへばりついたものは使い捨てスプーンで掻き出す。そして、ポットの湯を空き缶に少し入れて洗い流すように残りを紙コップに移す。これで、空き缶はかなりきれいになっている。紙コップに入れたスープは電子レンジで1分半程度暖めると出来上がりだ。アヲハタのスープはどれも脂分が多いだけでなく味も濃い。一方、帝国ホテルのスープは塩分控えめで油分も少なくてサラッとしている。コーンスープは裏ごしした上品な感じであり、ミネストローネスープもしつこくなく美味しい。オニオンスープは香りがとても良い。この工夫により、着々と消費が進んでいる。

2020年11月12日 (木)

神経質礼賛 1805.秀吉の六本指 龍馬の梅毒

 高校の同窓会報に篠田達明著『秀吉の六本指 龍馬の梅毒 Drシノダが読み解く歴史の中の医療』という本が紹介されていた。篠田さんはちょうど20年先輩にあたり、御著書の『徳川将軍家十五代のカルテ』『歴代天皇のカルテ』(新潮新書)は家康のことを書く際に参考にさせていただいた。御専門は整形外科で心身障害児医療に取り組まれるとともに、作家としても活躍されてきた。『整形・災害外科』(金原出版)という雑誌に「医療史回り舞台」というエッセイを28年間にわたって発表してこられ、それがこのほど単行本になった。歴史上の人物の病気や外傷、その時代の医学・医術をテーマとして一話が2ページあるいは4ページにまとめられているからとても読みやすい。面白い記事が多いが、精神科領域の話は少ない。藤原道長(413話)の不安発作、豊臣秀吉の認知症、徳川十三代将軍家定の脳性麻痺、忠臣蔵に出てくる浅野内匠頭の妄想症、チャイコフスキー(422話)の自殺未遂、夏目漱石(626話)の神経衰弱、太宰治(133話)の自殺、といったあたりであり、残念ながら目新しいネタはなかった。

 表題の秀吉は右手の親指が1本多い多指症だったことは宣教師ルイス・フロイスや前田利家の記録に残っているし、信長から「六つ奴」と呼ばれたことがあって確からしい。もっとも、そのために生活に支障をきたすことはなく、農民の子から天下人にまで昇りつめた。現代では多指症の場合、幼少時に手術してしまうから見かけることはない。日本で最高のサクセスストーリーの主人公が変調をきたしてくるのは50代後半あたりからである。感情が不安定になり、被害関係妄想も目立つようになる。認知症の周辺症状なのではないかと思われる。無謀な朝鮮出兵や後継者の甥・秀次を切腹させて一族も全員処刑して首を晒した件など、諫める家族や家臣がいなかったことも災いした。最期は急速に衰弱しているところから、篠田さんはスキルス胃癌や膵臓がんなど消化器系の癌が死因ではないかと推察している。秀吉の死後、着々と天下取りの布石を打って成功したのが神経質の徳川家康だったことは今まで当ブログに書いてきた通りである。

 坂本龍馬は明治維新の立役者であり、森田正馬先生と同郷・土佐の英雄である。森田先生は十歳になっても寝小便癖があったが、龍馬もそうだったから自分も偉くならないとは限らないと思っていた(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.735)そうだ。正馬を「しょうま」と読むのが広まったのは、本来の「まさたけ」とは読みにくく(420話)、先生が憧れていた英雄・龍馬「りょうま」になぞらえて「しょうま」と周囲から呼ばれることを好んだことも一因だろうと私は考えている。さて、その龍馬が梅毒だったとは知らなかった。龍馬に会った中江兆民が「彼は近眼のため目を細める癖があり、額は梅毒のため抜け上がっていた」と記載しているそうだ。明治の世を見ることなく、33歳にして凶刃に倒れてしまったが、仮に近江屋事件がなかったとしても、梅毒であったことが事実だとしたら、長く活躍することは難しかったかもしれない。

2020年11月 8日 (日)

神経質礼賛 1804.あるがままに認める(2)

 森田療法と言えば「あるがまま」と思われるむきが強い。森田療法を指導する人の中にも「あるがまま」を連呼する人がおられる。もちろん、とても重要な概念だし、森田先生御自身も患者さんたちの前で使っていた言葉であり、形外会の記録である全集第5巻の中にも登場する。しかし、誤解を招きやすい言葉でもあり、「あるがまま」になろうとすること自体「あるがまま」から離れて「かくあるべし」(250話)に陥ってしまう。気分はさておき行動しているうちに結果として「あるがまま」の状態になっているのである。私は神経症に悩む人に「あるがまま」とは言わないし、日記指導でも「あるがまま」とは書かない。

 764話に、あるがままに認める、ということを書いた。子供の頃から強い対人恐怖と吃音に悩んだ人が大学生の時に森田先生の『神経質問答』を読んで、よりよく生きたいという生の欲望からくるものだとわかり、さらに禅僧への道を歩んだ、という話である。禅僧になった今、人前で硬くなり震えることはありのままに認め、硬くなりながら震えながら目的に向かって行動していく、それが「なりきる」という境涯となり、ただ行為する自分がそこにあるだけとなる、と説いている。

 森田先生は次ように言っておられる。
 さて、ここで皆さんに、十分注意してもらいたい事は、自分自身を、そのあるがままに認める事です。自分は五尺何寸であるとか、体重幾貫目とか、貧乏にうまれたものとか、人前では、ぎこちなくなるもの、自分は小人であって、飾り・言い訳し・取りつくろいたくなるものとか、何かにつけて、利害得失に迷い惑うものなど、素直にそのまま、正直に認めておく事です。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.600)

 身長が何cmである、というのは事実であるけれども、優劣に敏感な神経質人間はそれだけで済まない。何かと他人と比較してクヨクヨ考えてしまう。「〇〇君は自分より10cm位高いからいいなあ」「自分は背が低いからダメなんだ」「これさえなければ活躍できるのに」「もう少し背が高かったらモテたのに」「こんな体になったのは親のせいだ」・・・。身長はどうにもならない。事実を認めたうえで、できることをやっていくしかないのである。そして、自転車が走る時のように、行動が次々と続いて循環していくようになった時、自然と「あるがまま」になっていて、その人の能力が最大限発揮されているのだ。

2020年11月 5日 (木)

神経質礼賛 1803.「富野由悠季の世界」展

 静岡県立美術館で9月から富野由悠季の世界と題する展示が行われていて終了間近である。母が入院している病院が同じ沿線上にあるので、洗濯物を交換したついでに行ってみることにした。美術館前の駅からは坂を上っていく。この通りに沿って洒落たレストランや喫茶店があったのが、いつの間にか閉店してしまったところが多くて残念である。美術館敷地の入口まで歩くと紅葉がきれいだ。そこからまた坂を上っていく。
  普段の絵画などの展示の時とは明らかに客層が違う。見たところ四十代前後の男性が最も多そうな感じだ。それもそのはず、富野由悠季はアニメ「機動戦士ガンダム」の原作者で、その後も長らくガンダムシリーズの続編を制作し続けてきた。セル原画やイラストや脚本やキャラクターデザインなどが展示され、所々でアニメも流れている。それを食い入るように見ている人もいる。
 私はガンダムはほとんど見ていない。ガンダムの次に作られた「伝説巨神イデオン」は見ていた。これも展示があった。異文明同士のエゴがぶつかり合い共存できない様は、人種や宗教や政治体制の違いによって分断された現代社会を反映しているようにも思える。最後は皆が死んで滅びていくというのもいろいろ考えさせられる。富野由悠季制作のアニメは辛口だ。私が子供の頃に見た、主人公が巨大ロボットを操作して悪人をやっつけるという勧善懲悪のアニメとは違い単純なものではない。20分ほどで見終わり、常設のロダン館を一周して帰る。

 この日は電車に乗っている時、歩いている時、美術館にいる時、何度も病院の相談員さんからケータイに電話が入った。ようやく退院日が決まり、現在病院で借りているのと同じタイプの歩行器を購入することになった。電車に乗っている時や美術館では電話に出られないので気を遣う。自分から他人のケータイに電話するのも相手が出にくい状況かもしれないので、神経質としては気になってあまりかけたくないところである。

2020年11月 2日 (月)

神経質礼賛 1802.印鑑不要にはならないものか

 私の母はまだリハビリ病院に入院中だが、入院期限の3か月が近いので、退院先の介護付有料老人ホームと契約して部屋を押さえておくことにした。契約には2時間位かかると言われていた。まずは在宅医療支援診療所との契約。診療所の事務担当者から種々の説明を受けて、母と自分の名前を何度も書いて何度も2つの三文判を押印する。料金の引き落としの書類には銀行印が要る。30分後に薬局の担当者が来て、これまた「居宅療養管理指導等サービス」についていろいろと説明を受けて契約。同様に何度も母と私の名前を書いて押印する。それからようやく施設との契約に入る。説明事項が多くて、記名・押印する箇所はさらに多い。最後に契約書に保証人である私と妻の実印を何箇所も押す。やっと終わって「お疲れ様でした」と言われて帰って行ったが、後で携帯に電話が入り「すみません。印鑑登録証明書を頂いていませんでした」と。うっかりした。事前に市役所で印鑑登録証明書を取っておき、持って行ったのだがごちゃごちゃしているうちに私も渡すのを忘れてしまったのである。入居前の荷物搬入の時でいいと言うので、そうさせてもらう。神経質にも落ちはある。

 新しい内閣が発足して、ハンコ廃止論が出ている。何でも押印しなくてはならないのは効率が悪いし、テレワークの時代には不適当だという。それに対しては、日本の伝統文化が失われるという反論がある。特に印章の産地・山梨県は死活問題であり、県知事が反対のコメントを出している。

 私は、いろいろな手続きや仕事の書類で押印するところを減らしてもらえないかと思う反面、契約書などの大事な書類は覚悟を決めてしっかり確認して押印する必要があるだろう。初めて自分の銀行印さらには実印を作った時には一人前になったという感慨があったものだ。それにしても役所での申請の際に運転免許証やマイナンバーカードで本人確認をしているのであれば押印させる必要はないと思う。

2020年11月 1日 (日)

神経質礼賛 1801.鎖入り布団による不眠改善効果

 医療サイトのニュースに面白い記事があった。スウェーデンでの研究結果で、金属製の鎖を入れて、重みと体へのフィット感を高めた6-8kgの掛布団を使用すると、高い不眠改善効果が得られたというものである。うつ病、双極性障害、ADHD、全般性不安障害を有する120人にこの布団を使用してもらい、4週間、さらには1年のフォローアップ調査をしたところ、1年後には92%に不眠の改善が認められたという。
 どんな布団か興味が湧いて、つい調べてしまった。ラーゴム・ジャパン(株)で販売やレンタルしているチェーンブランケットという商品で価格は10万円程度なので、気楽に買ってみようというものではないが、スウェーデンやデンマークでは公的保険の適用となっているという。

 冬場になると布団が重くなって気持ちよく寝られる、逆に夏場にタオルケット一枚だと何となく心もとなくて寝にくいというというのは体感的に理解できる。何も高価な布団を買う必要はないが、布団やベッドパッドや枕などの寝具を快適なものに工夫してみるのもよいかもしれない。不眠即睡眠薬ではなく、こうした生活上の工夫もありなのではないだろうか。朝はなるべく日の光を浴び、夕方から夜はカフェインやタバコを控え、寝る前はTV・パソコン・スマホなどの画面を見るのは避け、寝酒はしないようにする、風呂はぬるめにする、などの一般的な睡眠衛生は実践して損はない。そうした上で、「眠りは与えられただけとる」。眠れた、眠れなかった、にはあまりこだわらず、日中の活動を重視していくようにすれば不眠は自然に改善していくのである(60・345・477・527・1538話)。

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