神経質礼賛 1810.じれったいと仕事の能率とは正比例する(2)
11月も終わりに近づき、何かと慌ただしい12月に突入する。今年は新型コロナの影響で忘年会を中止するという所が多い。とはいえ家の中では年1回やらなければならないことが多くて気がもめる。年賀状作成もある。枚数は年々減ってきているけれども一仕事である。森田正馬先生はとても筆が速かったようである。
年賀の葉書の宛名を書くのに、私は一時間に、百二十枚書きます。普通の人と比較すると、早いようです。
さてここで、「じれったい」「気がもめる」とかいう事について、これは自分の欲望する仕事を、早く仕上げたい・片付けたいという衝動の気分であって、この衝動がすなわち仕事を早くはかどらせるところの原動力である。この衝動なしには、決して仕事のできるものではない。それで仕事は、できてもできなくとも、どうでもよいというような時に、決して「じれったい」という気分のあるはずはない。仕事の能率と「じれったい」の強さとは、常に比例して行くものである。
「面倒くさい」という事がある。これも「じれったい」と同様の関係にあるもので、仕事の価値批判と労力との相対関係である。例えばある人が、一円の仕事を一時間でする事を普通の事とすれば、それを二時間・五時間でする事になれば、その「面倒」さが増してくるはずである。それで、「面倒」という事も、早く仕事をしてしまいたいという「気のあせり」すなわち衝動である。
この衝動が強いほど、仕事を早くしようとする工夫やりくりが、絶えず心の内に起こってくる。そこに初めて、仕事の絶えざる能率増進がある。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.626)
「じれったい」「気がもめる」のは能率よく早く仕事を終わらせたい、という神経質人間の強い「生の欲望」のためである。面倒だと言って愚痴をこぼしているばかりではいつまでも仕事は片付かない。まずはとにかく手を出していくことだ。一旦転がり出せば簡単には止まらないのが神経質の特長だ。さらには効率を上げる工夫もこらす。気が付けば仕事はどんどん片付いているのである。
注:1年前の1691話でも同様の記事を書いていましたので、タイトルに(2)を付けました。
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