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2020年11月12日 (木)

神経質礼賛 1805.秀吉の六本指 龍馬の梅毒

 高校の同窓会報に篠田達明著『秀吉の六本指 龍馬の梅毒 Drシノダが読み解く歴史の中の医療』という本が紹介されていた。篠田さんはちょうど20年先輩にあたり、御著書の『徳川将軍家十五代のカルテ』『歴代天皇のカルテ』(新潮新書)は家康のことを書く際に参考にさせていただいた。御専門は整形外科で心身障害児医療に取り組まれるとともに、作家としても活躍されてきた。『整形・災害外科』(金原出版)という雑誌に「医療史回り舞台」というエッセイを28年間にわたって発表してこられ、それがこのほど単行本になった。歴史上の人物の病気や外傷、その時代の医学・医術をテーマとして一話が2ページあるいは4ページにまとめられているからとても読みやすい。面白い記事が多いが、精神科領域の話は少ない。藤原道長(413話)の不安発作、豊臣秀吉の認知症、徳川十三代将軍家定の脳性麻痺、忠臣蔵に出てくる浅野内匠頭の妄想症、チャイコフスキー(422話)の自殺未遂、夏目漱石(626話)の神経衰弱、太宰治(133話)の自殺、といったあたりであり、残念ながら目新しいネタはなかった。

 表題の秀吉は右手の親指が1本多い多指症だったことは宣教師ルイス・フロイスや前田利家の記録に残っているし、信長から「六つ奴」と呼ばれたことがあって確からしい。もっとも、そのために生活に支障をきたすことはなく、農民の子から天下人にまで昇りつめた。現代では多指症の場合、幼少時に手術してしまうから見かけることはない。日本で最高のサクセスストーリーの主人公が変調をきたしてくるのは50代後半あたりからである。感情が不安定になり、被害関係妄想も目立つようになる。認知症の周辺症状なのではないかと思われる。無謀な朝鮮出兵や後継者の甥・秀次を切腹させて一族も全員処刑して首を晒した件など、諫める家族や家臣がいなかったことも災いした。最期は急速に衰弱しているところから、篠田さんはスキルス胃癌や膵臓がんなど消化器系の癌が死因ではないかと推察している。秀吉の死後、着々と天下取りの布石を打って成功したのが神経質の徳川家康だったことは今まで当ブログに書いてきた通りである。

 坂本龍馬は明治維新の立役者であり、森田正馬先生と同郷・土佐の英雄である。森田先生は十歳になっても寝小便癖があったが、龍馬もそうだったから自分も偉くならないとは限らないと思っていた(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.735)そうだ。正馬を「しょうま」と読むのが広まったのは、本来の「まさたけ」とは読みにくく(420話)、先生が憧れていた英雄・龍馬「りょうま」になぞらえて「しょうま」と周囲から呼ばれることを好んだことも一因だろうと私は考えている。さて、その龍馬が梅毒だったとは知らなかった。龍馬に会った中江兆民が「彼は近眼のため目を細める癖があり、額は梅毒のため抜け上がっていた」と記載しているそうだ。明治の世を見ることなく、33歳にして凶刃に倒れてしまったが、仮に近江屋事件がなかったとしても、梅毒であったことが事実だとしたら、長く活躍することは難しかったかもしれない。

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