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2020年11月 8日 (日)

神経質礼賛 1804.あるがままに認める(2)

 森田療法と言えば「あるがまま」と思われるむきが強い。森田療法を指導する人の中にも「あるがまま」を連呼する人がおられる。もちろん、とても重要な概念だし、森田先生御自身も患者さんたちの前で使っていた言葉であり、形外会の記録である全集第5巻の中にも登場する。しかし、誤解を招きやすい言葉でもあり、「あるがまま」になろうとすること自体「あるがまま」から離れて「かくあるべし」(250話)に陥ってしまう。気分はさておき行動しているうちに結果として「あるがまま」の状態になっているのである。私は神経症に悩む人に「あるがまま」とは言わないし、日記指導でも「あるがまま」とは書かない。

 764話に、あるがままに認める、ということを書いた。子供の頃から強い対人恐怖と吃音に悩んだ人が大学生の時に森田先生の『神経質問答』を読んで、よりよく生きたいという生の欲望からくるものだとわかり、さらに禅僧への道を歩んだ、という話である。禅僧になった今、人前で硬くなり震えることはありのままに認め、硬くなりながら震えながら目的に向かって行動していく、それが「なりきる」という境涯となり、ただ行為する自分がそこにあるだけとなる、と説いている。

 森田先生は次ように言っておられる。
 さて、ここで皆さんに、十分注意してもらいたい事は、自分自身を、そのあるがままに認める事です。自分は五尺何寸であるとか、体重幾貫目とか、貧乏にうまれたものとか、人前では、ぎこちなくなるもの、自分は小人であって、飾り・言い訳し・取りつくろいたくなるものとか、何かにつけて、利害得失に迷い惑うものなど、素直にそのまま、正直に認めておく事です。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.600)

 身長が何cmである、というのは事実であるけれども、優劣に敏感な神経質人間はそれだけで済まない。何かと他人と比較してクヨクヨ考えてしまう。「〇〇君は自分より10cm位高いからいいなあ」「自分は背が低いからダメなんだ」「これさえなければ活躍できるのに」「もう少し背が高かったらモテたのに」「こんな体になったのは親のせいだ」・・・。身長はどうにもならない。事実を認めたうえで、できることをやっていくしかないのである。そして、自転車が走る時のように、行動が次々と続いて循環していくようになった時、自然と「あるがまま」になっていて、その人の能力が最大限発揮されているのだ。

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コメント

四分休符先生

 鈴木知準先生の下でみっちり森田の精神をたたきつけられました。でも理屈抜きで身体がそれを覚えなくてはなりません。頭でっかちでは容易な事ではありません。

 先週、私の新聞投稿が朝日新聞に掲載されました。私の神経症人生はなんだったのだろう、高齢者初心者になった私は、今思う、という内容です。
 反響が多かったと担当者様から伺い、わけても私と直接共感したいと申し出される方もいらっしゃいました。私は丁重にお断りしました。若ければまだしも、その方も高齢者。二人してグチを並び立てるのは私は良しとしませんでした。

 高良先生の「生活の発見会」というのを聞いた事があります。鈴木知準先生はこの会を良く思っておられなかった記憶があります。それは、違う、と。  なにが違うのか今もって「生活の発見会」を知りませんのでなんとも言えませんが。  若ければ、励まし合うことも可能だったかもしれませんが、この年になっては苦しくとも自分なりに乗り越えていく、それが最良と思った次第です。

 若い時には解らなかった事も何とはなしに体得できているかもしれません。


 しかし、70歳を過ぎて尚、「特異な生活」を送ってきました、つらいです、共感したいです、と訴えて来られて私はなんともやりきれない思いになった事は確かです。

 私自身は神経症を抱えた自分が私の人生と受け止め、後半人生を送ってまいりたい覚悟?でいます。確かに若い時は苦しかった。今も一人前の社会人生活は送れない。それは事実です。でもなんとかやりきりたい、そうも思っているのです。

yukimiya 様

 コメントいただきありがとうございます。

 朝日新聞に投稿されてそれが記事になったというのは大したものです。また、反響が大きかったということは、同じように悩みを抱えて生きてきている方が少なくないということです。そういう意味ではとても意義のある投稿でしたね。愚痴を並び立てるのを良しとしない、というのは森田がしっかり身についておられる証拠だと思います。
 「なんとかやりきりたい」→生き尽くそうとする姿勢のあらわれだと思いますよ。
 これからもよろしくお願いします。

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