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2020年12月31日 (木)

神経質礼賛 1820.済度(さいど)

 先週、歩いて近くのスーパーに行ったところ入口が閉まり中は真っ暗だった。どうしたのかと思ってドアに貼られた張り紙を見れば、「当店の従業員一名が新型コロナに感染したため1月3日まで臨時休業します」とある。ついに身近なところまで迫ってきたか、と恐ろしくなる。強力な感染力を持つ変異株がイギリスから日本に持ち込まれたとか、まだ53歳の国会議員が新型コロナで急死したとかいったニュースも流れる。状況は悪化している。ワクチン開発が進み接種が行きわたることに期待したいが、ワクチンが効かないような変異株もどんどん出てくるだろうから、来年中に収まるというような楽観はできない。つい内向きになり不安にさいなまれがちだけれども、よりよく生きたいという「生の欲望」に沿って、感染を恐れながらも不安なまま限られた中で日常生活を充実させる工夫を重ねて行動していくことが重要である。神経質は恐怖や不安を拡大視して自分ばかりが苦しいと思い込みがちだけれども、誰もが苦しみながら生きているのだ。

 神経質の唯我独り苦しいといふ心持は、一度び其心境を転回して、自己の素質の長所に覚醒した時には、之が直ちに唯我独尊となるのである。此心は、即ち人を恨み、自分をかこつ卑屈の心ではない。自分の全力を発揮し、人をあはれみ、周囲を済度する力であるのである。(白揚社:森田正馬全集 第2巻 p.91)

 恥ずかしながら済度という言葉を知らなかった。仏教の言葉で、菩薩が迷い苦しんでいる人間を救い(済)、悟りの彼岸に渡すこと(度)なのだそうだ。仏道が衆生済度(しゅじょうさいど)であるように、森田先生の教え・森田道は神経質済度のありがたい教えである。少しでも多くの人に知っていただけたらと思っている。

 他愛無い駄文を毎月10話ずつ書き続けて丸15年経ちました。一度動き出したら簡単には止まらない神経質のなせる業かと思います。お読みいただきありがとうございます。皆様、よいお年をお迎えください。

2020年12月27日 (日)

神経質礼賛 1819.オリーブ酒

 3週間前に少しばかりとれたオリーブの実を日本酒に漬けた話を書いた(1811話)。焼酎やワインではなく日本酒というところがミソで、麹菌の働きにより短期間でポリフェノールたっぷりのオリーブ酒ができるのだという。1週間もすると液体部分がほのかに赤くなってきた。2週間、3週間と経って実の部分の色は抜けて白っぽくなり、液体部分は薄い赤ワインのような色になった。どうやらオリーブ酒の出来上がりらしい。

 夕食の時に飲んでみる。今まで味わったことのない不思議な味だ。オリーブらしい香りがほのかにする。日本酒らしさはなくなって、すっかり洋酒になっている。400ml位日本酒を入れたのが、実が吸ってしまって飲める部分は300ml弱に減っていた。積極的にすごく美味しいという味ではないけれども、これもありかな、といったところだ。脱色された実をかじってみると、うま味成分は出てしまっている様子で、わずかな苦みを感じる程度であり、焼酎に漬けて梅酒にした梅の実のようにはいかない。ともあれ、少しばかりの自然の恵みでいろいろ楽しませてもらった。ありがたいことだ。

 こういう御時世だから食の楽しみの比重が大きくなっている。スーパーなどで入手しやすいアンデイコ(栄屋乳業)のチーズケーキについて以前書いた(1756話)。同じメーカーの定番商品「こだわり極プリン」はスーパーでよく見かけ、いつでも美味しく食べられる。3年ほど前に期間限定の「極チョコプリン」が出て、非常に美味しかった。それがまた店頭に再登場しているのを発見。濃厚な生チョコのような味が実にいい。しかも香料・着色料・保存料不使用。そして百円ちょっとで買えるのだからうれしくなってしまう。定番になることを期待しよう。

2020年12月24日 (木)

神経質礼賛 1818.いやいやのままでよい

 毎日毎日、やらなければならないことが次々と湧いて出てくる。何で自分がやらなければならないのか、というようなことも多々ある。人と会わなければならない・人のペースに合わせなくてはならないような面倒事も発生する。内心ムッときて顔に出そうになるけれども、ここが我慢のしどころだ。考えていても始まらない。そうこうしているうちに次の厄介ごとが発生するかもしれない。嫌であっても、とにかく早く手を出して、できるところから一つ一つ片付けていくに限る。相手のペースに合わせて待つのも、遅かれ早かれあることだとあきらめれば待っていられる。森田先生は次のように言っておられる。

 我々の仕事でもみなその通りです。嫌いなものは嫌いで・しかたなしに・素直に、これも生活の一つのならわしで、全生活のなかの一部分だと心得れば、なんでもない事で、いやいやながらやっているうちに、いつしか興味もでき、やらなければかえって気がすまぬようになる。 (白揚社:森田正馬全集 第5巻p.683)

 人に会った時、少々気分は悪くとも、独りムッツリしているわけにもいかないから、いやいやながらも笑顔をつくって話しているうちに、いつとはなしに、前の不快な気分も解けて来る事は、誰しも経験のある事でしょう。自分が不愉快だから笑わないというのは、人情に欠けているし、徹底した利己主義です。
(中略)
 会釈笑いもせず・シカメ面ばかりしている人は、自分の心も、いつまでも解けてはこず、人からも嫌われるように、先生に対しても、「ちっともよくならない」とか意地張る患者は、自分もいつまでも、その不快の症状にとらわれて、その執着から離れる事ができず、医者からも愛想をつかされるようになる。これに反して、少しでもよくなった事を喜んで感謝するようになると、しだいに自分のよい方面ばかりに気がつくようになり、ますます症状が軽快して全治するようになるのである。(白揚社:森田正馬全集 第5巻p.766)

 神経質人間は嫌なことを嫌でないようにしようとはからい、あくせくしがちである。しかし、それは無駄なばかりでなく、こだわってますます嫌になるという悪循環に陥る。いやいやのままでよい。いやいやのまま手を出してやっているうちにいつしかそのものになりきって、好きとか嫌とかを問題にしない状態になっているのである。気がつけば仕事は片付いている。

2020年12月20日 (日)

神経質礼賛 1817.木星・土星 超大接近

 今、日が沈んだ後、西の空にひときわ明るく光っているのが木星である。その後を追うようにもう一つ見えるのが土星だ。昨日、仕事を終えて帰宅してすぐにそのままの服で双眼鏡を持って屋上に上がる。西のビル群の少し上に木星が見え、すぐそばに土星が見えた。よくある8倍の双眼鏡で木星を中心に持ってくると土星は視野の半径4分の1位にまで近づいている。つい数日前は視野の半径の半分以上離れていたからだいぶ近づいてきた。明日12月21日からあさって22日にかけて角度にして0.1度(満月の直径の約4分の1)の最接近とのことだ。

 もちろん、実際に接近しているわけではなく、地球から見て同じ方向に見えるだけのことだ。木星の公転周期は約12年、土星は約30年だから、ほぼ20年ごとに接近して見えることになる。しかし、厳密にはどちらも楕円軌道であり、両者の軌道はわずかに傾いており、中心の太陽ではなく地球から観測しているといった条件により、接近の程度は変化する。今回は397年ぶりの大接近なのだそうだ。これほどの大接近は次は60年後の2080年だというから珍しい現象と言えよう。

 流星群の観察のように暗い場所を選び十分に目を慣らしてから見なくても、街中でも短時間に簡単に観察できる。あまり天文に興味のない方も一見の価値があるからオススメである。毎日、息の詰まる生活だけれどもちょっと目先を変えればこんなこともあるのだ。たまには広い宇宙に思いを馳せてみよう。

2020年12月17日 (木)

神経質礼賛 1816.年金請求

 2か月ほど前に日本年金機構からA4判の黄緑色の封筒で年金請求の書類が送られてきた。申請に必要と思われる書類(戸籍謄本の写し、住民票、配偶者の課税証明書)はあらかじめ市役所で取ってきておいた。雇用保険被保険者証も必要らしいのでコピーをもらっておいた。書類に間違いがあってはいけないし、説明書ではわかりにくい部分もあるので、「街角の年金相談センター」に予約して説明してもらいながら書いて提出することにした。自分の年金手帳だけでなく念のため妻の年金手帳も持っていく。10日ほど前に企業年金連合会から小さめの黄緑色の封筒で連合会老齢年金の裁定請求書というものも送られてきているので、これも持って行く。

 相談センターは駅近くのビルの中の便利な場所にある。受付で申込用紙をもらい、手を消毒して呼ばれるのを待つ。呼ばれてからアクリル板越しに担当者と話をして書類に記入していく。私の場合、医大に入る前に4年間勤務していた会社と研修医の時に沖縄で勤務した病院が企業年金連合会に該当し、これは日本年金機構とはまた別に手続きが必要とのことだった。それに添付する住民票は、日本年金機構に提出するものをコピーで済ませてくれたため、改めて市役所へ取りにいく手間が省けてよかった。45分の予約枠のうち30分少々で記入を完了し提出できた。

 とはいえ、私はまだ働いていて収入があるため、実際に受け取れる年金はゼロ円なのだそうだ。ならば、最初から年金受給を繰り下げた方が得な気もするが、いつ病気で倒れて働けなくなるかわからないし、前の勤務先の医師たちも、もらえないのは承知で手続きしていると聞いていたので、手続きをした。帰宅してから企業年金連合会の方の書類を記入して郵送した。これで年金請求の手続きは完了だ。年金をもらえなくて損ではあっても、働けるのは幸せなことである。

2020年12月13日 (日)

神経質礼賛 1815.足元灯

 88歳の義父が施設に入って二晩目にさっそくトイレで転倒して頭部切傷。救急当番病院に連れて行ってもらって6針縫合となったそうだ。翌朝、施設から電話があって妻が様子を見にいったら元気そうで、念のため、また後日受診するとのことだった。1年半同居している間、義父が夜中や明け方にトイレに行く際に何かあったらどうしようと心配していて私も目を覚まして耳を澄ませていたが幸い何もなかった。暗くなると点灯する足元灯をベッド近くのコンセントに差し込んでおいたし、部屋を出た所には階段の足元灯があってすぐ横がトイレだ。そして狭い家なので仮によろめいても壁に手が届くから、何とか家の中ではトラブルなしで済んでいたのだ。施設の居室は広めのワンルームマンション風である。今までベッドの右側が壁だったのが、今度は左側が壁だから夜中に目が覚めた時に感覚が違ったということもあるかもしれない。とにかく今まで使っていた足元灯を施設に持っていこう、ということになった。

 以前の勤務先の病院の当直室はベッドの右側が壁、自宅のベッドは左側が壁だった。月に8-10回当直していたから、病棟からのコールの電話が鳴ったような気がして跳ね起きたら自宅だったということがあった。夜中にふと目を覚ますと自宅なのか当直中なのか一瞬わからなくなって、壁側に降りようとしたこともたびたびあった。今の勤務先では当直は月2回の精神科救急当直だけになったし、自宅の寝室には足元灯を付けたので、そういうことはなくなった。「転ばぬ先の杖」は神経質の得意技である。

2020年12月10日 (木)

神経質礼賛 1814.マスクをしての合奏

 1年ぶりに楽器を肩にして友人の家を訪れた。実は母が入所した老人ホームのすぐそばである。新型コロナの影響で今までは訪問を控えていた。私は病院勤めだし、友人も高校教師なので、万一の場合を考えると慎重になる。かつては休日のバスは結構乗客がいたけれどもこの日は少なく、バスも減便になっていた。

 普段、家の中ではマスクをしないで楽器を弾いていて、マスクをして楽器を弾くのは生まれて初めてであり、ちょっと違和感がある。今度会った時のために、と半年前にバッハのヴァイオリンソナタ第4番の楽譜を送ってあったので、まずそれから弾く。バッハが最初の妻マリア・バルバラを亡くした頃作った曲だと言われていて、哀しげなシチリアーノから始まるが、第2楽章の半音階で上がっていく部分はちょっとした高揚感がある。第3楽章のチェンバロパートは「主よ人の望みの喜びよ」を連想させヴァイオリンが牧歌的な旋律を乗せる。次にモーツアルトのソナタを2曲、しばらくぶりに弾くとすっかり忘れていて初めて弾くような感じにとらわれる。そしてフランクのソナタの第4楽章フィナーレ。ヴァイオリンとピアノが美しい旋律で追いかけっこをする。ヴァイオリンは気持ちいいけれども、ピアノが大変な重労働である。フランクが同郷の後輩・ヴァイオリニストのイザイの結婚を祝ってこれを作曲した歳はちょうど今の私の歳と同じだった。人生のフィナーレをこんな風に輝かしく飾れたらすばらしいと思う。そこで休憩。食べ物や飲み物を口に運ぶ時はマスクをはずし、それ以外の時はマスクをするという面倒な作業を繰り返す。それでも友と合奏し、酒を酌み交わすことができるのはとても幸せなことだ。ほろ酔い加減になってからクライスラーの小品やポップス曲を弾く。至福の時はあっという間に過ぎる。

 例年ならば年2回位は東京の美術館を見て、晩秋には日帰り京都の旅を楽しむところだが、今年一年は全く県外には出なかった。東京の美術館の多くは入館できるようになってきたものの、出光美術館は閉館したままで仙厓さんの禅画にもお目にかかれない。GOTOキャンペーンの愚策のために感染は拡がり医療危機一歩手前だ。このままオリンピックを強行しようとすれば大惨事となる懸念もある。とにかく来年には何とか終息して欲しい。友との合奏がリモート合奏にならないことを望む。

2020年12月 6日 (日)

神経質礼賛 1813.元気をもらえる絵画

 ローカルニュースで掛川駅構内の「これっしか処ギャラリー」に統合失調症闘病中の方が描かれた絵画が展示されていると知った。短い時間、テレビ画面に紹介された作品を見て、とても温かみのある感じがして、見に行ってみたいと思った。ところが、仕事帰りに行ってみるといつもシャッターが半分降りていて入れない。ここは午後5時に閉まってしまうのだった。せめてあと30分開けてくれていたらいいのに残念だ。

 そう思っていたら、静岡駅北口地下イベントスペースに障害者の方々が描いた絵画が数枚展示されていた。こちらは朝から晩まで自由に見ることができる。おりしも12月3日から9日は障害者週間ということで、県内あちこちに障害者の方々の作品が展示されているということだ。ちょうど通りがかりに目に留まったのは「森の住人」という作品。森の動物や木々や花たちが賑やかに描かれている。そして「かえる」という作品に目が行く。赤・黄・緑・青など自由な配色のかえるなどの水中動物たちが動き回っている。見ていると理屈抜きで楽しくなってくる。まさに元気をもらえる絵画である。どちらも菊川市内にある障害者施設で暮らしている方が描かれたものだ。新型コロナのために息が詰まるような生活をしている人々にとって、ほっとできるありがたい絵画である。特に、「かくあるべし」に翻弄されやすい私たち神経質人間は、こういう「純な心」の自由な発想で描かれた絵画を観て、カチコチになっている頭の中身をマッサージするのもよさそうである。

2020年12月 3日 (木)

神経質礼賛 1812.終の棲家

 昨年の夏から我が家に来ていた義父が介護付有料老人ホームに入所することになった。介護認定なしでも入所できる施設ということで申し込んでいたが、空きが出なくて長いこと入所待ちになっていた。最近になって介護認定を受けている。先月、母が別の介護付有料老人ホームに入所したばかりで、またまた入所時に必要な物品を買い揃えるのに慌ただしい。義父が使っていた机と椅子は3階から1階に下ろし、施設の人が契約に訪れた際に運んで行ってもらった。部屋で見るテレビを新たに購入。電気スタンドも欲しいというので注文する。一方で、母の施設からは、そろそろ尿パッドが残り少ないから届けて下さい、衣類も欲しいと言っています、という連絡があり、こちらも何とかしなくてはいけない。ドラッグストアで買ってくる。かつては子供の紙おむつを買った頃もあった。今は親の紙おむつや尿パッドである。そのうち自分もそういうものが必要になるのだろうなあ、と思いが巡る。それでも子供が同じ市内に住んでいて、必要なものを買って届けてくれるならばまだいいが、遠くに住んでいたらどうなるのだろうか。いろいろ考えてしまう。

 終の棲家という題名の小説やドラマがよくある。住み慣れた我が家で最期まで過ごせるのは実際にはなかなか難しい。配偶者がいてもいずれはどちらかが「お一人様」になる。さらに心身が弱ってきたら、施設や病院が終の棲家となるだろう。そんなことを考えていると神経質らしく「死の恐怖」が膨らんで不安が頭をもたげてくる。しかしいくら考えたところで、誰もがいつかは無に帰していくだけのことだ。「死の恐怖」と表裏一体の「生の欲望」に沿ってよりよく生きていこう。今できることをやって生き尽くしていくのだ。

2020年12月 1日 (火)

神経質礼賛 1811.プチ収穫

 小さな花壇から大きく伸びたオリーブの木に少し実が生り(1796話)、緑→黄→赤→紫→黒と色が変わってきた。風で落ちてしまうものもある。そこで、収穫してみると、25粒あった。食卓の私のランチョンマットはオリーブの絵柄なので、そこに置いてみる。見て十分楽しんだからいいや、と思いつつも、何かに使えないかと調べてみる。そのまま食べたら苦味が強烈らしい。虫や鳥に食べられないようになっているのだ。食用として売られているオリーブの実は渋抜きされている。強アルカリの水酸化ナトリウムで処理している場合が多い。これは危険なので、家庭では手に入りやすく安全な炭酸水素ナトリウム(重曹)を使って渋抜きをする方法もあるとのことだ。その他に水や塩水に漬けて丹念に水を入れ替えていく方法もあるが、手間がかかり根気が必要らしい。ワインや焼酎に漬けてポリフェノールたっぷりのオリーブ酒にするといいらしいけれども1年位かかるという。意外とよさそうなのが日本酒に漬けるというものだ。麹菌の働きで、半月ほどで赤い色のオリーブ酒が出来上がるそうだ。手間が少ないし、プチ収穫量に見合った利用法はこれだ、と決めた。洗って水を切ったオリーブの実を透明の容器に入れ、日本酒を2合入れた。さて、どうなるか。楽しみである。

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