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2020年12月24日 (木)

神経質礼賛 1818.いやいやのままでよい

 毎日毎日、やらなければならないことが次々と湧いて出てくる。何で自分がやらなければならないのか、というようなことも多々ある。人と会わなければならない・人のペースに合わせなくてはならないような面倒事も発生する。内心ムッときて顔に出そうになるけれども、ここが我慢のしどころだ。考えていても始まらない。そうこうしているうちに次の厄介ごとが発生するかもしれない。嫌であっても、とにかく早く手を出して、できるところから一つ一つ片付けていくに限る。相手のペースに合わせて待つのも、遅かれ早かれあることだとあきらめれば待っていられる。森田先生は次のように言っておられる。

 我々の仕事でもみなその通りです。嫌いなものは嫌いで・しかたなしに・素直に、これも生活の一つのならわしで、全生活のなかの一部分だと心得れば、なんでもない事で、いやいやながらやっているうちに、いつしか興味もでき、やらなければかえって気がすまぬようになる。 (白揚社:森田正馬全集 第5巻p.683)

 人に会った時、少々気分は悪くとも、独りムッツリしているわけにもいかないから、いやいやながらも笑顔をつくって話しているうちに、いつとはなしに、前の不快な気分も解けて来る事は、誰しも経験のある事でしょう。自分が不愉快だから笑わないというのは、人情に欠けているし、徹底した利己主義です。
(中略)
 会釈笑いもせず・シカメ面ばかりしている人は、自分の心も、いつまでも解けてはこず、人からも嫌われるように、先生に対しても、「ちっともよくならない」とか意地張る患者は、自分もいつまでも、その不快の症状にとらわれて、その執着から離れる事ができず、医者からも愛想をつかされるようになる。これに反して、少しでもよくなった事を喜んで感謝するようになると、しだいに自分のよい方面ばかりに気がつくようになり、ますます症状が軽快して全治するようになるのである。(白揚社:森田正馬全集 第5巻p.766)

 神経質人間は嫌なことを嫌でないようにしようとはからい、あくせくしがちである。しかし、それは無駄なばかりでなく、こだわってますます嫌になるという悪循環に陥る。いやいやのままでよい。いやいやのまま手を出してやっているうちにいつしかそのものになりきって、好きとか嫌とかを問題にしない状態になっているのである。気がつけば仕事は片付いている。

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コメント

四分休符先生
 年が明けました。本年もよろしくお願い致します。

 昨年、12月の臘八接心の際、最終日に体調を崩しました。まさかまさかの挫折でした。以降、40年前に逆戻りしてなにもかも「いやいや」で逃げてばかり。これはいかんとばかりに臘八接心満了後の9日からも毎朝5時半から6時半に掛けての40分ほど坐る事元旦を除いて毎日。
 
 坐る事はきっかけ、気付きに過ぎません。私は漫然と坐っていました。学校生活で言えば、保健室坐禅よろしく逃げ坐禅。多分、こんな調子であると絶望的に坐っていると思います。今朝も坐ってきました。

 「過去の自分は他人」そんな言葉に目が止まりました。あぁ、そうだ、今この瞬間が私。今朝の坐禅堂へ向かう私のバイクは軽快でした。瞬時後軽快とはいかないかもしれません。65歳まで引きずり人生だった神経質人ですから。

 しかし、瞬時後も瞬前の私は他人と体得出来るよう希求する私です。今に生きる。何度私はそれを繰り返してきた事でしょう。道元からも鈴木知準先生からも口酸っぱく言われてきました。言葉では言えるのです。体得できないのです。出来なかったのです。これからもわかりません。
 「いやいや」でも手を出す。いやいやは過去の他人。手を出す私は瞬時の私。

 ただただ希求します。気付きであって欲しい。年初にこんな事があった、という事です。  
 ・・・失礼致しました。

yukimiya 様

 新年おめでとうございます。
 お釈迦様が悟りを開いた12月8日に因んで1週間座禅に集中する厳しい修行に取り組まれたのですね。さらにその後も自発的に続けておられたのですね。私のような悟りと無縁の凡人には到底できることではありません。ただし、森田の教えは誰にでもいつでもどこでも実行可能です。仕方なしにいやいやなままに手を出していく習慣が身に付けばしめたものです。

 世の中の現実で、誰もが人並みにそうやっているところの「苦しいままに働く」、それが小学程度、次に「苦しい事はいやである」そのままの事実を認識するのが中学程度、さらに「いやとか好きとかの名目を超越した」のが大学程度である。
 なおついでに、も少し説明を加えておく。
「苦しい事はいや」「手軽にできぬ事は面倒」という事実を、動かすべからざる事とすれば、ありふれの教育家や道徳家のいうように、「いやとか・面倒とか思ってはならぬ」「忍耐力を養わねばならぬ」とかいうような、余計な精神葛藤のむだ骨折りをしなくなり、いやな事は好きなように改良し、面倒な事は、早く仕上げるような工夫をするから、心は絶えず進歩と創造とで引きたつようになるのである。(白揚社 森田正馬全集 第5巻p.653)

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