神経質礼賛 1812.終の棲家
昨年の夏から我が家に来ていた義父が介護付有料老人ホームに入所することになった。介護認定なしでも入所できる施設ということで申し込んでいたが、空きが出なくて長いこと入所待ちになっていた。最近になって介護認定を受けている。先月、母が別の介護付有料老人ホームに入所したばかりで、またまた入所時に必要な物品を買い揃えるのに慌ただしい。義父が使っていた机と椅子は3階から1階に下ろし、施設の人が契約に訪れた際に運んで行ってもらった。部屋で見るテレビを新たに購入。電気スタンドも欲しいというので注文する。一方で、母の施設からは、そろそろ尿パッドが残り少ないから届けて下さい、衣類も欲しいと言っています、という連絡があり、こちらも何とかしなくてはいけない。ドラッグストアで買ってくる。かつては子供の紙おむつを買った頃もあった。今は親の紙おむつや尿パッドである。そのうち自分もそういうものが必要になるのだろうなあ、と思いが巡る。それでも子供が同じ市内に住んでいて、必要なものを買って届けてくれるならばまだいいが、遠くに住んでいたらどうなるのだろうか。いろいろ考えてしまう。
終の棲家という題名の小説やドラマがよくある。住み慣れた我が家で最期まで過ごせるのは実際にはなかなか難しい。配偶者がいてもいずれはどちらかが「お一人様」になる。さらに心身が弱ってきたら、施設や病院が終の棲家となるだろう。そんなことを考えていると神経質らしく「死の恐怖」が膨らんで不安が頭をもたげてくる。しかしいくら考えたところで、誰もがいつかは無に帰していくだけのことだ。「死の恐怖」と表裏一体の「生の欲望」に沿ってよりよく生きていこう。今できることをやって生き尽くしていくのだ。
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