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2021年1月31日 (日)

神経質礼賛 1830.朝の満月

 朝夕、駅のホームで20分ほどじっと電車を待っているとすっかり体が冷え切ってしまう。風が強い時は早く電車が来てくれないかと待ち遠しいが、そんな時に「雪のため遅れています」などとアナウンスが入るとガッカリである。それでも、朝も夕も明るくなってきた。来週は寒さが緩んでくるとの週間予報である。春遠からじといったとことだ。

  昨日の朝はホームからふと見上げると、西の空、阿弥陀くじのように見える架線の間をゆっくりと満月が下りていくのに気が付いた。電車を待っている間にずいぶん動いていくものだ。ふと、与謝蕪村の俳句「菜の花や 月は東に 日は西に」を思い浮かべる。おっと、これは逆パターン、夕方の情景だった。蕪村が夕刻に六甲山地から一面の菜の花を眺めながら詠んだ春の句だという。俳句作りがうまい人だったらこのホームから見た光景できっと何か一句ひねるに違いない。冬の月 引くや架線の 阿弥陀くじ。これではちびまる子ちゃんのおじいちゃん友蔵さんレベルの俳句だなあ。などとあれこれどうでもいいことを考えているうちに電車がホームに入ってくる。しばしの間、寒さを忘れていた。「心は万境に随(したが)って転ず」(300話)である。いろいろなことはあっても毎日は何とか回っていく。これでいいのだ。

2021年1月28日 (木)

神経質礼賛 1829.ムーミン切手

 毎年、年賀ハガキを買う際には残りをなるべく出さないように、神経質らしく、前年実績を参考に枚数を決めている。余りが多いともったいないし、ゆとりがないと予定外の人(患者さんなど)からもらって返事を書く分が足りなくなって困ることになる。今回は未使用と書き損じの年賀はがきは合わせて7枚で、まずまずの成績である。これらのハガキは郵便局で1枚5円の手数料を払って普通ハガキか切手に交換してもらっている。たまたま残りハガキの中にお年玉切手が当たっていたものが1枚あったので、ハガキの交換ついでにそれをもらいに行く。今年のお年玉切手は63円が鶴の絵柄、84円が亀の絵柄で、円形なのが画期的だ。記念切手には円形や半円形や五角形などのものが以前からあったけれども、お年玉切手で四角形以外は今まで見た記憶がない。

 待っている間、壁のポスターを眺めていると、発売中の記念切手の中にムーミンの切手があるのに気が付いた。カラフルで楽しそうな絵柄だ。子供が小さい頃はこうした切手を買っておくと子供が喜ぶのでよく買ったものだ。1月15日発売のもので、まだ在庫があるというので、久しぶりに63円切手と84円切手のシートを両方買う。63円の絵柄では10枚ともちょっと生意気そうなリトルミイが描かれていて主人公のムーミントロールよりも出番が多い。人気があるのだろうか。そういえば静岡県立美術館でムーミン展が始まっている。近いうちにフィンランド生まれの妖精たちに会いに行こうと思う。

2021年1月24日 (日)

神経質礼賛 1828.甘酒(2)

 長年、病院で働いていると、患者さんと同じ病院食を食べ続けることになる。私は県外の病院で働いたのは沖縄の病院だけだ。そこでは沖縄の郷土料理がよく出たものだ。豚足を煮込んだ「てぃびち」は骨付きなので、患者さんが誤って喉に詰まらせて大騒ぎになってことがある。麺類と言えば「沖縄そば」だったし、「ジューシー」という炊き込みご飯、ハリセンボンの「あばさー汁」も出た。それから30年近く経っているから、今ではこちらと変わりない病院食になっているかもしれない。

 同じ県内でも所変われば味変わる。今の病院に移って一番違いを感じるのがカレーだ。今まで家のカレー、レトルトカレー、食堂のカレー、学食のカレー、多くの病院食のカレーを食べてきて、どれもおいしく感じていたのだが、ここのはどうも馴染めない。ある時、栄養士さんに聞いてみたら業務用のルーを使っているとのことだし、職員さんたちも「美味しい」といって食べている。私がおかしいのだろうか。謎である。

 そして、不思議なのは、時々甘酒(758話)が出ることである。それを味噌汁のお椀で飲む。昨日も焼魚・肉じゃが・椎茸煮・野菜の和え物というメニューに甘酒が付いてきた。甘酒は栄養価が高く、「飲む点滴」と言われているくらいだから、病院食に出てもおかしくないのだろう。しかし、寒い時期に寺社拝観の帰りに近くの茶店で冷えた体を温めてくれる甘酒の方が似つかわしい。また京都に行ける日が来るのが待ち遠しい。

2021年1月21日 (木)

神経質礼賛 1827.マイナス(ネガティブ)思考も必要

 私たち神経質人間は物事を悪い方へ悪い方へ考えがちである。もしこうなったらどうしよう、ああなったらどうしよう、と心配する取越苦労が体にしみ込んでいる。心理カウンセラーさんに相談したら、きっと「マイナス(ネガティブ)思考は損だから、もっとプラス(ポジティブ)思考で考えてみましょうよ」という言葉が返ってくるに違いない。私自身も患者さんについ、そのように言ってしまうことがある。しかし、本当にマイナス思考はいけないのだろうか。ともすれば、プラス思考であるべきだ、という「かくあるべし」にとらわれ過ぎているのではないだろうかと思うことがある。

 昨日、アメリカ合衆国の大統領にバイデン氏が就任した。立つ鳥跡を濁さずの正反対、前大統領のトランプ氏は最後まで選挙での負けを認めず自分が勝っていると主張し続けた。バイデン氏の大統領就任式を欠席するばかりでなく、ツイッターを用いて支持者を扇動して前代未聞の議会乱入事件で死傷者を出した。「アメリカ・ファースト」と言いながら実際は自分と自分の親族の利益を徹底的に追求した「トランプ・ファースト」だったことに支持者たちは気付かずに騙され続けてきた。新型コロナを軽視してマスクを着用しないことを勧め、自分自身が新型コロナ肺炎にかかり、周囲にも感染させた。トランプ氏が大統領でなかったらアメリカの新型コロナ死者は何万人も減ったかもしれない。反省心は完璧に欠如しており、自分の間違いは一切認めず、すべて相手のせいにする強弁を繰り返してきた。この人こそプラス思考の権化ではないだろうか。強大な大統領の権限とカネの力があったから、それで済まされてきたが、普通ならば身の破滅を招くところである。

 本来はプラス思考とマイナス思考のバランスが適度に取れているのがベストなはずである。一度しかない人生だから、安全によりよく生きていくためには失敗を恐れ、それを防いでいくことが大切であり、そのためにはマイナス思考も必要なのである。プラス思考だけで無謀な行動を重ねたらいくら命があっても足りないだろう。特に事実を無視した独りよがりのプラス思考は危険である。マイナス思考を含めて熟慮した上で行動した時、神経質が最大限生きてくる。その好例が、徳川家康(209話)であり、松下幸之助(211・1670話)であり、出光佐三(689話)であり、安藤百福(720話)である。そして私財を投じてメンタルヘルス岡本記念財団を創立され、森田療法の普及に貢献された、岡本常男さん(37・871話)を忘れてはいけない。

2021年1月17日 (日)

神経質礼賛 1826.新春ミニコンサート

 先週の水曜日、高齢者・認知症患者さんの病棟の看護師長さんから楽器演奏の依頼を受けた。先月、デイケアでクリスマス曲を少しばかり弾いたのが話題になっていたらしい。先送りすると、いろいろな予定が飛び込んでくるので、すぐの土曜日にということで引き受けることにした。練習している時間もないから、前の病院の行事で弾いたことのある曲を並べる。①ヴィヴァルディ『四季』から春の第一楽章 ②花は咲く ③千本桜 ④ジュ・トゥ・ヴ というラインアップである。

 弾き慣れた曲とは言え、前話のように両手の指はひび割れ・あかぎれだらけでコンディションは良くない。家で通して2回練習してみたのがやっとだ。本番でトラブルが起きても対処できるように、伴奏音源の入ったMP3プレーヤーとスピーカーは2個ずつ用意した。このあたりは神経質のなせる業である。

 昨日が本番。先月デイケアで弾いた時はロッカーに入れっぱなしのエレキヴァイオリンを使用したが、今回は家から本物を持参。普段患者さんたちが食事をするホールで演奏する。ビデオカメラを構えている職員が二人もいるのに気づき、少々緊張する。下手なりに流れに乗って演奏するのだが、小さいミスは多発するから、正直言って録画はありがたくない。気持ちよさそうに眠ってしまっている患者さんもいるけれども、曲に合わせて体を動かしながら聞いてくれる患者さんをみつけると、こちらもうれしくなる。一通り弾き終わってから、おまけに無伴奏の重音で童謡の「故郷」を弾く。本来ならば一緒に大きな声で歌ってもらえるといいけれども、感染症対策のため禁物だ。「小声でこっそり歌って下さい」と告げる。またの機会のために、童謡のヴァイオリン無伴奏編曲を作っておこうと思う。

2021年1月14日 (木)

神経質礼賛 1825.ひび・あかぎれ

 1月に入って寒い日が続いている。外来部門のある管理棟から病棟への通路は風が吹きっ晒しなので白衣1枚ではたまったものではない。特に当直中、夜中や明け方に病棟に行く時には震え上がる。そこで目立たない薄いグレーのベストを購入して白衣の下に着るようにしている。もっとも寒いとはいっても北国・雪国の皆様の御苦労に比べたら全く大したことではない。道路上に車が1日以上も立往生とか、雪下ろし中の転落事故とかいうようなニュースを見ると本当に大変だなあと思う。

 今年は手足のひび・あかぎれがひどい。寒くなって空気が乾燥していることや加齢に伴う老人肌化によるだろうが、例年と違い、感染症対策のため手洗いや消毒の回数が増えたことが最大の原因だと思う。強迫性障害の不潔恐怖のために頻回に長時間の手洗いをしている人に見かけたようなことが自分にも起こっているのである。皮膚表面のバリアが損傷してひび・あかぎれができてしまうのだ。感染症対策のためのチェックリストを月1回、病院のパソコンに各自入力することになっていて感染症対策の責任者がチェックしている。その中には(主として看護師さんや看護助手さんのように直接患者さんに触れる人向けの設問と思われるが)パソコンのキーを消毒するとか腕時計をしないようにするとか鍵は何度も消毒するとか手洗いは肘まで洗うとかいったものもあって、一つ間違うと不潔恐怖レベルであり、私は十分に達成できていない。不合格である。その場その場に適合する程度の対策はしているつもりだけれども。

 手洗いの後に保湿クリームをこまめに塗れば効果がありそうだけれども、感染症対策上それはまずいし、第一そんなことをやっている暇はない。夜、風呂を出て寝る前に手指と足の踵にオロナイン軟膏を擦り込むのがやっとである。当分はこれで辛抱だ。

2021年1月10日 (日)

神経質礼賛 1824.大正生まれの外来患者さん

 外来担当日に電子カルテ画面を開くと、受付を済ませた人と予約になっている人が一覧で表示される。受付番号で呼び出して順次診察をしていく。午前中だけで30-40人程度の予約が入っている。一人6分として1時間で10人が限度。どうしても時間オーバーになる。その間にも病棟や訪問看護師さんからの急ぎの連絡、外来患者さんからの外線電話、調剤薬局からの疑義照会FAXが割り込んでくる。状態が悪い人を入院させたりするとその処理に時間がかかって、さらに時間はずれ込んでいく。まさにドキドキハラハラものである。

 電子カルテの患者さんの一覧には名前だけでなく年齢も表示される。いつも目を疑う人がいる。杖はついているが、しっかりした足取りで一人で診察室に入って来る。病院までは子供さんが送ってきてくれるとのこと。髪は染めていて、お若く見える。しかし、画面の表示は大正生まれの御年96歳。不眠と不安を主訴に長年通院している人である。「もうダメだよ。あと半年だね」と口癖のように言うが、私の前任の先生(元T医大教授・87歳)からはいつも「百まで生きられるよ」と言われていたそうだ。私なんぞまだ小僧である。日中はどのようにお過ごしですか、と伺えば、家事や身の回りのことを片付けた後は「近くへコーヒーを飲みに行くだよ」「そこでしゃべくっちゃあいるだよ」という答えが返ってくる。

 この方がお元気で長寿である秘訣はコーヒーのポリフェノール効果や人との会話もあるかもしれないけれども、一番は神経質であることだと思う。元来心配性だから無茶はしない。「もうダメだ」と言いながら身の回りのことをこなして行動していく。そして、楽しみも見つけて生活をしている。そうこうしているうちに一日一日と過ぎてゆき、自然と「日々是好日」(50話)になっているのだと思う。あやかりたいものだ。

2021年1月 7日 (木)

神経質礼賛 1823.三日坊主

 今年のお正月は帰省や旅行を控えて家で静かに過ごされた方が多いかと思う。時間があるから新たに今年は○○してみようというプランを考えた方もおられるだろう。しかし、仕事や学校が始まってまた日常に戻るといつしか忘れ去られてしまいがち。いわゆる三日坊主になってしまいやすい。三日坊主とは、出家しても修行に耐えられずに三日で投げ出して還俗するような僧侶にたとえて、飽きっぽくて何をやっても長続きしないことをいう言葉である。

 師の大原健士郎先生から頂いた「三日坊主の心理学」(PHP文庫)という本がある。大原先生に言わせれば、神経質は自己内省的傾向が強いので、根気の続かない三日坊主を自認し反省していても客観的にはそうでないという。入院森田療法の最初の1週間、何もしないで臥床しているだけの絶対臥褥期というものがある。典型的な神経質者だと、安静期→煩悶期→退屈期という経過を辿り、臥褥を終えるとまるで生まれ変わったかのように作業に取り組んでいく。その点、「移り気型」三日坊主だと、じっと寝ていることができず、庭に出たり他の患者に話しかけたり、あげくのはては、早々と退院してしまうのがおちである。「無気力型」三日坊主は基礎的なエネルギーが不足しているから十日でも二週間でもいつまでも寝ているだけで自発性は出てこない。また「無能力」三日坊主は一週間の臥褥に耐えられない者が多いが耐えたとしても自発性が長続きしないという。そもそもこういう人たちは反省心が乏しいから、自分が三日坊主であることに気が付いていない。

 だから、神経質の場合、プランを立てたら少しでもいいから実際に手をつけてみることだ。自分はダメだ、長続きしないなあ、と思いながら、やりかけなのはいつまでも気にしているから、時々思い出したように続きをやっていく。長い目で見ればいつしか目標を達成できていることも少なくないのである。

2021年1月 3日 (日)

神経質礼賛 1822.静かな正月

 令和3年がスタートした。ニュースを見ていると、街の人出は例年よりも少なく、神社仏閣に初詣する人も分散化して、静かな正月となっている。ウイーンフィルのニューイヤーコンサート中継を見ると、オーケストラの前にはバラの花などが美しく飾られいつも通りの演奏。団員たちはマスクを付けずに密な状態で演奏している。が、観客席が映し出されると無観客であることがわかる。当然、拍手や歓声はなく、恒例の〆のラデッキー行進曲ではいつもなら聴衆たちの手拍子に指揮者が振り返って強弱の指示を出すお馴染みの場面もないのは寂しい。2、3年すればまた元に戻るだろうか。

 昨日は妻の実家へ。一人暮らしをしていた義父が1年半前に我が家にやってきて、さらに先月に施設入所した。このため妻の実家は無人状態が続いている。昨年末には植木屋さんに入ってもらい庭木の手入れをしてもらったけれども、主のいない家は寂しい。私の子供たちは双子だったので、手がかかるということで、私は単身赴任して、妻と子供たちは3歳までこの家のお世話になった。この家で子供たちと遊んだのがつい昨日のことのように思い出される。平屋建て、水屋のある茶室付の純日本家屋だけれども処分することになっている。いずれ取り壊されて更地になってしまうことだろう。一抹の寂しさを感じる。義母の墓参りをした後、しばらくぶりに瀬戸川の土手にある日限地蔵さんに初詣である。

 今日は正月三が日最終日。前の病院よりも年末年始休暇が長いので、入院患者さんたちがどうなっているか気になってこっそり出勤することにした。1週間も休んだら電子カルテには大量の報告事項が溜まっていることだろう。「患者には盆も正月もないんだよ!」という大原健士郎先生の言葉が飛んできそうだ。

2021年1月 1日 (金)

神経質礼賛 1821.神経質戦国大名

 年末年始のTV番組は大量に作り置きしたものを流すから概して面白くない。と思っていたら、年末28日にテレビ朝日の4時間番組「戦国大名総選挙」というものがあった。長いのでビデオに録画しておき、CMを飛ばしながら二回に分けて見た。一般・専門家・AIの評価により1位から30位までのランキング発表である。それぞれの大名のエピソードや居城などが紹介され、興味深かった。放送済みであるから、結果を御紹介しよう。
 1位 織田信長、2位 武田信玄、3位 豊臣秀吉、4位 上杉謙信、5位 毛利元就、6位 徳川家康、7位 伊達政宗、8位 黒田官兵衛、9位 真田昌幸、10位 本田忠勝、11位 島津義弘、12位 明智光秀、13位 斎藤道三、14位 立花宗茂、15位 北条早雲、16位 蒲生氏郷、17位 北条氏康、18位 小早川隆景、19位 藤堂高虎、20位 石田光成、21位 井伊直政、22位 大谷吉継、23位 前田利家、24位 浅井長政、25位 今川義元、26位 加藤清正、27位 上杉景勝、28位 柴田勝家、29位 龍造寺隆信、30位 毛利輝元
 どうですか、皆さんの郷土出身の大名や贔屓の大名は入っていましたか。どうして真田幸村や直江兼続が入っていないだ、と思われる方もおられるかと思う。戦国武将としては極めて人気は高いが知行1万石以上が大名の条件なので、ランキング対象外ということなのだと思う。

 徳川家康が6位なのは意外な感じがする。一般や専門家の評価は3位くらいなのだが、AIの判定では、武田信玄との戦いで何度か敗れているため低くなってしまったらしい。神経質戦国大名ということでは私は断然トップに挙げたい。もともと胃腸が弱く自ら薬を調合していたし、パニックに陥り「もうダメだ、自害するしかない」と思い込んで周囲に止められたことが何度もあり、神経質の弱力性が表面化することがある。しかし、同時に生の欲望も強いからどん底を蹴って這い上がって大望を遂げている。
 頭脳明晰な石田三成も神経質大名だったと私は考えており、関ケ原の戦いは神経質同士の大戦だったと言えそうだ(1425話)。一見、大豪傑に見える加藤清正も朝鮮出兵の際に飢餓に苦しんで以来常に米を身に着けていたし、過剰防衛にも思えるような熊本城を作り上げたあたり、心配性の面も見え、神経質だった可能性がある(843話)。武田信玄や上杉謙信が出家した理由はよくわかっていない。どちらも一族や家臣のもめごとが多く、嫌気がさした、あるいはそれをまとめるために出家したのではないかという説がある。二人とも循環気質的な性格かもしれないが、禅を学んで教養が高く、経済運営がうまく、気配り上手だったあたりからは、神経質な面も持ち合わせていたかもしれない。
 戦国時代にはただ豪胆で腕力が強いだけは生き残れなかった。戦で勝つための経済力、兵の多くは普段は農民だったから人心掌握術も大いに必要とされた。エピソードを調べてみると、意外と神経質だった大名・武将もいるものである。私たち神経質もその性格を生かして困難な時代を生き抜いて行こうではないか。

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