神経質礼賛 1822.静かな正月
令和3年がスタートした。ニュースを見ていると、街の人出は例年よりも少なく、神社仏閣に初詣する人も分散化して、静かな正月となっている。ウイーンフィルのニューイヤーコンサート中継を見ると、オーケストラの前にはバラの花などが美しく飾られいつも通りの演奏。団員たちはマスクを付けずに密な状態で演奏している。が、観客席が映し出されると無観客であることがわかる。当然、拍手や歓声はなく、恒例の〆のラデッキー行進曲ではいつもなら聴衆たちの手拍子に指揮者が振り返って強弱の指示を出すお馴染みの場面もないのは寂しい。2、3年すればまた元に戻るだろうか。
昨日は妻の実家へ。一人暮らしをしていた義父が1年半前に我が家にやってきて、さらに先月に施設入所した。このため妻の実家は無人状態が続いている。昨年末には植木屋さんに入ってもらい庭木の手入れをしてもらったけれども、主のいない家は寂しい。私の子供たちは双子だったので、手がかかるということで、私は単身赴任して、妻と子供たちは3歳までこの家のお世話になった。この家で子供たちと遊んだのがつい昨日のことのように思い出される。平屋建て、水屋のある茶室付の純日本家屋だけれども処分することになっている。いずれ取り壊されて更地になってしまうことだろう。一抹の寂しさを感じる。義母の墓参りをした後、しばらくぶりに瀬戸川の土手にある日限地蔵さんに初詣である。
今日は正月三が日最終日。前の病院よりも年末年始休暇が長いので、入院患者さんたちがどうなっているか気になってこっそり出勤することにした。1週間も休んだら電子カルテには大量の報告事項が溜まっていることだろう。「患者には盆も正月もないんだよ!」という大原健士郎先生の言葉が飛んできそうだ。
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