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2021年2月28日 (日)

神経質礼賛 1840.体温の左右差の謎

 昨年の秋から健康管理・行動記録表に毎日記載することを求められている。その日の体温・呼吸器症状・飲食などでマスク未着用の時間と場所・病院以外の外出場所と時間を記録するようになっている。別に、回収することはないけれども、もし自分を含めて院内で新型コロナ感染が発生して場合には必要になるのだ。この紙は1枚で半月分書けるようになっている。もうだいぶたまった。また、体温は朝夕2回測って医局の出勤簿に書くことになっている。最初は面倒だと思っていたけれどもすっかり慣れた。医局には体温計とアルコール綿が置いてある。私は自分専用の体温計をバッグに入れて持ち歩いている。最後に測った体温の記録が残っているから、忘れていても確認できる。

 体温計も正しく使わないと正確には測定できない。測定場所により数値が変わってきてしまう。多くの人は脇で測っていることと思う。私も左脇で測る。左と右とでは差がある。心臓に近く太い血管からの血流が多い左の方が高く、右が低くなりやすいという。試しに両方測ってみると右の方が0.4℃低かった。だから、左で測ったり右で測ったりするのは好ましくない。また、体温計の角度も先端が脇の深いところに当たるように、表示部が水平より少し下になるようにするのが良いようである。

 昨日、病棟で自分が受け持っている患者さんたちの報告を受けた後、看護師さんから「先生の患者さんじゃないけれど、体温の左右差が大きい人がいるんです。左が36.8℃で右が38.1℃。38℃以上の時に服用させる薬をどうしましょうか」と質問された。これだけ差が出る、それも右が高いというのは考えにくい。衣類や寝具や日当たりや暖房など部屋の環境もあるかもしれないし、たまたま測った場所の近くの部位で何か炎症を起こしているのだろうか。二度測ったけれども同様の差が出ていて、無接触の体温計を使って額で図ると、左で測ったのに近い、とのことなので、「とりあえずは与薬せずに経過を見て下さい」と告げる。体温の左右差が出る原因についてはこれからも考えていきたい。

2021年2月26日 (金)

神経質礼賛 1839.LED懐中電灯

 先週の土曜日にはファイザー社の新型コロナワクチン「コミナティ」接種に関するオンライン説明会があって終わったのが6時過ぎだった。普段5時で帰る時には他の職員さんと一緒に駅まで送ってもらっているけれども、さて、帰りをどうするか。タクシーを呼んでも土曜日の夕方ではかなり待たされそうだし道路は渋滞している。駅まで3km歩いても乗れる電車は同じだろうという結論に達した。歩いている人はあまりいない。途中、橋のところで歩道がなくなっていて、横の暗い道を歩き、階段を上がることになる。バッグから小型のLEDライトを出して照らしながら歩いていく。ところが急にライトが点かなくなってしまった。今度はポケットからキーホルダーのLEDライトを取り出す。神経質なのでこういう準備は怠りない。せっせと歩いて電車の出発3分前にホームに到着する。

 今では懐中電灯なんていう言葉は死語になってしまったろうか。かつてはハイキングやキャンプや停電した時には懐中電灯が頼りだった。単1電池4本か6本のビリケン球を使った大きなサーチライト、単1か単2電池2本の普通の豆電球を使った懐中電灯、単3電池2本のニップル球のペンライトがよく使われていて、どの家にもあったし、診察室の引き出しに必ず入っていた。それがここ10年ほどで白色LEDライトが出てきて一変した。今では百円ショップに行けばいろいろな種類のLEDライトが並んでいる。LED3個や6個や9個付いているものも全部百円で買える。古くからある赤・黄・緑のLEDは2V前後で作動するが、最近多用される青色と白色LEDは3.6V前後の駆動電圧を要するので、どうしても電池は3本必要になってしまう。この頃では昇圧回路を内蔵していて電池1本で済むものがあってとても便利である。私が白衣の胸ポケットに入れているLEDライトも単4電池1本のものだ。当初は少し高価だったけれども今では百円ショップに並んでいるものも電池1本のものがだんだん増えてきた。ただし、スイッチが壊れやすいとか昇圧回路の部品に無理があって寿命が短いとかいう評判もある。いざという時に困らないように、信頼度が高く耐久性がある製品を選びたい。

2021年2月21日 (日)

神経質礼賛 1838.まず捨てた方がよい物

 母が有料老人ホームに入って3か月になる。新型コロナ対策のため面会はできない。ライフリーの紙パンツ1袋と紙パンツ用尿パッド2袋を3週間に一度届けに行き、玄関で職員さんに渡している。たまたまその時に入口の近くのデイルームにいると職員さんが母に教えてくれて、窓越しに手を振ることになる。

 今まで母がいた小さな家は空き家になってしまった。それでも週2回は行って郵便物をチェックし掃除機をかけている。残っていた保存食も少しずつ消費して処分している。母は物が捨てられない人で、何でも「使えるからもったいない」「そのうち使う」と称してためこむ癖があった。広い旧実家はゴミ屋敷にしていた。この家に移ってからもまた同じことが起きた。段ボールの空き箱を捨てようとすると、「荷物を送る時に使うから捨てないで」と言われた。包装紙やビニール袋や紙紐も同様である。郵便局で干支の人形や置物をもらったのが大量にある。街頭でもらったポケットティッシュもまだ残っている。ウエットティッシュは年を経て干からびている。食品が入っていたトレイや容器も洗って取ってある。物が足りない時代を生きた人だからわからないでもないし、物を大切に使い物の価値を最大限引き出す「物の性を尽くす」(350話)という森田の考えもあるのだが、現代の生活では上手に捨てて狭い住空間を最大限生かすという観点も必要なのである。そうした物は少しずつ捨てていっている。しかし大物がある。着物と茶道具である。父が亡くなってからというもの、ずいぶんそれらにお金を費やしていた。本人にとってはお宝だが、客観的には燃えるゴミと燃えないゴミでしかない。これらは本人が生きている間は処分するわけにもいかないので当分はそのままにしておくしかない。

 やはり、粗品は粗品に過ぎない。実用品は使い切って処分し、飾り物は収納場所に困るから、すぐに捨てるに限る。試供品もそのうち使うかなと思っても意外と使わないものである。小さな歯みがきなど旅行に便利かなと思うが使わずに残ってしまう。女性の場合化粧品サンプルがたまってしまうようなこともあるだろう。冷蔵庫の中も、使わなかったソースやからしやスープ類は取っておいても出番がない。賞味期限も書いてないから古いものがそのまま残ってしまいやすい。これらまず捨てた方がよいものを処分するとだいぶスッキリするものである。

2021年2月18日 (木)

神経質礼賛 1837.厚意を断るむずかしさ

 森田正馬先生には変わったエピソードがある。有名な話としては診療所に「下されもの」(385話)と書かれた、患者さんからもらってうれしい物・困る物を記した張り紙があったことだ。合理的と考えるか非常識と考えるか。他にもいろいろ考えさせられる話がある。料理上手な婦長さんがいて、毎日、美味しいおかずを作って病院に持ってきて森田先生や職員さんたちに振舞っていた。ところが、ある日、森田先生が「これをまずいなあ」と言ったので周囲の人々は驚いた。そんな言い方はないだろう、と陰口をたたく人もいた。それ以来、婦長さんはおかずを持ってこなくなった。しばらく経ってから、ある職員が森田先生にそのように言った理由を聞いてみた。「ああでも言わなければいつまでもおかずを作り続けなければならないじゃないか。それでは婦長があまりにもかわいそうだ」と。

 これには賛否両論あるだろう。厚意の断り方は実にむずかしい。神経質人間は人から悪く思われたくないという気持ちが強いので、なかなか断れない。私だったらどうするか。やはり断れずにズルズル現状維持を続けてしまいそうである。そして、時々、返礼のお菓子でも渡しそうだ。しかし、そのうちに、これではいけないと意を決して、今までの厚意に感謝しつつ婉曲な言葉を選んで断ることを考えるだろう。森田先生のやり方は特異であり、誰にも真似はできない。合理的かもしれないが、ちょっと人情味に欠けると感じる方もおられると思う。

 大原健士郎先生は御著書『日々是好日』(p.73-74)の中で、このエピソードを紹介しながら、もし自分が森田先生の実の子や孫だったら「たとえ婦長のことを心底から心配していたとしても、彼女に生涯忘れることのできない心的外傷を与えたではないか。もっと言い方を工夫すべきではなかったか」と文句を言ったかもしれないと述べておられる。同感である。

2021年2月15日 (月)

神経質礼賛 1836.新聞休刊日

 朝、郵便受けから新聞を取り出そうとすると入っていない。今日は雨だから少し配達時間が遅いのかな。あ、そうか、今日は新聞休刊日だった。昨日の新聞に休刊日を知らせるチラシが入っていたのを思い出した。次の朝になるとすっかり忘れていつもの習慣で新聞を取りに行ってしまうのだ。年末年始以外は月1回、第2か第3月曜日が休刊日のことが多い。配達所の従業員の休養、製作システムのメンテナンスに充てるためだからやむを得ない。

 新聞がないと、どうも一日が始まらない感じがする。新聞を取り込むと、まず一面を眺めてから、一番後ろのTV番組面を一瞬見てから新聞紙を広げて三面記事に目を通し4コマ漫画を見て、ローカル面、スポーツ面、経済面、というように前のページに戻っていく。朝食前の10-15分で読むので、興味のある記事は帰宅してからもう一度ゆっくり読むこともある。もちろん、朝、メールチェックの際にパソコンでネットニュースも見るし、朝6時のNHKニュースのヘッドラインも眺めるけれども、慣れもあって新聞が一番である。

 前の勤務先では、各病棟、事務局、医局の新聞を森田療法の患者さんが取り込んでセットしてくれていた。時々、配達が遅れたり、患者さんが忘れたりしてセットされてない時があって、その時には私が外の新聞入れの箱から取り出してセットしていた。作業と言うほどのこともない些細なことだが、人が便利なように、気が付いたら手を出していくことが大切なのである。

2021年2月14日 (日)

神経質礼賛 1835.あれ?どこいった?

 「あれ、どこへ置いたかな?」とか「ここへ何しにきたんだったかな?」と思うことが時々起きる。自分が辿った所を探すと物は出てくるし、元いた場所に戻ると何をしに行ったのかを思い出す。年齢とともに物忘れは増えていく。それを自覚しているうちはまだいいが、自分でも分からなくなったらいよいよ認知症デビューである。いずれはそうなるにせよ、少しでも遅咲きデビューにしたいものだ。

 今週の当直明けの朝、朝食を摂り検食簿に記入、体温を測って記入、歯磨きなどを済ませて、さて病棟へ行こうかという時に院内連絡用のPHSが見当たらないことに気が付いた。これはまずい。朝起きてからの行動を思い起こして医局の中、当直室、トイレなどを探してみるが見つからない。そうだ、固定の内線電話から呼び出してみよう、ということを思いつく。この前、家で妻のスマホがどこへいったかわからない、という時にこの方法を使っている。自分の内線番号は覚えていないので、一覧表を探し出してその番号にかける。近くで呼び出し音がするが、なかなか場所がわからない。ようやくソファのクッションとクッションの間に落ち込んでいるのが見つかった。探しても簡単に見つからないわけである。朝食を食べる際、ソファに座ったり立ったりした時に、いつも手帳と一緒に入れている白衣の腰部分の左ポケットからこぼれ落ちたのだろう。普通の椅子に座った時に落ちることはないが、ソファのような低くて深い椅子に座ったり、何かの都合でしゃがみこんだりするとポケットの入口の方が低くなって落ちやすい。これがPHSだったから呼び出し音で発見できたけれども鍵だったら完全にアウトである。こんなことも起きるのだと思って注意することと、なくした時に見つけやすい工夫をしておくことが必要だと思う。神経質ゆえ、PHSや鍵や手帳を落としていないか確認行為がつい出てしまいそうである。

2021年2月11日 (木)

神経質礼賛 1834.安宅(あたか)

 先日のオンライン飲み会では、自分の部屋が映ってしまうので見苦しいものが映っていないか気になった。私の居場所となっている三畳間は本来、書庫スペースである。しかし、ドラッグストアやホームセンターで安売りの時に買ってきたトイレットペーパーやティッシュペーパーやマスク類、最近ではさらに母親用のライフリー紙パンツ・尿パッドなどが積み重ねて置かれているからとんでもないことになっている。これらは映らないように低い位置に置く。作り付けの大型書棚には医学書・森田関係本・雑誌類・電子回路関係の本などが詰まっているが、異質なのが20年前に家を新築した時に叔父からお祝いとしてプレゼントされた人形である。置く場所に困って、書棚の一角に鎮座させている。これも画面に映らないように気を付けた。

  人形は「安宅」という題名になっており、能の「安宅」、つまり兄・頼朝に追われた源義経が安宅関で捕まりそうになるところを弁慶の気転で危うく逃れる場面、にせの勧進帳を読み上げる弁慶の姿である。私は新築祝には不適切なものではないか、と長年思っていた。義経は頼朝の命を受けて宿敵の平氏を滅ぼしたが、後白河法皇から官位官職を受けたことが原因で、頼朝から謀反の疑いをかけられ、逃避行の末、平泉の藤原秀衡を頼るが、秀衡亡き後、息子の泰衡に攻められて自害する。最期まで義経を守り通した弁慶も全身に矢を受けて立往生して果てる。苦労して大成功を収めた英雄が大転落して哀れな最期を遂げるわけで、どう考えても縁起が悪い。神経質人間はこだわりやすく縁起を気にしやすい。普段からこの人形の顔を見ないようにしていた。

 ところが、最近、中部地方のニュースで石川県の安宅住吉神社では受験生向けのお守りを売り出して評判になっていると知った。義経追捕のための厳重な関所を弁慶の機智と度胸で突破したことにちなみ、全国唯一「難関突破」のお守りだそうだ。結局、物は考えようということなのである。どうも私は深読みし過ぎていけないと反省する。縁起かつぎは都合の良いところだけをピックアップすればよいではないか。これからは大ピンチに陥った時にはこの人形の弁慶を見て突破を試みようと思う。

2021年2月 7日 (日)

神経質礼賛 1833.初めてのオンライン飲み会

 医大の同期生、富士市内で内科医院を開業しているMさんから「オンライン懇話会をしませんか」というメールをもらった。オンライン飲み会のお誘いである。Mさんは私よりも一つ年上。私と同様、理工系の大学を卒業して会社員として働いてから入学してきた。学生時代からよく飲み会を企画してくれていた人だ。浜松市内の病院で院長をしているYさん、浜松市内で内科医院を開業しているNさんの4人で行うことになった。Yさんは私より3つ年上。関西一の有名高校を卒業し、東大理科Ⅲ類(医学科)を何度か受験して失敗した後、アメリカの大学で生物学を学んでから医大に入り直している。すでに入学した時には額が大きく後退しており、教授よりも貫禄があった。高校で生物を履修しなかった私はずいぶんYさんにいろいろ教えてもらったものだ。一般の人を交えた映画サークルを作って名画の自主上映をしていた。音楽関連のマイナーな映画を私も見せてもらっていた。Nさんは私より2つ年上。入学式にスーツにネクタイではなく朝日新聞奨学生のジャージを着て黒長靴を履いて自転車で現れた超大物である。浜松の工業高校から大学農学部を卒業し、東大大学院博士課程を中退して入学してきた人で「俺は奨学金の借金が1000万ある」と豪語していた。学生番号が私と並びなので、実習などでは6年間同じグループになることが多かった。この人もやはり額が後退していて、教授のような風貌だった。よくもこれだけ個性的な人たちが集まってきたものだ。医学部では試験や口頭試問が多く、私たち年齢がいってから再入学した者は記憶力が落ちているから苦労した。お互いに助け合って勉強会をやったりして、何とか卒業して国家試験にも合格できた。若い頃はお互いの結婚式に出たりしていたが、その後はなかなか集まれることも少なくなっていた。たまたま新型コロナの影響で昨年から学会や種々の講習会がオンライン形式になってZOOMというソフトを使うようになっていたので、それではZOOMで飲み会をということになったのである。予定の時刻にMさんから招待のメールが届き、アドレスをクリックするとZOOMソフトが起動され、懐かしい顔が並んで表示された。近況を報告し合う。昔話にも花が咲いた。

 遠くにいて普段なかなか会えない仲間がオンラインで顔を見ながら話せるのはありがたい。集まるための移動や宿泊は不要なのは大きなメリットだ。飲み物や食べ物も自分で好きな物を用意しておけばいい。ただ、同じ場の空気を共有する一体感はどうしても薄くなる。話すタイミングもコツがいる。4-5人ならばまだいいけれども10人を超えるとやりにくいのではないかとも思った。今度開催する時は同学年最年長、私より4つ上のGさんにも参加してもらおうということになった。Gさんは元べトナム難民。渡日して苦学して、病院の検査技師として働いてから医大に入ってきた人で、今はリハビリ病院の院長をしている。そして、新型コロナが収まったら改めてみんなで集まろうということで、2時間のオンライン飲み会を終えた。

2021年2月 4日 (木)

神経質礼賛 1832.ムーミン展

 静岡県立美術館で開催されているムーミン展を見に行く。全国各地を巡回して静岡が最後だということだ。平日の公休日に行ったので、来館者は少なかった。30代から50代位の夫婦連れらしい人たちが目立つ。館内併設のレストラン・喫茶店は閉鎖されているし、会場の職員さんやボランティアの数も少なくひっそりした感じだ。

 ムーミンの絵本の挿絵と原画が数多く展示されていた。また、作者のトーベ・ヤンソンの写真も紹介されていた。ムーミン以外に第二次世界大戦前後の少年少女向け雑誌の挿絵もあって面白かった。そして、最後のコーナーでは浮世絵や北斎漫画と比較する展示があった。ムーミンの挿絵が安藤広重の浮世絵と同じ構図だったりするのだ。浮世絵や北斎漫画はゴッホなどの画家に大きな影響を与えたことはよく知られているが、まさかムーミンにも影響を与えていたというのは意外だった。

 日本ではアニメ化され、カルピスまんが劇場で放送されて人気を博した。私が中学・高校生の頃、女子の間では人気があったように思う。今回の展示では日本のアニメについての言及はなかったように思う。日本のアニメ版は原作者の意図に反した部分が多くクレームがついて、あくまでも日本限定版ということで、再放送もされていないそうである。

 会場を出ると、ミュージアムショップが普段よりも拡大されて、衣類・雑貨・菓子・コーヒー・紅茶などのムーミングッズが販売されていた。かわいらしいが、ちょっと値段がお高い。私よりも30分以上遅れて会場を出てきた妻がまたここで捕まって、私は待ちぼうけである。何とも仕方がない。ショップの通路横に並んだ椅子に座って待つ。

2021年2月 1日 (月)

神経質礼賛 1831.肩透かし

 当地静岡県は気候温暖で住民ものんびりした気質だと言われる。そのためか相撲の力士を輩出することが少ない。横綱、大関どころか、幕内、十両クラスの力士が出ることは極めて珍しい。夕方6時台のローカルニュースの最後にその日の郷土力士の勝敗が紹介される。序の口、序二段、三段目、たまに幕下が出るけれども、なかなかそこから上には上がれない。そんな中、焼津市出身の翠富士(みどりふじ)が話題になっている。十両に上がったあたりからその日の取り組みの録画が毎日ニュースで放送され、アナウンサーも興奮気味に伝えていた。そして今回の場所は幕内に上がり、勝ち越しの成績を上げた。体は小さく体重も100㎏そこそこながら、肩透かしという切り札がある。負けん気が強く、大型力士にひるまずにぶつかっていくのも頼もしい。そして攻め潰そうとする相手のスキをみて得意技の肩透かしが出て、自分よりもずっと大きな相手をひっくり返すのが痛快だ。

 「この頃調子が悪くて」という外来患者さんがいる。どうしたんですか、と聞くと、近所の人と会うと、親のことをいろいろ言われたり、自分の昔のことを言われたりするそうで、「どうしたらいいんでしょうか」と言われる。そこで、思わず「肩透かしですよ」と答える。患者さんは「肩透かしですか、アハハ」と笑う。

 仙厓さんの禅画「気に入らぬ風もあろうに柳かな」(89話)の柳のように風を受け流すのが、まずできることである。しかし、柳のようにずっとそこに留まって風が収まるのを待っているだけでは時間がかかるし辛い。いろいろ言われたら微笑みながら「ハア、そうですかあ」「そうですねえ」と失礼にならない程度に返事をして切り上げ、さっさと次の行動に移っていくのが肩透かし戦法である。いつまでも暇人を相手をしていては損である。相手もこちらの反応を楽しむつもりがさらりとかわされて拍子抜けだ。何度も肩透かしを食らっていると、からんでこなくなること請け合いである。

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