神経質礼賛 1848.油断大敵
各地から桜開花の知らせが届く。学校も卒業式を終えた。甲子園では2年ぶりに春のセンバツ高校野球が応援団入りで始まっている。いよいよ本格的な春到来だ。今日から首都圏の緊急事態宣言が解除となる。仕事帰りに駅の改札を出たコンコースには待ち合わせと思しき人の数が増えている。街を歩いていると、マスクをしていない人や歩行喫煙者もちらほら目に付く。しかし、まだ新型コロナは終息したわけではない。東京の感染者数は下げ止まった後、増加に転じている。油断大敵である。緊急事態宣言を続けても人出が増えていて効果が乏しくなっているし、休業補助金を出し続ける経済的なゆとりもないから解除もやむを得ないのかもしれないが、一番怖いのは人々の気の緩みだ。ワクチンが行き渡って本当に感染リスクが下がるまでは今まで通りの対応を続ける必要がある。
ところで、油断大敵の油断の語源は何だろうかと気になる。手持ちの電子辞書で広辞苑を引くと、〔涅槃経〕気をゆるして、注意を怠ること、とある。涅槃経に由来する言葉や説話はいろいろあって、油断の他に醍醐、象喩(群盲評象)、雪山童子の話がある。ある王が家臣に油を満たした鉢を持って宮殿内を歩かせ、後ろには抜刀した別の家臣が付いて回り、もし油を一滴でもこぼしたら直ちに斬り捨てるという故事から油断大敵になったという。他説もあって、古語の「寛たに(ゆたに:ゆっくり、のんびり、の意)」が変化して油断になったとも言われる。また、比叡山延暦寺の法灯は最澄以来、油を継ぎ足して決して消えないようにしているところからきている、という話もある。
個人的には、車のガス欠を一度経験している。研修医を終えて三島の病院の常勤となり、月曜日の当直勤務が終わると、火曜日の朝、車で浜松へ行き、無給の研究生として医大の午後の専門外来と夜の勉強会に出て、また三島に戻っていた。ナンバー「く7979」の軽自動車(444話・拙著p.38-39)でバイパス道路を乗り継いで往復300kmほどの移動だった。現在は無料化されているが、当時のバイパスは有料だった。ある日、浜松へ向かう途中、袋井あたりでガソリン赤ランプが付き始めた。何とか浜松まで持つだろうと計算していて、いつも行きつけのスタンドに向かったが、あと20mほどというところでついにガス欠でエンストした。運転席のドアから降りてハンドルを押して少しずつ車を移動させていたら、スタンドの店員さんが出てきて車を押してくれて事なきを得た。油切れ・・・文字通りの「油断」である。神経質ゆえ、それ以来というもの、ガソリンは残り3分の1位になったらすぐ満タンにする習慣がついた。
油断するかしないか。これからの新型コロナ感染の行方は人々の意識次第だ。
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