神経質礼賛 1845.わからずに居る
京都森田療法研究所のブログから宇佐晋一院長の最終講話の動画を御覧になった方は気付かれたことと思うが、演壇背後の黒板の左側には「しゃべる人は治りません 院長」と書かれた張り紙がある。森田療法では患者さん同士で症状の話はしないようにと指導するものだが、創始者の宇佐玄雄先生が禅僧であり、東福寺の塔頭から病院になったという特異な経緯のある三聖病院は自然と禅寺の修行場のような雰囲気があり、特に一人一人が黙々と作業に打ち込んでいく面があったようだ。黒板の右側には、禅語の「歩歩是道場」(1676話)、森田の言葉の「努力即幸福」(180話)という看板が掲げられている。そして最も黒板に近いところに「わからずに居る」という看板が掛かっている。これはどういうことだろうか。
講堂で講話を聴くのだから、わからなくてはいけない、と思うのが普通である。しかし、森田療法に関して言えば、言葉で、頭で理解しようとすると、本質から外れていく恐れがある。神経質人間は理屈が大好きである。森田正馬先生の養子で三島森田病院を創設された森田秀俊先生は、患者さんたちに「理屈はいらない。理屈は君にとって役に立たない」と指導しておられた。言葉でなく体験を通して理解するのが本筋なのである。講話の内容は理解できなくてもよい。納得がいかなくても、そういうものかなあ、と素直に聞いておけばよい。そしてわからないままに黙々と目の前の作業に取り組んでいけばよい。症状の有無を問題にしない生活態度が身についた時、ああ、あの時の講話の内容はそういうことだったのか、と合点が行くようになるはずである。
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