神経質礼賛 1847.会食恐怖の克服法
この前の日曜日に夜9時から11時までのEテレ・クラシック音楽館を見終わって、TVを切ろうかと思った時に、次の番組に驚いてそのまま見てしまった。「私だけかもしれない講座」という何とも風変わりな番組。講師はカウンセラーの山口健太氏で、顔はマグロの握り寿司に置き換えられていて、聞き手の女性アナウンサーも顔もピアノに置き換えられていた。テーマは「人とご飯を食べるのが恐ろしくて恐ろしくてたまらない概論」。山口氏が黒板に要点を書きながら自身の会食恐怖体験について語っていく。山口氏の場合、子供の頃、体が小さくて、父親から「ご飯を残すな」と厳しく言われたことが根底にあったようだ。高校の野球部ではセカンドの選手として活躍したが、みんなで食事をしなければならない修学旅行は嫌だったという。会食の時に、「ウっとくる度」は初対面の場合が最強で、次が女子たちと、その次が男子たちと会食する時で、親友の時は低い。学生時代に何とか会食恐怖を克服しようとコンパに頻回に出て、食べ物を残しても別に人にはわかりにくいということに気付き、いくぶん楽になった。さらにアルバイトの時のある経験からコペルニクス的転回が起きて「完食しなくていいんだ」と思えるようになり、克服できたのだと言う。
会食恐怖については以前このブログでも書いたことがある(1118話)。対人恐怖の亜型とも考えられる。私も対人恐怖だったから、会食は苦手で、中学や高校の修学旅行の時に旅館の大広間で食べるのはとても抵抗があった記憶がある。特に女子と向き合いは避けたかった。自分は女子たちにバイキンのように嫌われているに違いない、私の近くに座るのをみんな嫌がっているに違いない、という変な確信があった。そして周囲からどう見られているかとても気になった。しかし、朝食の卵を割って器に入れたら、向かいに座っている女子が「あっ、血玉。取り換えてあげる」と素早く自分の卵と交換してくれたのに呆気にとられた記憶がある。自分の意識と、周囲の人たちの感覚とは違うものである。
山口氏の場合は、ご飯を絶対に残してはいけない、という「かくあるべし」にとらわれていたのだろう。そのため、不完全恐怖で頭の中が一杯になり、強い予期不安に襲われていたのだと思う。症状に苦しみ、なんとか打開しようとコンパに参加しまくったのは行動療法の曝露療法(エクスポージャー)だったと言える。その結果、認知に変化があらわれて克服に至ったと考えられる。森田療法的アプローチだと、症状はあっても不安なまま、会食に参加して目的が果たせればそれでよい。症状の有無に一喜一憂しないこと、という指導になってくる。これでもいける。どちらにせよ、頭で考えているだけでは進展がない。行動すれば道は開けるのである。
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『修学旅行』、『自分は女子たちにバイキンのように嫌われている・・・』
3月の記事ですが、当時拝読して、「全く同じだ!」と感じ入りました。
それ以後も時々思い出して自分一人ではなかったのか、と興味深いです。
高校2年生でしたが、その頃 「自意識過剰」 という言葉が大変はやっておりました。
投稿: たらふく | 2021年6月 5日 (土) 20時14分
たらふく様
コメントいただきありがとうございます。
たらふく様も私と同類でしたか。自意識過剰・・・神経質にありがちの一人相撲であります。この頃では、歳を取ったせいか、神経質が足りなくなって、周囲に迷惑を垂れ流しても平気になっている面があるのではないかと反省しています(笑)。
投稿: 四分休符 | 2021年6月 5日 (土) 23時52分