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2021年3月28日 (日)

神経質礼賛 1850.やろうと思ったことを言われる

 風呂を出ると、妻から「足ふきマットは掛けといてね。換気扇は2時間にしといて。洗面所の戸は閉め切らないで少し開けといてね」などと次々と注文が付く。いつも言われたようにやっているからムッとくるけれども、「わかってるよ!」などと言おうものなら機嫌を損ねて損をするのが目に見えているので、簡単に答えて次の行動に移る。やろうと思っていたことを言われたり、もうやってあるのに言われたりすると面白くないものだ。

森田先生の形外会でも患者さんから「自分がある仕事をやろうと思っているとき、その事を人から頼まれたり、言いつけられたりすると、いやになる。それは、自分がこんな事に気がつかぬか、と思われるのが、いやなのである」という人がいた。それに対して森田先生は次のように言っておられる。

 人からいわれるといやになるという事は、例えば、子供の時でも、自分で掃除をしている時に、親から、ついでに、ここも掃除するようにといわれるとか、あるいは、いま学校の復習をしようと考えているとき親から同じ事を指図されると、せっかく自分のしようと思っていた事が、スッカリ張り合いがなくなってしまう、というような経験はいくらもある。これが「犬も頼めば、糞を食わぬ」という心理であって、当然自分の力でやるべき事を、それが人の力になり、その人の支配下に立つような形になる。我々の生命の喜びは、常に自分の力の発揮にある。富士登山を遂げて、歩けないほど足が痛くなったとしても、自分の損得にかかわらず、喜びと誇りを感ずるのは、「努力即幸福」という心境であるのである。モンテッソリー女史の児童教育が、いたずらに注入教育をしたり、児童を手を取って、世話をしてはいけないというのも、それは児童の自発心を没却し、自力の喜びを奪ってしまうからである。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.409)

 自分もそのように発言して人のやる気を奪ったり人から嫌がられたりすることがないように注意したいものだ。

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