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2021年4月11日 (日)

神経質礼賛 1855.一喜一憂しない

 神経質人間は、自分の状態を気にしやすく、評価点を付けたがる。よりよく生きたいという「生の欲望」が人一倍強いので、いわゆる点取り虫になりやすい。そして、その点数に一喜一憂しがちである。特に症状に悩んでいる人は、「昨日は症状が強かった。今日はどうだろうか。明日はよくなるだろうか」「これだけ作業したのだからよくなるはずだ」あるいは「これだけ頑張っているのに何もよくならない」などと考えがちである。これをやっているとますます注意が自分の方向に向いて、症状の呪縛から抜け出せなくなる。症状を相手にしないのが森田療法の骨子である。だから、私は患者さんに日記のコメントに「症状の有無に一喜一憂しないこと」「行動できればそれでよし」とよく書いていた。森田先生は次のように言っておられる。

 ここの修養法では、苦楽とか・善悪・正邪とかいう標準を、一切立てる事をしない。頭痛や不眠でも、そのままじっと持ちこたえるだけで、苦しいとか困るとか、口外する事を禁じる。まもなくこれが解消された時にも、さらにこれを喜んだり安心したりする事を決していわせない。喜べば必ずその反動で再発します。赤面恐怖でも、気になるとか苦しいとかいう事をいわせないと同様に、これがよくなって「外を歩いても平気になった」「人前で楽になった」とか喜んではいけないのです。
 それらの事は、みな起こるべきに起こり、かくあるべきにあるところの事実であるというまでの事で、腹がへれば苦しく、満腹すれば落着くというように当然の事である。これを日常百般の事に一つ一つ苦楽善悪で評価していっては、とうてい、仕事も間に合う事ではない。能率のあがるはずがない。  (白揚社:森田正馬全集第5巻 p.597)

 症状があろうがなかろうが、淡々とやらなければならないことをこなしていく生活習慣が身に付けば、いつしか症状はあってもないも同然になっているのである。

2021年4月 8日 (木)

神経質礼賛 1854.花の街

 日曜日の午後2時からNHK―FMで「×(かける)クラシック」という番組があって、楽しく聴いている。モデルの市川沙椰さんとサクソホン奏者の上野耕平さんが司会を務める番組であり、クラシックと他のジャンルを掛け合わせて紹介している。鉄道ネタのトークがあったり、上野さんがサックスで物真似をしたり、リスナーからの川柳投稿があったりと従来なかったクラシック番組である。このところ、花がテーマになっていて、先週の番組ではリクエストで團伊玖磨作曲・江間章子作詞の「花の街」が流れていた。

 この歌は戦後の混乱期、ラジオ番組のテーマ曲だった。「花の街どころの状況ではないけれども、こういう時だからこそ夢のある歌が必要だ」ということで、作られたそうである。ピアノの前奏がとてもお洒落な感じがする。「夏の思い出」の作詞でも知られる江間章子さんの歌詞もまたいい。今でも昭和の名曲として歌い継がれている。以前に勤務していた病院では患者さんたちと一緒に歌ったことがある。

 風に乗って、春が谷を越えて駆けて行き、街から街へ花を咲かせていく様子が歌われている。ところが3番の歌詞になると、春の夕暮れ、街角の窓で一人さびしく泣いている、というようにガラリと変わる。春が来ても、楽しいことやうれしいことばかりではない。現実の世界では悲しいこと、苦しいこともある。特に作詞された頃は、多くの人々が戦争のために、家族や友人を失い、心身に深い傷を負い、住処を奪われた悲しみを抱えていた時代だったことが背景にある。春が訪れる嬉しさを表現するだけでなく、心の中に秘めた哀しみにそっと寄り添うような深さがこの歌にはあって、そこが魅力なのだと思う。

2021年4月 5日 (月)

神経質礼賛 1853.シチリアーノの効用

 先日、yukimiyaさんから頂いたコメントに、バッハのシチリアーノ(ピアノ編曲版)を練習されているとの記載があった。これはフルートの名曲として有名な曲である。他にもシチリアーノと題する名曲は数多くある。私がパソコンで打ち込んで伴奏音源を作ったものだけでも、フォーレ、レスピーギ、パラディス、クライスラー作曲の4曲がある。時々弾くバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番の第3楽章も美しいシチリアーノだ。シチリアーノ(あるいは女性名詞のシチリアーナ、フランス語のシシリエンヌ)とは、8分の6拍子か8分の12拍子のシチリア舞曲のことである。多くは短調で書かれ、流れるような、ちょっと浮遊感のある旋律である。

 フォーレのものはハープの分散和音にフルートの旋律が乗っていて、オーケストラ編曲されて組曲ペリアスとメリザンドにも入っている。儚げな短調の旋律は途中で長調に転じ、薄日が射すような感じがするけれども、また短調に戻る。レスピーギのものはリュートのための古風な舞曲とアリア第3組曲の第3曲であり弦楽合奏の貴重なレパートリーだ。同じテーマが変奏されて表情を変えていくのが面白い。チェロ・コントラバスの活躍場面もある。TVのCM曲にも使われたそうだが、かつてFMのクラシック番組のエンディングに流されていたように思う。盲目の女性ピアニストで歌手でもあったパラディスのシチリアーノはほぼ全体が長調で書かれている。ほっと息を抜くような夕べの音楽といった感がある。クライスラーのものは当初フランクール作曲として発表され、現在はフランクールのスタイルによるシチリアーノと称され、上品な感じの曲である。

 どの曲も疲れた神経質をほんわり包んで揺りかごのように癒してくれる効用があるように思う。聴く(弾く)時間帯は夕方から夜の早い時間が最適のように感じる。騙されたと思って一度お試しあれ。

2021年4月 4日 (日)

神経質礼賛 1852.リモート顔合わせ

 一昨年の暮れあたりに、子供が結婚を考えて付き合っている人がいる、という話だったので、一度会食をしようということになったのだが、新型コロナの影響でお互い県外に出られなくなり、顔合わせどころではなくなってしまった。どんどん月日が経ってしまうので、まず、Zoomでリモート顔合わせをしようということになった。私も子供もZoomを利用したことはあるけれども主催したことはないから勝手がわからない。招待メールを送って欲しいと頼んでいたら、リンク先としてhttps//で始まる非常に長いアドレスを送ってきたので、何とかそれを入力したものの、IDとパスコードがわからない。電話連絡をして、それらをメール送付してもらい、開始時刻から15分遅れでようやく繋がった。

 初対面とは言え、お互い自宅で普段着のままの会話だからあまり緊張しないで済む。今の御時世からすれば、これが普通なのだろうか。今回は私と妻・子供とそのお相手と4人でのリモート顔合わせで、次回はお相手の御両親も交えてのリモート顔合わせ会をしましょうということで1時間で終えた。次までには家の複数台のパソコンでZoom会議をする練習をしておこうと思う。

 緊急事態宣言解除後の大阪では感染者が急増して東京を上回る数字が続いていて、東北地方での増加も目につく。いよいよ感染第4波に入ったと言われている。ワクチン接種は予定よりもだいぶ遅れていて、医療関係者にもまだ行き渡っていない。私自身が打ってもらえるのは来週か再来週になりそうだ。人々の自粛疲れや気の緩みも懸念材料だ。政治家やお役人様たちが大勢で会食をしていることが次々と発覚するようでは話にならない。神経質が足りな過ぎる。やはり県をまたがって人々が集まる冠婚葬祭は極力避ける必要がある。人と人とのつながりを維持していくためにはリモートで補っていく他はないだろう。

2021年4月 1日 (木)

神経質礼賛 1851.小言幸兵衛

 うつ病の人も良くなってくると、復職したり負荷の少ない仕事に移ったりして、そこで適応できていると、少しずつ減薬していき、やがて薬をやめて治療終結となる。しかし、長期にわたり休養と薬物療法が続いてしまう人がいる。うつの神経症化が起きていると考えられるケースも少なくない。不眠や種々の体調不良や意欲低下に対して本人の求めに応じて薬を増やしても、薬が効かないばかりか、薬の副作用も相まって収拾がつかなくなる。本人は「うつ病は休まなければならない」と決めつけて多少の痛みを伴うリハビリテーションを避けて家でゴロゴロしているし、家族も「何かあっては困る」と腫れものを扱うようにしているから、本人の体力や適応能力は低下していく一方である(312、313、328話)。

 かつての浜松医大では、そうした中高年の患者さんに十分に身体的な検査や心理検査を行った上で森田療法を行うことがあった。医師や看護師がフォローしながら、作業に参加してもらい、集団の中で役割を担ってもらう。薬はなるべく必要最小限に絞っていく。そして少しずつ健康的な部分を伸ばしていくのである。退院していく患者さんの茶話会でのスピーチに対して大原健士郎教授は、「症状の愚痴ばかり言ってないで、奥さん孝行・家族孝行をしてごらんよ。小言幸兵衛じゃあ嫌われるだけだよ」とアドバイスされ、健康人らしく、人の役に立つように行動するよう説いておられた。

 小言幸兵衛とは落語の演目である。麻布の家主、幸兵衛は長屋を回っては小言を言うのが常であった。犬や猫にまで小言を垂れる。そのため小言幸兵衛とあだ名されている。時々、新たに家を借りたいという人が訪ねてくるが、あれこれ難癖をつけて、その人を怒らせて帰してしまうのが落語のテーマとなっている。その難癖ときたら、認知療法で言うところの「結論の飛躍」「拡大解釈」「感情的決めつけ」「レッテル貼り」などの好例(?)である。

 神経質は他人に厳しいが自分にも厳しいし、慎重であるから、そのままでは小言幸兵衛にはならない。しかし、症状中心の生活になって、うまくいかないのを病気や他人のせいにして愚痴ばかりこぼしていたら小言幸兵衛さんになってしまうから注意が必要である。

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