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2021年4月 8日 (木)

神経質礼賛 1854.花の街

 日曜日の午後2時からNHK―FMで「×(かける)クラシック」という番組があって、楽しく聴いている。モデルの市川沙椰さんとサクソホン奏者の上野耕平さんが司会を務める番組であり、クラシックと他のジャンルを掛け合わせて紹介している。鉄道ネタのトークがあったり、上野さんがサックスで物真似をしたり、リスナーからの川柳投稿があったりと従来なかったクラシック番組である。このところ、花がテーマになっていて、先週の番組ではリクエストで團伊玖磨作曲・江間章子作詞の「花の街」が流れていた。

 この歌は戦後の混乱期、ラジオ番組のテーマ曲だった。「花の街どころの状況ではないけれども、こういう時だからこそ夢のある歌が必要だ」ということで、作られたそうである。ピアノの前奏がとてもお洒落な感じがする。「夏の思い出」の作詞でも知られる江間章子さんの歌詞もまたいい。今でも昭和の名曲として歌い継がれている。以前に勤務していた病院では患者さんたちと一緒に歌ったことがある。

 風に乗って、春が谷を越えて駆けて行き、街から街へ花を咲かせていく様子が歌われている。ところが3番の歌詞になると、春の夕暮れ、街角の窓で一人さびしく泣いている、というようにガラリと変わる。春が来ても、楽しいことやうれしいことばかりではない。現実の世界では悲しいこと、苦しいこともある。特に作詞された頃は、多くの人々が戦争のために、家族や友人を失い、心身に深い傷を負い、住処を奪われた悲しみを抱えていた時代だったことが背景にある。春が訪れる嬉しさを表現するだけでなく、心の中に秘めた哀しみにそっと寄り添うような深さがこの歌にはあって、そこが魅力なのだと思う。

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コメント

四分休符先生

 昭和の歌にはよい歌が多いです。と言ったら老人くさく聞こえるでしょうね、きっと。いつの時代でもそうなのかもしれません。昔は、良かった...とはいえ、やはり、「花の街」にしてもそうですが、日本語が美しいです。我が母の事を言いますとちょっとナンですけれども、堀内敬三訳詞のスコットランド民謡の歌がいい、とよく検索を頼まれます。想像力をかき立てられるのでしょうか。抽象的でありながら韻を踏んでいて文学的です。

 それはそうと、今、ちょうど「かける」の時間中ですけれども。私はこの時間帯、聞き逃した事がありません。パーソナリティーが変わろうとずーっと聞き続けてきました。過去形です。市川紗椰さんになってパタッと聴かなくなりました。

 前パーソナリティーのふかわりょう氏&遠藤真理氏を長く好みました。渡辺徹氏と熊本マリ氏の時も良かったですね。

 ふかわ氏に関して言えば、ピアノに造詣深く、またラジオ越しに聴く人間性とでもいいましょうか、関心を持ちまして氏の本さえ読み、それをきっかけにアイスランドの映画を観て(因みに「ひつじ村の兄弟」というタイトル)ひどく感激しました。このコロナ禍にあってふさわしい映画でした。鳥インフルエンザ殺処分如くひつじ殺処分。では、このコロナ禍に於いて人間の殺処分...あり得ないですよね。そんな事も考えました。そして人の情。西欧映画にしてはキリスト教背景を感じさせない映画だったのです。

 ごめんなさい。話が飛びました。ともかく、日曜日の午後2時から私はラジオを聴かなくなってしまいました。  個々人の好みというのもあるものです。

 そして唄・詩も人の心にしみ入るものですね...

yukimiya 様

 コメントいただきありがとうございます。

 私も長年日曜日2時からの番組を聴いています。前のパーソナリティも良かったし、その前の渡辺徹さんも楽しくてよかったです。実は今の市川さんに変わって、しばらく聴かない時期がありました。ちょっと自分を出し過ぎて目立ちすぎている・感情を出し過ぎているという感じがして引いてしまったのだと思います。しかし、この時間他に見聞きする番組もないので(笑)、また復活している次第です。ラジオ番組を聴いていると、今まで知らなかった曲と出会えるのがいいです。

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