神経質礼賛 1857.日常行為の癖
森田正馬先生のところで月1回行われていた形外会では、神経質談義ばかりでなく食事が供されたり余興があったり全員で東京音頭を踊ったりしてレクリエーション的な側面もあったようだ。ある時、夕食が振舞われ、その後で参加者の日常行為の癖について人数を調べて発表された。
一 自分が座敷に坐っていて、そこを人が通ろうとするとき、人に自分の前を通らせようとする人、十五人。自分がちょっと体を前にずらせて、人に自分の後ろを通らせる人、二十七人。
二 自分の家にある蜜柑とか枇杷とかを食べるとき、悪いものから先に食べる人、二十人。よいものを先に食べる人、二十二人。
三 風呂に入るとき、ひと思いに飛び込む人、二人。ジリジリと、身体を沈める人、四十人。
四 同じく入浴するとき、惜し気なく風呂桶で湯を汲み出す人、八人。最小限度に倹約して使う人、三十四人。
五 食事のとき、おかずを好きなものから、先に食べる人、二十二人。好きなものを後に残して、最後に食べる人、二十人。
六 外出のとき、お金を持たずに平気で出る人、二人。金を持たねば不安心の人、四十人。
七 朝、顔を洗うとき、石鹸を使う人、十三人。石鹸を使わぬ人二十七人。
(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.541-542)
一は畳の大広間での宴席が少なくなった現代ではあまり遭遇することのない場面だ。三、六は万事慎重な神経質だと当然そうなるだろう、という数字である。四、七は、森田先生のところでは水は無駄なく使うことを日常生活の中で教えられていたし、無駄な歯磨き粉を使わない習慣だから石鹸も普段あまり使わなかったのだろう。
二の場合、果物は保存しているうちに痛みやすいから、傷みかけているものから早く食べようとするのが私の習慣だ。だから、神経質の集まりでは大差がつくかと思いきやほぼ半々の結果であり意外である。良いものから食べるというのもおいしく食べられるということで一理はある。また、五についても、私の場合は好きな物は徹底的に最後に残す。妻から「残しておくとパクっと食べちゃうよ」と冷やかされるのが常だ。これまた、形外会では好きなものを先か後にするかは互角である。この辺は神経質性格とは無関係の単なる癖ということになるのだろう。
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