神経質礼賛 1863.山口さんちのツトム君に隠されたテーマ
昨日、朝6時のニュースを見ていたら番組が「みんなのうた60」に変わった。子供向けの「みんなのうた」が始まったのが1961年4月。ちょうど60周年ということで、話題となった歌にまつわる秘話を特別番組で紹介していた。
「山口さんちのツトム君」がみんなのうたで放送されたのは1976年。150万枚を超えるミリオンセラーとなった歌である。ちょっとおませな女の子が仲良しの年下の男の子のことを歌うという形を取っている。作詞作曲したシンガーソングライターみなみらんぼうさんは、「ツトム君のモデルは誰かとよく聞かれて、誰もいないと答えていたけれども、後で自分自身だと気が付いた」とインタビューに答えていた。みなみさん自身、中学生の時に母親を亡くした。自分を支えるつっかい棒がなくなってしまった、いつかふっと帰ってきてくれるんじゃないか、そういう思いがあったという。歌の中では、田舎へ行っていたママが帰ってきて、ツトム君は元気を取り戻し、おみやげのちょっぴり酸っぱいイチゴを女の子と二人で食べる、ということになって聞く人をほっとさせる。楽しい子供向けの歌には近親死のテーマが隠されていたのだ。
近親死は残された人たちに大きなダメージを与える。配偶者、親兄弟、さらには子供の死もある。森田正馬先生も一人息子に先立たれ、弟子の高良武久先生に、「僕は死にたいよ」と言ってさめざめと泣いたかと思うと、著作に打ち込み、そしてまた泣くという状況だった。のちに形外会の場で次のように述べておられる。
(形外会会長の)香取さんも、最近十七歳のお嬢さんが、亡くなられた。私も「正一郎の思い出」で御承知の通り、二十歳の一人息子に死なれた。二十年の間、寸時も休みなく、その現在現在に、心を尽くした子宝が、一朝にして消滅してしまった。「ただ悲しい」、ただそれだけである。なんともほかにしかたがない。これが最も確実なる人生の事実である。ことさらこれを裸になったと思うとか、諸行無常だとか、強いて思い煩らう必要はない。ただ悲しい。それだけで最大限であり、また最小限であるのである。
我々人間は、物事に執着し、あこがれたり喜んだりする。これが破滅すれば悲しみ苦しむ。これが事実である。その破滅したとき、これを抽象すると「裸になった、もとに帰った」という事になる。
この喜ぶとか悲しむとかいう事は、夏は暑く冬は寒いというと同様で、どうにもしかたのない事実である。思い曲げようとしても、決して曲がるものではない。すなわち洞山禅師は寒い時は寒になりきり、暑い時は熱になりきれと教えた。つまり、事実そのままよりほかに、しかたがない、という意味にほかならぬのである。(白揚社:森田正馬全集第5巻p.325)
ただ悲しい、その思いを抱えながらも、残された者は生きていく。
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