フォト
無料ブログはココログ

« 神経質礼賛 1872.名探偵ポワロ | トップページ | 神経質礼賛 1874.鏡が割れる »

2021年6月 6日 (日)

神経質礼賛 1873.外相整いて内相自ずから熟す(3)

 森田療法でよく使われる言葉に「外相整いて内相自ずから熟す」(86・87話)がある。患者さんの日記指導でも時々コメントとして書くことがある。健康人らしくすれば健康になれる、という意味である。神経症に苦しむ人は、まず、症状の苦しみから逃れたいと強く願っている。しかし、心をいじろうとはからえば、ますます症状に注意が向かって、悪化させるばかりである。そこで、症状はそのままにしておき、まずは外相を整えて健康人らしくしていく。そうすると、気分は後からついてきて、いつしか本物の健康人になっているというわけである。森田療法に精通した精神科医で作家の帚木蓬生さんも著書『生きる力 森田正馬の15の提言』(951話)の中でこの言葉を挙げている。

 しかし、森田正馬先生がこの言葉を言われた場面は意外にもなかなか見当たらない。形外会の場で、受験勉強で徒然草の「外証背(そ)むかざれば、内証熟す」という言葉を知ったと発言した患者さんに対して、その場で考えて次のようにコメントしておられる。

 外証というのは、外に表われた証拠、すなわち事実または実行であり、内証とは、心の内部における感想の精神的事実であろうと思われる。それで、もし外証すなわち自分の行動が正しくて間違いがなければ、しだいしだいに、それに相当したところの内証すなわち感じが成育してくる事かと思う。「南無阿弥陀仏」と、敬虔の態度をもって平常唱名していれば、月日を経る間に、しだいに心の内に感謝と他力の信仰との心が起こってくる。顔に、ニコニコと表情をして、申し訳にでもお世辞をいっていると、ツイツイそのうちに、人に対する好意と平和の情とが起こってくる。一座が笑っている時に、自分もツイつり込まれて笑っているうちに、いつとはなしに真からおかしくなる。ジェームスは、「悲しいために泣くのではない。泣くから悲しいのである」といったが、泣くのが外証で、悲しいのが心の内の内証であるかと思う。 (白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.560-561)

 おそらく森田先生御自身よりもお弟子さんたちが使って広まった言葉だろうと思う。私の師の大原健士郎教授も講話の中でよく使っておられたから、さらにその師であった高良武久先生から伝わったのではないかと推測する。それにしても、徒然草・第157段の終わりの部分の言葉「外相もし背かざれば、内証必ず熟す」を原典とした実にいい言葉だと思う。

« 神経質礼賛 1872.名探偵ポワロ | トップページ | 神経質礼賛 1874.鏡が割れる »

コメント

私も全集第5巻を読んでいます。でも、時々なので、頁の進みは遅々たるものです。あんな分厚いものを自分の机で開いていると苦行をしているような気がしてくるので、車に置いておいて、用事と用事の間に喫茶店に入ったときなどに読んでいます。また、通読は一度きりだと思うので、ここだ!と思うところは紙に頁と内容を一言メモしています。

「十中一つ治ったと思えば、全部治る。一つ治らないといって苦にすればまた十になる。十中一つよくなったという事実を認めればよい。」 (白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.152-153)は、ハッとしました。私は十中七つぐらいよくなっているかもしれません。また、「自分の体力を標準として、外界の境遇を選んだ方がよい」(同p.151)も、はっきり認識しておくと、有益だと思いました。

ボリュームも内容のすごい本ですね。「神経質」誌に掲載した方々もこの本にされた方々も素晴らしい仕事をされたと感服いたします。

夏子 様

 コメントいただきありがとうございます。

 全集第5巻はまさに「宝の山」です。驚くのは、発言内容をそのまま記録していること。形外会の様子が生き生きと伝わってきます。それが雑誌『神経質』となり、それから長い時を経て全集にまとめられています。最初から通読してもよいし、目次の面白そうな項目のところを見つけてその周辺を読んでもよいし、いろいろなやり方があると思います。
 十中七つぐらいよくなっている・・・それは全治も同然なのではないでしょうか。

 「全治も同然なのでは」と言われて、びっくりしました。「全治」ということを自分と結び付けて考えたことはもう長い間なかったので。
 でも、苦しんだという過去の記憶とまたダメかもしれないという予期不安があるだけで、現在は、神経症的な不安ではなく、人が生活をしていくうえで普通に抱える不安を私も抱えているということなのかもしれません。いずれにしても、一歩進んだ気がします。ありがとうございました。

 今日、2つの演奏会のチケットをgetしてきました。楽しみです♪

 1876話について。時々思うのですが、先生はパソコンとか機械につよくて、いいですね。すごくうらやましいです。

夏子 様

 コメントいただきありがとうございました。

 だんだんと音楽ができる環境が戻ってきつつありますね。喜ばしいことです。コンサート、楽しんできて下さい。

 私は今のパソコンには最早ついていけませんし、スマホ(格安ですが)も両手でノソノソ入力している有様。SNSもやっていません。せめてLINEくらいは使わないとなあ、と思っています。こういったものは理屈ではなく、使って覚えるものですね。小学生あたりがどんどん使えるようになるのを見ると、つくづくそう思います。森田と同様、「体験的理解」が一番かと(笑)。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 神経質礼賛 1872.名探偵ポワロ | トップページ | 神経質礼賛 1874.鏡が割れる »

最近のトラックバック

2021年10月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31