神経質礼賛 1889.数を数える癖
職場の外来にあるレターボックスは一日に何度かチェックしている。郵便物よりもはるかに多いのが文書作成依頼だ。見つけ次第書いていかないと追いつかない。外来患者さんが多い日だと、自立支援医療診断書、手帳診断書、年金診断書、傷病手当金意見書などが一度にたくさん発生することがある。電子カルテに情報が入っていない場合、古い紙カルテを出してもらってそれを見て作成する必要があって時間がかかる。退院してだいぶ経った人の保険会社に提出する入院診断書の要望が寄せられることもある。担当医がもう退職してしまっていて書ける人がいないからと頼まれることもある。そして、外部の訪問看護ステーションからまとめて10人分位の指示書を要求されることがある。神経質ゆえ、まず枚数を数え、頭の中では書くのに要する時間を計算している。森田正馬先生も数を数える癖があったようだ。
私が葉書を書くような事にも、何かにつけて、数えるという事は、気をあせる事の結果としての一つの手段であるが、私の母と姉にも、この数える癖があるという事は、近年になって、初めて知った事である。私の母も姉も、ともに何事にも、仕事の非常にはかどる方である。これはあるいは、一つの精神的傾向の遺伝性のものかもしれない。私の父は、これと全く反対で、何事にも、ゆっくりと落着いていて、数を勘定するとかいう事はなかった。私は母に似たところが多いのである。 (白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.628)
最初は「ああ、10枚もあるか」と気が重いけれども、一枚一枚書いていき、残りが少なくなってきて「あと3枚、あと2枚」と思うと元気が出てくる。この位はいいとして、私の場合、どうでもいいものもカウントする癖があって、例えば駅の階段の段数を数えてしまって、数字の語呂合わせで縁起を気にするのである。神経質はもっと有効利用しなくては、と思うのだが、この癖は直りそうにない。
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