神経質礼賛 1900.ひたむきに生の欲望に突進する
外来患者さんが多くて忙しい日は頼まれて書く書類も多い。そういう時に限って、病棟から診察を求める連絡、外線電話が飛び込んできたりする。隣の老健で急に亡くなった人が出て対応を求められたり、ワクチンの打ち手が足りなくて応援を求められたりもする。一つを処理していても次々と仕事がたまってしまって気が焦ることがある。しかしながら、どうすることもできない。一つ一つ処理していき、特に急ぎを要する件は仕方がないので途中に割り込ませて処理していく。以前にも紹介したように、森田先生は、気の焦りは仕事を、早く仕上げたい・片付けたいという衝動の気分であって、この衝動がすなわち仕事を早くはかどらせるところの原動力である、と言っておられる。
我々も昔は、随分長い間、「死を恐れない」という修養に身を浮身をやつしたのであります。その後ようやくにして、その努力の不可能であるという事を知ると同時に、ただひたむきに、生の欲望に対して突進するという事によって、初めて死の恐怖の影が消滅するということを知ったのである。
仕事に対する心のあせりも同様で、そのあせりを取ろうとしては、不可能であるが、ただそのあせるがままに、仕事の能率をあげる工夫にのみ熱中しさえすれば、その間おのずから、あせるという不快の気分を、いつの間にか、忘れてしまっているのであります。(白揚社:森田正馬全集 第5巻p.625-626)
毎日あたふたと自転車操業で進歩がなくて情けないなあ、とは思うが、生の欲望を原動力にして、焦りながらも何とかなっているのだから、まあよしとしよう。
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