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2021年9月 5日 (日)

神経質礼賛 1903.そんな事を心配して居たんですか

 神経質の症状に関する種々の悩みは、本人にとっては極めて重大であっても、人からはまさかそんなことで悩んでいるとは思えないものである。例えば対人恐怖にしてもそうである。本人は人前でひどく緊張して周囲の人から変だと思われているに違いないと思い込んでいるけれども、そもそも緊張するのは誰しもあることだし、変でも何でもない。パニック発作のために死ぬほど苦しい思いをする人も、他人から見ればどこも悪くないように思われる。高良武久先生が神経質の症状について「主観的虚構性を帯びている」(680話)とした表現は実に的を得ている。私の師の大原健士郎教授は、入院患者さんに「(症状のことよりも)もっと悩み甲斐のあることを悩むんだよ」と指導しておられたなあ、と思い出す。

 森田正馬全集第4巻p.357-361に「腋臭恐怖患者の日記」が載っている。26歳の会社員。21歳頃から腋臭を気にするようになり、25歳の時に手術を受けている。出社前には服に香水をかけて出かけるが、電車では人に嫌な思いをさせていると思い、席には座らず立っている。会社で隣席のA氏は42歳くらいの人だが、鼻をフンとやって自分を嘲笑的に見ているような気がしてならない。日記には毎日の通勤電車や会社内での苦悩が綴られている。ついに意を決してA氏に自分の悪臭のために嫌な思いをさせていることを謝罪した。すると、A氏は「君そんな事を心配して居たんですか。決して臭ひなんか判りませんよ。君が昨年、手術する前にだつて、殆ど分からなかつた位です。そんな事を心配する事はありません」という返事が返ってきた。この言葉をうれしく思いながらも、A氏は出まかせを言ったのではないかと疑う。しかし、A氏が非常に閉口しているわけではない事は明らかだとわかる。仕事の帰り道もA氏と二人きりになり、「朝の事は、決して氣に掛けなさんな。私は何とも思つては居ないのだから。悪い悪いと思つて居るのは君のヒガミなんだ。たとへ何(ど)うだつても、平氣で居たまへ。人間は少しズーズーしくなければ、世の中は渡れないからね」と言われた。それを聞いて、A氏は我慢して居て呉れるに相違ない。誠に済まないけれども、許して貰ふ事にする、と結んでいる。

 対人恐怖は他人がどう思っているかを忖度するという意味で関係妄想性を帯びていると言えるが、この日記の人のような自己臭恐怖あるいは醜貌恐怖といった重症対人恐怖となると、自分が他人に嫌な思いをさせていると確信して訂正困難あり、妄想と言わざるを得ない場合もある。現代ならば、統合失調症に準じた薬物療法を行っていく医師も少なくないだろうが、日記指導による外来精神療法のみで解決させるところに妙味がある。

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コメント

四分休符先生
 「もっと悩み甲斐のある事に悩むんだよ」この言葉には苦笑しました。それもそうだなぁ、と。
 
 神経症の悩みが悩みでなりつつある今、悩み事が押し寄せてきています。確かに悩む、ショックを受けるという事はあります。ですが、即日、翌日には殆ど晴天と思われる程私の中では問題解決しています。方向性を見いだせて動き出しています。家人はアルコール漬けでヨレヨレの日々。一日5分歩く。少しの努力で1ヶ月後には30分歩けるようになるかもしれない。あれこれ言っていないで一歩踏み出して下さい、そういっても家人はには伝わりません。
 私は方向性を見つけましたから大丈夫ですから、一緒に歩いて行きましょう、と言っても家人はとどまっている。どうしてそうなるかなぁ、と。家人は神経症とは無縁の人です。そんなにも大変な悩みですか?問いたいのは私の方です。あの、神経症の悩みの方が私にとって「悩み甲斐の無い悩み」であっても本当に悩みだったのです。神経症以外の悩みは私にとって悩みとは言えないのです。

 アレ?なんだか四分休符先生のお話とは論点が逆になっていますね...え?私にとって、悩み甲斐のある悩みは、神経症であって、それ以外の悩みは即解決出来る、です。アレ?やはりヘンですね...

yukimiya 様

 優先度が逆のように思います。私たちは日常生活をよりよいものにするために生きているのです。森田療法では「事実唯真」、気分よりも事実を重視します。症状があろうがなかろうが必要な行動ができればそれでよし、なのです。神経症治療マニアになっては本末転倒ではないでしょうか。

四分休符先生
・優先順位について
・断薬について(減薬ではなくいきなり断薬です)

 優先順位を考えていました。やはり症状に優先順位を置くが為に日常生活に支障をきたす状態になるのだと思いました。ですから入院です(←ほぼ過去形)

 去年29日、ピアノ三重奏曲、初めてのアンサンブルを経験しました。アンサンブルを重視する教室です。簡単な曲を、との事でハイドン・ト長調ジプシー風二楽章の楽譜を渡され、殆どぶっつけ本番。プロの弦楽器奏者さんの中で埋没・撃沈でした。ピアノの持つ特性でもある独奏・独走は許されません。協調性そしてその中でも個性を打ち出す。優先はピアノでは決して無い。プロさんは容赦無く歌い、私は合わせるのが精一杯で歌っていませんでした。ビデオを見て改めて確認し、勉強しました。

 11月中旬頃から食べられなくなりました。朝の紅茶(ちなみに30年来の藤枝産)はかろうじて飲めますが、昼・夜の日本茶が飲めない。白湯・重湯⇔常食の行ったり来たり。加えて気持ちの落ち込み、異常な疲れ、無気力、発汗、音に対して敏感になる...胃がん。姉に続いて母には逆縁になる。私は長生きするつもりだった。姉に仕込まれた××証人に入れ込んでいる甥っ子達。40歳をとうに過ぎようとする彼らの信仰は強い。我々には頭上の鉛のような雲のような存在の甥達。彼らの生き方を見る事無く私は逝く。でも死を受け入れよう。人生とはそういうものだ。

 四分休符先生の減薬する時は担当医と相談するように、との言葉が頭をよぎりつつ日記を読み返す。私は9歳から日記を付けている。鈴木知準先生の指導で「感情ではなく、起こった事実のみ書く事」この指導により私はほぼ感情は書いていない。キーワードを拾った。見つめた。断薬した前後から諸症状は出ている。 毎年5月には定期胃カメラ検診を受けている。問題はなかった、けれど、その後病を得たのだろうか。いや、何かおかしい。朝日新聞・医療欄には私と同じ症状の人が病気症状が生き方の問題であると解ったのは40年を経た時であったとあった。森田だ、森田療法の考え方だ。だから私も断薬した。でも...勝手をした。私は服薬を再開した。徐々にいろいろな症状が消えていった。残るは胃の違和感のみ。それもほぼ解消している。断薬決行してから服薬再開して自身の身体を見つめる事1ヶ月半。
 多分、断薬がいけなかった。プラス夏からの疲れが手伝った。そうとしか考えられない。勝手の怖さを知った。加齢が忙しさを受け入れられない状態であろうかとも理解出来た。胃腸科へ掛かる事は改めて考えよう。多分、また5月の定期胃カメラ検診になるであろう事を願う。

 そんな年末でした。

yukimiya 様

 コメントいただきありがとうございます。大変な日々が続いていたのですね。

 減薬・断薬は無理をすると症状悪化や再燃に苦しむことになります。抗うつ薬や気分安定剤を減らしたり止めたりすると、1週間とか2週間とか経ってから調子が悪くなることがあります。ですから、減薬するのは、調子が良い状態が続いていて周囲の環境変化が少ない時に、2週間とか1か月単位で少しずつ減量していく必要があります。そして、調子が悪くなったらまた元に戻すこと。何が何でも薬を止める、のではなく、「引き返す勇気」も大切です。主治医の先生と相談しながらやっていくと安全ですよ。
 

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