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2021年11月 1日 (月)

神経質礼賛 1921.週刊メイチョウ

 注文した本が昨日入ったので一日で一気に読み通した。鈴木明徴(あきよし)著『週刊メイチョウ』(静岡新聞社)。奥付によれば、著者は昭和12年生の静岡市出身。静岡高校から東大理学部卒業後3年間静岡雙葉高校教諭、昭和39年から県立静岡高校教諭、昭和52年から静岡西高校、川根高校を経て、焼津中央高校教頭、県立横須賀高校校長、藤枝西高校校長、三島北高校校長を歴任とある。この書には前書きも後書きもないので、いきなり読んだら面食らうだろうが、静岡高校教諭の時代に毎週ガリ版刷りの随筆を生徒に配っていて、それは週刊メイチョウと呼ばれていたそうだ。この本に掲載されているのは昭和40年から41年頃の記事が中心。多くは半世紀以上前に書かれていながら、現代にもそのまま通じる話である。バスケット部の顧問をしておられたのでスポーツマンについて書いたシリーズや、「思い上がるな静高生」と手厳しくも慈愛に満ちた苦言も綴られている。「メイチョウの哲学入門」は理系出身らしく、スマートに哲学や政治経済を論じている。確か社会を教えておられたはずで、理系クラスで弦楽合奏部員の私は御縁がなかったけれども、とても人気のある先生だったからお顔は覚えている。

 メイチョウ先生の苦言をちょっと紹介しよう。
「実際に行わないうちから、きっとこうなるだろう、ああなるだろう、そうするときっとこうなる。そうなったらこれはたまらん、やっぱりやめとけ、というような頭の中の操作だけで自分がまいってしまう」(p.118)
「チンマリと小さくちぢこまって、胸を張ってさっそうと行動したり、相手を威圧するような自信にあふれたまなざしをした奴など一人もいない。そして態度はオドオドしているし、口を開けばやらずに済ませるための弁護ばかり。物事には無関心で背中ばかりむけたがる。そして最後に心の中で小さくつぶやくのは、自己弁護と自己弁明ばかりだ」(p.123)

 当ブログをお読みの方はすぐにピンとくるだろう。まさに頭でっかちで行動が伴わない神経質者への苦言に他ならないのである。そして、そのメイチョウ先生御自身も「幼少の頃、家庭内にいろいろあって、私の性格は他人の思惑を考え、おどおどと暮らしていた。そんな私の本性は一生変わる事はなかったが、その受け止め方は色々な生活体験によって驚くほど変わった」(p.246)とあり、実は神経質性格の持ち主だったのだ。そして、人生を大きく変えてくれたのはバスケットに打ち込んだことが一番大きかったようである。集団の中で行動本位・目的本位の姿勢が身に付き、心身ともに鍛錬されていったとみることができそうだ。

 私よりも年配の同窓生のブログによれば、メイチョウ先生は昨年亡くなられ、今回の出版は奥様によるものだそうである。直接お話を伺うことができないのは残念だ。

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