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2021年10月10日 (日)

神経質礼賛 1914.下手の考え休むに似たり

 私は高校生の時、数学で完全に落ちこぼれた。理系クラスでは1年・2年で数Ⅰから数Ⅲまでの3年分を全部済ませて3年の授業は入試問題を解くだけだったから、苦痛以外の何物でもなかった。当時の東大や京大の数学は難問中の難問が多く、4問のうち2問を正解できて、あと1問で部分点が取れれば十分とさえ言われていた。そんな問題をいくら考えても、糸口が全く見つからない。あれこれ考えても時間だけ空費していく。まさに「下手の考え休むに似たり」だなあ、と思った。ヘボ将棋ではいくら長考しても妙手が浮かぶはずもないのと同じだ。クラスメートに優秀なK君がいた。K君は決して「ガリ勉」タイプではなく、サッカー部で活躍していた人だ。しかし、数学教師でも解けない入試問題をスラスラ解いてしまうのだった。それに引き換え、自分は情けない、何て馬鹿なんだろう、といつも思っていた。K君はその後、東大医学部大学院の教授になり、脳神経の基礎研究で文化勲章を贈られている。K君が優秀過ぎただけで彼と比較して落ち込む必要はなかったのだ。花は紅、柳は緑。自分の特性を生かしてできることをやって行けばよいのだ。
 当時の私がしたことは、基本的な問題集を最初から順次解いて基礎の力を付けていくことだった。遠回りのようだけれども、これは確実な方法だったように思う。何とか並みの入試問題は解けるようになり、時には難問も解き方が見えるようになったのだった。

 「下手の考え休むに似たり」は強迫の人の考えにも言えるところだろう。車のギアをニュートラルにしたままアクセルを思い切り踏み込んでエンジンをフル回転させても車は1cmたりとも動かないようなもので、頭の中を空転させているだけである。森田正馬先生は、「非常に望みが多く、計画のみ大で、少しの遺憾もなく完全無欠にせんと心の中で細かく計算し、次第に細かくなり、幾らでも用件が増えて限りがない」と悩む人への手紙で次のように書いておられる。

 吾々は仕事が多く、計画が多く、それが精密なほど益々上等で、多々益々弁ずるのがよいのであります。
 それには、只一言、「必ず手を早く出し、実行しながら常に工夫する」事であります。坐つて考へては机上論になり、「下手の将棋は休むに似たり」になるのであります。例へば箱を作るならば、先づ何でもよし、手近の金鎚を出しながら、板の材料を考へるといふ風に、仕事の順序はアベコベでもよいのであります。 (白揚社:森田正馬全集第4巻 p.414)

 考えてばかりいても何もならない。少しでも実行に移していくことである。

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