神経質礼賛 1925.バーバーのアダージョ
昨日は仕事から帰ってからヴィオラを取り出し、ブリテンのシンプルシンフォニー第3楽章センチメンタルサラバンド、バーバーの弦楽のためのアダージョを弾いた。どちらも医大生の時、毎年今時分の季節に慰霊祭があって、医大オケの弦楽メンバーで弾いた曲である。バーバーのアダージョはケネディ大統領の葬儀の際に用いられた。映画プラトーンやエレファントマンでも使われている。弦楽四重奏曲の第2楽章を作曲者自身が弦楽合奏用に編曲したものだが、葬儀のための音楽のように思われることを嫌がっていたという。
先週、友人から高校の同期会のLINEに招待してもいいですか、いう連絡があって、メンバーに加えてもらった。すると一昨日の夜、多くの同期生のコメントが次々と送られてきた。同期会の中心人物だったR君の通夜の会場からであり驚いた。会場周辺の渋滞がひどくてなかなか入れない・みんなマスクをしていて同期生がわからないけれど市長や国会議員が来ていた、(いつも元気だった)R君が今にも起き上がりそうに見えた、等々。友人は私が忙しいだろうと察して、事情を伏せていたのだろう。R君は中学に入った時、同級生だった。身体は小さいが運動神経抜群で同じ軟式テニス部でも一番上手かった。何事にも積極的で、神経質で引っ込み思案な私とは正反対だった。それまでなかった硬式テニス部を新たに作ろうと運動して教師たちと掛け合い、見事に作ってしまったのだ。彼は高校に入ってもテニスを続けた。大学を出た後は地元に帰り、家業の材木業だけでなくいろいろな新規事業を展開していった。サーフィンもやっていたらしい。たまに街で会うと「よお!」と声を掛けてくれた。今年の新年会は新型コロナのため中止となり、しばらく顔を見ていなかった。死因は聞いていないけれども、あれだけタフなR君が亡くなるとは・・・。バーバーのアダージョを弾くのが私なりの彼への追悼である。
本当に、人の命はわからないものだ。日新又日新。与えられた一日を精一杯生き尽くして行こうとあらためて思う。
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