神経質礼賛 1931.路上の落葉
早いものでもう12月。通勤のため朝6時20分に家を出ると眼鏡が曇る。大通りに出ると、御高齢の住人さんたちが、黙々と路上の落葉を竹箒で掃いている。掃いても掃いてもまた落ちてくるから、毎朝大変だなと思う。通行の邪魔になるだけでなく、排水溝を詰まらせてしまうから、放置しておけないということで続けて下さっている。
この通りは欅(けやき)の街路樹が植えられている。夏は木陰を作り強い日差しを和らげてくれる大変ありがたい存在だけれども、晩秋から初冬にかけて大量の落葉が発生する。どれも大木になっていて、樹高は10~12m位ある。先日、回覧板が回ってきて、街路樹の剪定をするという通知があった。枝葉が広がり落葉が多く飛散するため、信号機位の高さ5~6m位に剪定するとのことだった。作業は片側一車線規制をしての大がかりなものだ。
街の緑は貴重ながら、落葉が発生することになるから、周辺住人にとっては負担になる面もある。土の地面であれば吸収されてそれがまた養分になって循環していく。コンクリートやアスファルトの地面だとそうはいかない。どうしても清掃作業が必要になってしまう。前の病院では森田療法の患者さんが掃き集めた枯葉も肥料の一部に使っていた。落葉を集めて廃棄してゴミとして燃やせば二酸化炭素つまり温室効果ガスを発生させてよろしくない。しかも運搬にも化石燃料を使うわけである。これからは、温室効果ガス発生をなるべく少なくするという所にも神経質を使って、街路樹の選定と管理をしていく時代なのかなと思う。
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