神経質礼賛 1932.怒る時かならずひとつ鉢を割り九百九十九割りて死なまし
精神科で仕事をしているとドアや窓ガラスを激しく叩き壁を蹴り備品を壊す患者さんへの対処を求められることがある。いわゆる「物に当たる」という行為だ。そうした怒りに任せた行動によってスッキリするかと言うとそうではなく逆効果になることは以前に書いた通り(247話)である。森田先生の唱えた「感情の法則」の第三法則にあるように、感情を続けて刺激し、発動すれば、ますます強盛となる、つまり八つ当たりしたのではかえって怒りは強くなってしまうのだ。森田先生は母親を恨む女性からの手紙に次のような返事を出し、人や物に当たるのではなく歌や俳句で感情を表現し発散することを勧めておられる。
又、藝術とは、歌でも・俳句でも、自分の心の内に蓄積する悶々の情なり・溌溂の気分なりを、言語に託して、表現して、自分の感情を発散させるものであります。例へば啄木の、
「怒る時、必ず一つ鉢を割り、九百九十九破りて死なまし」
といふ歌のやうに、啄木は、實は自分は、一つも鉢をわらないで、只此の歌によつて氣を晴らすのであります。
あなたでも、之と同様に、もし、例へば、
「胸の内に、すゑかぬる不平いきどほし、書き盡してん日々の記録に」
といふ風の歌にでもいひ現せば、あなたが御家庭にて、女中其他にも、お小言をいはずに、御心が落ちつかれるのであります。(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.513)
石川啄木(1886-1912)のこの短歌は目にしたことがある方も多いだろう。九百九十九(くひゃくくじふく)というのが面白い。神経質からすると「九」は「苦」に掛けているのではないかと解釈したくなる。啄木と言えば生活苦・借金魔で有名である。もっとも、遊興に浪費したのがその一因だったらしい。
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