神経質礼賛 1939.森田正馬先生の日記
森田療法関連のオリジナル研究を公表している京都森田療法研究所のブログが3カ月ぶりに更新された。主宰者の岡本重慶先生はこの夏、ケガのため入院されたことを9月のブログに書いていらっしゃったが、その後更新がなく、とても気になっていた。今回アップされた3つの記事のうち、森田正馬先生の日記に関する記事は大変興味深かった。
森田先生は19歳頃からずっと日記を書いておられた。晩年の10年間ほどの分は戦火あるいは熱海大火の際に失われたと言われるが、大学ノート36冊が三島森田病院に保管されている。絵や図も入っている。記録魔の森田先生はあらゆることを書き残していて、夫婦の交わりのあった日には記号を入れていたそうである。なかなか子宝に恵まれず、最初の子は死産、ようやく授かった一人息子も19歳で亡くなっているから、子供を授かるにはどうしたらよいか考えておられたのだろう。この日記の存在は知っていたが、鍵のかかる書棚に保管されていて、合計24年間常勤医だった私も手にしたことは一度もなかった。しかし、岡本先生によれば、昭和40年代に白揚社の『森田療法全集』や『森田正馬評伝』が出版されるにあたって資料としてコピーが行われて鈴木知準先生ら著名な森田療法家や大学の研究者たちに提供されたということだ。その後も幾度か研究目的の貸し出しが行われ、現在ではCD-ROM版もあるという。私も写真製版されたものをチラッとみせてもらったことがある。ただ、バージョンによって異なる欠落部分があるそうである。この理由は夫亡き後、三島森田病院理事長を長く勤められた森田貞子さん(1348話)の意向があったのではないかと私は推察する。貞子さんが日記について「あれはお金のことまで書いてあるからねえ」とあまり一般に公開してほしくないような発言をしておられたことを私は記憶している。日記を貸し出す際にそう言われると、借りた方としても配慮しなくては、ということで、それらしい部分はコピーしなかったのだろう。当然、見る人によってどの部分をコピーとして残さない方がいいかは判断が異なるだろうから、欠落部分が異なるバージョンができてしまったと考えられる。
最近では、正知会の畑野文夫さんによる日記に基づいた『森田療法の誕生』(1330話)という名著が誕生している。森田先生の日記は貴重な文化資産である。これからも後世に伝え残していってほしいものだ。
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