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2022年1月30日 (日)

神経質礼賛 1950.巌松無心風来吟

 メンタルヘルス岡本記念財団の創立者・岡本常男さんから昔いただいた御著書『自分に克つ生き方』を読み直していたら、巌松無心風来吟(がんしょうむしんかぜきたりてぎんず)という禅語が出てきた。岩の上の松は、そのままの姿でいたずらに構えることもなく立っている。一旦風が吹けばそれに呼応して枝を震わせて音を奏でるが、風がやめば粛然と元の姿に戻っている。岡本さんは森田療法を自分で勉強している時にこの言葉と出会って、目から鱗が落ちる思いがしたと書いておられる。風が来てもいないのにガタガタ騒ぎ立て、鳴らさなくてはならない時に、はからいが邪魔をして鳴らすことができない。自分は「あるがまま」と逆のことをやっていたのではないか、と気が付かれたという。さらに、そうなってしまうのは、自己防衛の気持ちが強すぎる、職場での地位や自分の立場を守ろうとし過ぎるからである、何事もない時にザワザワと騒ぎ、事が起こった時には心が自由に動かず、頑なな態度をとってしまうのだ、と分析しておられる。

 巌松のように泰然自若としているのは理想ではあろうが、人間の場合はなかなか難しい。特に神経質人間は風が吹く前から風が吹いたらどうしようと気にしてあれこれ悩み考えて準備する。そして、風が吹いてきたら、もっと強い風が吹いたらどうしようなどとハラハラ気がもめるところである。しかし、それはそれでいいではないか。よりよく生きたいという願望が強いのだから当然であり、そこが神経質の美点でもある。心配して事前に準備を怠らないから大きな失敗は少ない。大胆になろうとしなくてよいのだ。内心ビクビクハラハラのままで行動していけば十分である。それが神経質なりのあるがままなのである。

 

2022年1月27日 (木)

神経質礼賛 1949.難読文字・屢

 森田正馬全集を読んでいると、時々読みがわからない難しい漢字が出てくる。今回は「屢々」の読みで引っかかった。手近に漢和辞典がないので、ネットで調べる。その際には漢字の部首から探していくのが定石である。この字の部首は何だろう。小中学生の頃は、部首の名前を覚えたものだが、もうすっかり忘れている。この字の「たれ」は「屍(しかばね)」に代表される「かばね」ということで該当する字を探していくと見つかった。実はこのワープロ文字自体も略字化されていて本に印刷されている字はもっと細かい。異字体の略字として込み入った部分を「米」の字で代用した「屡」もある。音読みは「ル」、訓読みは「しばしば」であり、「屢々」と同じ文字を重ねても読みは「しばしば」であって、「しばしばしばしば」にはならない。前後の状況から何となく意味はわかるので読み飛ばしてもいいけれども、そのままにしておくのは気持ちが悪いので調べたくなるのが知りたがりの神経質である。さらに神経質としては、誰もが知っていることを自分だけが知らなかったらどうしようととても気になる。この字は漢字検定準1級レベルだそうで、難読文字と言ってよいだろう。だとしたら読めなくてもまあ恥かしくはないか、とホッとするのだった。

2022年1月23日 (日)

神経質礼賛 1948.水の上の泡を追ふが如し

 神経症の患者さんの中には、「不安がなくならない」「怖い」と訴えて何度も電話をしてくる人がいる。不安時の頓服を飲んでも「薬が効かない」と訴える。けれども、生活はできているのである。「何か実際に悪い事が起きましたか?何も起きていないでしょ。だから、不安であっても怖くても、今のままでいいんですよ」と答えている。森田先生は、『生の欲望』という著書の中で「神経質患者のために」と題して次のように書かれている。

 徒(いたずら)に氣分のさはやかならん事に憧るゝは、水の上の泡を追ふが如し。徒に心の苦悩を恐るゝは、水の中の汚塵(おり)になづむが如し。水の低きに就きて、流れ流れて止まらぬが如く、心の向ふがまゝに、絶えず活動して止まざれば、心の泡も汚塵も、かつ消え、かつ洗ひ流されて、彼の水の力が、或は電燈を燈(と)もし、工場に鐵(てつ)をも摧(くだ)くが如くなるべし。
(白揚社:森田正馬全集 第7巻 p.197)

 神経症の患者さんたちは不安や恐怖感がなくなって気分がスッキリすることを望むが、それはまさに水の上の泡を追うようなもので、無駄あるばかりでなく、症状を助長するだけである。逆に、不安や恐怖感をなくそうとするのをやめた時、症状はなくなっているのである。そして、それまで無駄に費やしていたエネルギーは実生活を豊かにするために生かされるようになる。治すことを忘れた時、神経症は治っている(810話)。

 

2022年1月20日 (木)

神経質礼賛 1947.森田童子の謎

 昨日、帰宅して、当直していた間の新聞を読む。1月19日付毎日新聞夕刊4ページのコラムニスト中森明夫氏の記事に目が吸いつけられた。ニッポンへの発言というコラムで「森田童子の謎」を題材にしていた。彼女は1970年代後半から1980年代前半にかけて活動し、実名不明、カーリーヘアーと黒いサングラスで顔を隠し、TVにも出なかった。1993年に「高校教師」というTVドラマの主題歌として「ぼくたちの失敗」が使われて話題になり、CDが発売されたが、彼女の動静は不明のままだった。2018年に65歳で亡くなっている。記事によれば、彼女は作詞家として有名な、故・なかにし礼の姪であり、そのデビューにはなかにし礼が関わっていたということだ。なかにし礼の兄、つまり彼女の父親は太平洋戦争当時、戦闘機のパイロット。終戦後は破滅的な一生を送ったという。ぼくたちの失敗の「ぼく」は学生運動に敗れた70年代の若者の気持ちを代弁していると考えられているが、筆者は彼女の父親のエピソードも踏まえて、「ぼくたち」とは「日本国家」、さらには世界的パンデミックの昨今の「人類」とも受け取れる、としている。

 私が彼女の名前を知ったのは、まだ政治的な主張のタテ看板が雑然と立ち並ぶW大学本部キャンパスの中になぜかコンサート宣伝の看板を見てである。不思議な名前に興味を覚えた。当時の私は受験の敗残者。大学オーケストラもいい楽器を買うお金がなくてすぐやめた。三畳一間のボロボロの倉庫のようなアパートで暮らし(83話)、「だめになったぼく」そのものだった。彼女の歌は聞いたことがないけれども、引力を感じたのだろう。それから十数年後、研修医をしていた頃にCDで初めてその歌を聴いた。少々舌足らずで儚げな歌声、希死念慮を感じさせる危うげな歌詞に惹かれた。「ぼくたちの失敗」や「みんな夢でありました」は今でも時々聴いている。

 神経質人間は状況を悲観的にとらえやすい。そして「もう自分はダメだ」と思い込みやすい。しかし、それはそれで悪いことばかりではない。楽観的に考えていたら大失敗を繰り返しやすいのだ。自分はこんなもので仕方がない、と不全感をぶら下げたまま、おずおずと行動していけば良いのである。その行動の積み重ねがいつしか実を結ぶ時が来る。

 

2022年1月16日 (日)

神経質礼賛 1946.燃え尽きへの対処法

 ある医療サイトを見ていたら、アメリカの医師向けに同系列の会社が運営する情報サイトMDlinxの記事が目に留まった。「医師のうつ・燃え尽きへの対処法」と題する記事だ。燃え尽き症候群は、管理不十分な職場のストレスに起因して、疲労感・仕事に対する否定的な感情・仕事の効率性の低下などをきたすことを言う。2019年の報告ではアメリカの医師の40%以上、女性医師の50%以上が燃え尽きたと感じているとのことで、新型コロナ感染拡大によりさらにストレス増大に悩まされているとの分析もある。医師の燃え尽きと自殺に関する2021年の報告では、燃え尽きの原因は、官僚的(事務的)な仕事が多すぎること、長時間労働、雇用者や同僚からの尊敬の欠如にあるとしている。患者さんに接することが最もやりがいのある仕事なのだが、書類作成や管理業務が増大して患者さんと向き合う時間が減っている。10年前にはほとんどの医師は週に1~4時間しか事務処理にかけていなかったのが、2019年には74%の医師が週に10時間以上、36%が20時間以上事務処理に時間を費やしている。多くの医師は、同僚や雇用主から、自分が弱者だとか医療行為に適さないと思われたくない、という「助けを求めることへの偏見」があるのではないかと考えられる。対処法としては①サポートグループを見つけて信頼できる仲間と経験を共有する、②毎日30分以上運動する、③職場の委員会に参加して自分に直接影響する政策に関わっていく、④講習を受けて最新の情報を得て集中力を高めていく、といったことを挙げている。

 日本でも事情は同様である。特にこのところ電子カルテの普及で、医師が指示を入力する業務が爆発的に増えた。以前なら口頭指示で済んでいたものも、全て事細かく入力するのである。例えば軟膏1本処方するにも、塗布する部位と1回当りのg数と処置の期間を別途入力する。期間が切れたらまた指示を出し直さなくてはならないし、中止する時には指示しなくてはならない。その都度、指示書が印刷されて、紙を大量に消費する。言った・言わないのトラブルはないけれども、看護スタッフも電子カルテの処理に追われて大変である。1日中、電子カルテの御守をしている感じがしてならない。市町村などに提出する書類も増加の一途を辿っている。

 燃え尽きは医療現場だけでなく、一般企業や家庭の主婦でも起きている。新型コロナの影響で、趣味やレジャーが思うようにできなくなり、冠婚葬祭の行事も中止されていわゆるハレの日がなくなり、人と人との関係が希薄になり、常に頭上の暗雲を感じている方々も少なくないだろう。実際に会うことが難しくなっているけれども、メールやSNSで仲間と情報交換して悩みを共有し、毎日少しで良いから体を動かしていくのが有力な対処法だろうと思う。

 

2022年1月13日 (木)

神経質礼賛 1945.わらべ地蔵

 週一回、外来診察のパートをしていた先生が辞められて、患者さんたちを引き継いだ。問診では必ず、睡眠や食欲について尋ねるが、私は「日中はどのようにお過ごしですか」という質問も入れている。年配の方で、「そば打ちと石仏づくりです」と答えた方がいた。「石仏は杉村さんに習っています」とも言う。藤枝の彫刻家・杉村孝さんは「わらべ地蔵」の作家として有名である。京都・大原三千院の庭園に佇む二頭身のかわいらしいお地蔵さんたちは人気がある。京都ばかりでなく全国各地のお寺で会うことができる。静岡市内の宝泰寺の庭園には多くのわらべ地蔵さんたちが住んでいて、以前書いたことがあるが、母方祖父母の法事の際に目にする。向き合ってじゃんけんをしているお地蔵さん、寝転がっているお地蔵さん、頭を抱えているお地蔵さん、大きな石を持ち上げているお地蔵さん、手を合わせているお地蔵さん、いろいろあって思わず笑みが漏れる。「それは結構ですね」と言ったら、次の時に、「心に花を」と題したわらべ地蔵の写真入りカレンダーを頂いてしまった。絵葉書になるもので、山頭火(887話)の句も入っている。私からはお礼に拙著を差し上げた。

 わらべ地蔵たちの姿を見ていると「純な心」という言葉が浮かんでくる。神経質はともすると頭も体もコチコチで動きが止まってしまう。そして、嫌なことがあると、それを顔に表してついしかめっ面にもなりやすい。相手もそれを察知して雰囲気が悪くなって、結局は自分に返ってくる。森田先生が言われたように、気分はともかく挨拶はしっかりして、愛想笑いも必要である。そして、時にはわらべ地蔵さんたちのように無邪気に遊ぶのもよいだろう。

 

2022年1月 9日 (日)

神経質礼賛 1944.指定医講習会

 5年に1回、精神保健指定医の更新のための講習会を受けなくてはいけない。仕事を休んで迷惑を掛けるわけにはいかないので、日曜日に講習会を行っている日本総合病院精神医学会が主催の講習に今日行ってきた。会場は東京駅から徒歩5分、日本橋だ。前の三島の病院に勤めていた時以来、久しぶりに上りの新幹線に乗る。かつては毎日見ていた富士川鉄橋から見る雄大な富士山が懐かしい。県外に出るのはかれこれ2年半ぶり位になる。品川を過ぎて、田町・浜松町あたりで、東京タワーの先端が少し見える。昔は東京タワーの雄姿が電車から望めたものだが、今ではタワーマンションなどの高層建築がずらりと並び、すっかり見えなくなってしまっている。朝8時半に受付開始。席を見ると、一番前の列だ。しかし、演壇はなく、サテライト会場だと知る。参加者450名を二部屋に分けていたのである。午後5時半まで缶詰状態でひたすらスクリーンに映し出された講義を聴く。午前中は一般的な講義。新たに指定医を取得する人のレポートを指導する際のポイントについての話が多いのに驚く。昼食は会場で飲食していいのか気になったが、注意事項を見ても特に記載はないので朝コンビニで買っておいたおにぎりを食べた。もしダメであれば、会場から近い公園に行って食べるつもりだった。三島の病院で一緒に仕事をしていた先生も講習を受けに来ていて声を掛けられ、話が弾んだ。眠くなりがちな午後の講義には3時間の長丁場の事例研究がある。今までの講習会になかった、参加者を番号で指名して3つほどの論点に関して意見を述べさせるという場もあった。当てられたら困るので、答えを考えておく(幸い当たらなかったが)。

 平時だったら、ヤマハ銀座店の楽譜売場に行って、面白い楽譜を物色するところだし、仙厓さんなどの禅画の展示があれば必ず出光美術館を訪れるところだが、それができないのが残念である。しばらくぶりに会った先生とも一杯やりたいところだが、帰りはどこにも寄らず東京駅のホームへまっしぐらだ。ゆったりと買い物や美術館散歩ができる世の中に戻って欲しい、とつくづく思う。

 

2022年1月 6日 (木)

神経質礼賛 1943.今年の正月三が日

 今年の元日は自宅で過ごした。手帳の備忘録部分を新しい手帳に転記する。いろいろなIDやパスワード類がどんどん増えている。普段はパソコンに残していて入力しないで済んでいるパスワードも何かの時に要求されてあわてることになるので、大切な作業である。ようやく母の入所している施設が予約制でワクチン接種証明を提示することで面会可能となったので、2日に面会予約を入れておき、千葉から来た弟と一緒に面会。この日90歳の誕生日を迎えた母が弟と会うのは2年ぶりである。喜んでもらえてよかった。
 TVで見る箱根駅伝で頑張る選手たちに触発されて、3日には思い立って、一人で高さ140mの浅間山に登りに行く。初詣の名所・静岡浅間神社からではなく、旧実家のあった井宮町から急な山道を登っていくルートを選んだ。子供の頃はさんざん走って上り下りしたルートだけれども、今ではゆっくり歩いても息が切れて、何度も立ち止まっては休み、呼吸を整える。私の現在の体調ではこんなものでやむを得ない。森田正馬先生が筑波山に登った話を思い起こす。一歩一歩ゆっくりでも前へ前へと歩んで行けばいつしか先へ進んでいるのだ。尾根にまで上がれば視界が開けて、街並が見渡せて、かつて通っていた高校を眼下に見下ろすことができ、富士山も望める。家族連れが行き交う中、途中のベンチに腰掛けては休み休みしながら登っていく。頂上の戦没者慰霊碑に一礼して景色を眺めてから今度はゆっくりと下っていく。途中ですれ違った人に声を掛けられて見ると従姉(母の姉の娘)だった。親類の法事の際によく話をするが、ここ2年はそうした集まりがなくて全く会っていなかった。何でも山歩きの仲間たちと来ているとのこと。私より2歳年上ながら元気いっぱいである。「叔母ちゃん元気?」と言われてスマホの画像を見せる。今度は浅間神社の方に降りていくと大変な人出である。その人波を避けてすぐに神社の脇に出る。初詣はまた別の日にゆっくり来るとしよう。

 

2022年1月 2日 (日)

神経質礼賛 1942.LED蛍光管騒動

 昨年末、洗面所の三面鏡に組み込まれている蛍光管の点きが悪くなってきた。そこで、この際、省エネを兼ねてLED蛍光管にしてみようと思った。LED電球は大手国産メーカーのものがあるけれども、20W直管型のLEDはなく、どれもC国製であり、不良品の発生率が高いとか色のバラツキが大きいとかいうような書き込みがある。ともあれ通販で4本セットを購入してみた。年末に届いたので、早速チェックしてみる。どれも点灯するし、色の違いもなさそうだ。大晦日の日に洗面所の蛍光管を交換した。簡単にはグローランプを外すだけで特別な工事は不要だ。安定器の両端をショート配線すれば消費電力が減ってさらにベターだけれども面倒なことは省略。スイッチを入れれば瞬間的に点灯するし、明るさも今までと変わらない。

 ところが、騒ぎはその晩に起きた。風呂から出てきた妻が「キャー!何これ!」と叫ぶ。何事かと思えば洗面所の鏡に映った自分の顔が「顔色が悪くて死人の顔みたい」と言う。そうかなあ?と思ったが、そんなもんじゃないのかな、などとうっかり口走ったら大事件になるので、「LEDだから少し青色が強いのかも知れないね。明日また交換してみるよ」と言っておく。元の蛍光管がいわゆる3波長形と言って光の三原色を強調して色が鮮やかに見えるタイプだったから変化が際立ってしまったのだろう。そんなわけで、元日早々また交換作業だ。洗面所には新しい蛍光管と新しいグローランプを取付けて、外した20W直管型LEDは納戸の天井に取り付けた。神経質ゆえ、予備球の類は常に買置きがあるのだ。これにて、一件落着だ。

 

2022年1月 1日 (土)

神経質礼賛 1941.神経質 生かすも殺すも あなた次第

 白揚社の森田正馬全集第5巻は森田先生の言葉を直に味わうことができる貴重な書であり、当ブログでもしばしば引用させていただいている。自助グループ「生活の発見会」では、この第5巻を輪読する勉強会も行われている。その第5巻の冒頭には『神経質療法への道』序文が掲載されている。読み飛ばしてしまうか、一読しても後で読み直すことはないか、そんな存在だけれども、森田療法の本質を凝縮した内容であるから、紹介しておきたい。

 神経質―それは、従来・学者の唱へて居る神経質とは、意味がちがう。それは従来のは、「鯨も海亀も、共に、魚の類である」といつた程度のものである。この故に正確には、「森田の神経質」といはなければ、其限定した内容は判らない。
 「森田の神経質」は、余が人の氣質・即ち精神的傾向を七種類に分けた内の一つであつて、之が病的になれば、従来のいわゆる神経衰弱的になる。
 この神経衰弱症も、余の唱ふるものは、従来のものとは、全く其解釈がちがう。それは恰(あたか)も、従来の神経衰弱では、太陽が天空を運行するものと解釈してゐたのを余の説では、その太陽が動くが如く見ゆるは、我地球が自転するがためである・と解するやうなものである。
 それで現在、之に悩んでゐる患者は、神経質とか神経衰弱とか・いへば、人聞きが悪く・肩身が狭いかと思ふ。それが、余の精神修養療法によつて、一たび全治すると、初めて自分が、神経質の素質に生まれたのは、かえつて、恵まれたる運命のもとにある事を悦び・寧ろ誇らしく感ずるやうになり、これ迄、神経衰弱と思つて居たのは、実は神経の衰弱でもなければ、身体の虚弱でもなかつた・といふ事を体験会得するやうになるのである。
 斯(か)くいふ・余の神経質・賛美の言に対して、或一部の机上論者は、之を詭弁とし、或は患者治療のための暗示手段である・といふ風に評する事がある。
 余のいふ處は、たゞ野口英世や・二宮尊徳が、其貧乏に生まれた事が、却って彼等の誇りとなり、白隠の神経衰弱や・親鸞の強迫観念が、決して肩身が狭く・隠しだてするにも當らぬ・と同様である。若し野口が、貧乏でなかつたならば・あれだけの努力心は育たなかつたらうし、親鸞に、罪悪恐怖の苦悩がなかつたならば、あの安心立命の境地を悟る機会はなかつたであらう。
 斯くいふとて、常識ある人は、決して世の中に、貧乏や苦悩を賛美して、世人に一生の清貧や・苦行を奨励すべき筈のものではあるまい。
 凡そ学者は、学者になれば・なるほど、言論の言葉尻に捉われるからいやである。
(以下略)   (白揚社:森田正馬全集第5巻 p.23)

 森田先生の時代には神経症は神経衰弱と呼ばれ不治の病とされ恐れられていた。そして全く効果のない種々の「治療」が行われていた。それが「余の精神修養療法」(森田療法)によって全治することが実証されたのだ。さらに全治者たちは神経質の素質を生かして社会で活躍し、その素質を持っていることを喜び、誇りに思うようになる。まさに神経質礼賛である。

 せっかく恵まれた能力を持っていながら、それを症状探しのために無駄遣いしていてはもったいない。優れた高速CPUを搭載したコンピュータであっても、ソフトが悪くければフリーズして使い物にならないのと同じである。高性能エンジン搭載の高級車だってギアをニュートラルに入れたままでアクセルをいくら踏んでも、1センチも前へは進まない。理屈は後にして、手を動かし、足を動かし、少しでも目的に向かって実際の行動に移るのが神経質を活用する秘訣である。そして先延ばしにしないで気分はともかくやってみることだ。神経質を生かすも殺すもあなた次第なのである。

 

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