神経質礼賛 1948.水の上の泡を追ふが如し
神経症の患者さんの中には、「不安がなくならない」「怖い」と訴えて何度も電話をしてくる人がいる。不安時の頓服を飲んでも「薬が効かない」と訴える。けれども、生活はできているのである。「何か実際に悪い事が起きましたか?何も起きていないでしょ。だから、不安であっても怖くても、今のままでいいんですよ」と答えている。森田先生は、『生の欲望』という著書の中で「神経質患者のために」と題して次のように書かれている。
徒(いたずら)に氣分のさはやかならん事に憧るゝは、水の上の泡を追ふが如し。徒に心の苦悩を恐るゝは、水の中の汚塵(おり)になづむが如し。水の低きに就きて、流れ流れて止まらぬが如く、心の向ふがまゝに、絶えず活動して止まざれば、心の泡も汚塵も、かつ消え、かつ洗ひ流されて、彼の水の力が、或は電燈を燈(と)もし、工場に鐵(てつ)をも摧(くだ)くが如くなるべし。
(白揚社:森田正馬全集 第7巻 p.197)
神経症の患者さんたちは不安や恐怖感がなくなって気分がスッキリすることを望むが、それはまさに水の上の泡を追うようなもので、無駄あるばかりでなく、症状を助長するだけである。逆に、不安や恐怖感をなくそうとするのをやめた時、症状はなくなっているのである。そして、それまで無駄に費やしていたエネルギーは実生活を豊かにするために生かされるようになる。治すことを忘れた時、神経症は治っている(810話)。
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不安があっても怖くても今のままでいい、という文を読んでなるほどなと思いました。悪いことは起こらない、確かにそうですね。とても参考になりました。私は森田療法に強い関心をもっています。今後も役立つ言葉をブログに書いて下さい。
投稿: 高3女子校生 | 2022年1月31日 (月) 17時22分
高3女子校生 様
コメントいただきありがとうございます。
「事実唯真」という言葉にみられるように、森田療法では事実を重視します。気分(症状)を相手にしないで行動を中心とした生活態度が身についてくると、気が付けば症状はどこかにいなくなっていますし、神経質を生かして仕事や勉強や家事がはかどるようになっています。少しでもお役に立てれば幸いです。
投稿: 四分休符 | 2022年2月 1日 (火) 22時09分