神経質礼賛 1943.今年の正月三が日
今年の元日は自宅で過ごした。手帳の備忘録部分を新しい手帳に転記する。いろいろなIDやパスワード類がどんどん増えている。普段はパソコンに残していて入力しないで済んでいるパスワードも何かの時に要求されてあわてることになるので、大切な作業である。ようやく母の入所している施設が予約制でワクチン接種証明を提示することで面会可能となったので、2日に面会予約を入れておき、千葉から来た弟と一緒に面会。この日90歳の誕生日を迎えた母が弟と会うのは2年ぶりである。喜んでもらえてよかった。
TVで見る箱根駅伝で頑張る選手たちに触発されて、3日には思い立って、一人で高さ140mの浅間山に登りに行く。初詣の名所・静岡浅間神社からではなく、旧実家のあった井宮町から急な山道を登っていくルートを選んだ。子供の頃はさんざん走って上り下りしたルートだけれども、今ではゆっくり歩いても息が切れて、何度も立ち止まっては休み、呼吸を整える。私の現在の体調ではこんなものでやむを得ない。森田正馬先生が筑波山に登った話を思い起こす。一歩一歩ゆっくりでも前へ前へと歩んで行けばいつしか先へ進んでいるのだ。尾根にまで上がれば視界が開けて、街並が見渡せて、かつて通っていた高校を眼下に見下ろすことができ、富士山も望める。家族連れが行き交う中、途中のベンチに腰掛けては休み休みしながら登っていく。頂上の戦没者慰霊碑に一礼して景色を眺めてから今度はゆっくりと下っていく。途中ですれ違った人に声を掛けられて見ると従姉(母の姉の娘)だった。親類の法事の際によく話をするが、ここ2年はそうした集まりがなくて全く会っていなかった。何でも山歩きの仲間たちと来ているとのこと。私より2歳年上ながら元気いっぱいである。「叔母ちゃん元気?」と言われてスマホの画像を見せる。今度は浅間神社の方に降りていくと大変な人出である。その人波を避けてすぐに神社の脇に出る。初詣はまた別の日にゆっくり来るとしよう。
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