神経質礼賛 1947.森田童子の謎
昨日、帰宅して、当直していた間の新聞を読む。1月19日付毎日新聞夕刊4ページのコラムニスト中森明夫氏の記事に目が吸いつけられた。ニッポンへの発言というコラムで「森田童子の謎」を題材にしていた。彼女は1970年代後半から1980年代前半にかけて活動し、実名不明、カーリーヘアーと黒いサングラスで顔を隠し、TVにも出なかった。1993年に「高校教師」というTVドラマの主題歌として「ぼくたちの失敗」が使われて話題になり、CDが発売されたが、彼女の動静は不明のままだった。2018年に65歳で亡くなっている。記事によれば、彼女は作詞家として有名な、故・なかにし礼の姪であり、そのデビューにはなかにし礼が関わっていたということだ。なかにし礼の兄、つまり彼女の父親は太平洋戦争当時、戦闘機のパイロット。終戦後は破滅的な一生を送ったという。ぼくたちの失敗の「ぼく」は学生運動に敗れた70年代の若者の気持ちを代弁していると考えられているが、筆者は彼女の父親のエピソードも踏まえて、「ぼくたち」とは「日本国家」、さらには世界的パンデミックの昨今の「人類」とも受け取れる、としている。
私が彼女の名前を知ったのは、まだ政治的な主張のタテ看板が雑然と立ち並ぶW大学本部キャンパスの中になぜかコンサート宣伝の看板を見てである。不思議な名前に興味を覚えた。当時の私は受験の敗残者。大学オーケストラもいい楽器を買うお金がなくてすぐやめた。三畳一間のボロボロの倉庫のようなアパートで暮らし(83話)、「だめになったぼく」そのものだった。彼女の歌は聞いたことがないけれども、引力を感じたのだろう。それから十数年後、研修医をしていた頃にCDで初めてその歌を聴いた。少々舌足らずで儚げな歌声、希死念慮を感じさせる危うげな歌詞に惹かれた。「ぼくたちの失敗」や「みんな夢でありました」は今でも時々聴いている。
神経質人間は状況を悲観的にとらえやすい。そして「もう自分はダメだ」と思い込みやすい。しかし、それはそれで悪いことばかりではない。楽観的に考えていたら大失敗を繰り返しやすいのだ。自分はこんなもので仕方がない、と不全感をぶら下げたまま、おずおずと行動していけば良いのである。その行動の積み重ねがいつしか実を結ぶ時が来る。
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