神経質礼賛 1957.冬のオリンピックと初一念
今、北京で冬のオリンピックが行われている。当ブログのごく初期に緊張について書いた記事がある。49話でトリノオリンピックの時の話。この時はフィギュアスケートの荒川静香さんがただ一人メダルを獲得している。それから16年も経っているのだ、と感慨深い。当時と今とでは種目が変化しているけれども、日本選手が獲得するメダルの数はずいぶん増えた。非常に強いプレッシャーの中で緊張しながらも競技に一生懸命取り組む選手たちには敬意を表したい。
冬のオリンピックに合わせて先週の金曜ロードショーではクール・ランニングという映画が放送されていた。ジャマイカから冬のオリンピックのボブスレー出場を目指す若者たちを題材にしたスポーツコメディ。30年ほど前の映画ながら十分に楽しめた。寄せ集めで仲がよくない4人だが、数々のトラブルを乗り越えていくうちにだんだん心が一つになっていく。不正問題で競技界を追われていたコーチも彼らのために必死になって頑張る。ついにはオリンピック出場を果たすのだが・・・。ラスト・シーンは感動的だ。
映画の中では、何とかオリンピックに出場したい一心で取り組んできた彼らも、他の強いチームのやり方に影響されて「あんなふうにやらないと」と真似をしたり、うまくいって良い記録が出て「メダルを狙えるかもしれない」と思ったりした時には崩れてしまう。森田先生が患者さんたちによく話していた「初一念」を思い起こす。1918話に書いたように、書痙と対人恐怖がまだ治っていないと思いながらも森田先生に背中を押されて会社の重役と面談に行った山野井房一郎さんは、体が震えて、とても話はできないだろうと恐れていたら、重役の前に立った瞬間、パッと心が開けてスラスラと話ができた。それについて森田先生は、
自分は何もいえない・とてもだめだと見切りをつけた時に、心の選択がなくなって、事に当たった時に、パッと心が開ける。禅に「初一念」という事がある。その純な心でパッと開けた心境が、その初一念でしょう。そして初一念はただそれきりならばよいけれども、「アアうまく話せた有難い。この次もあんな風にやればよい」という考えが起これば、既にそれが、やりくりの選択になって、再びまたうまく行かないようになる。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.730-731)と説明しておられる。
いつも初一念を通せればよいが、そうはいかない。目や耳からは次々と情報が入ってくるし、頭の中には次々と考えが浮かんでくる。しかし、それらを捨ててあるがままになろうとしてもなれるものではない。なろうとすればするほど遠ざかってしまうのである。仕方なしに手足を動かしていく、それだけでいいのだ。
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