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2022年2月11日 (金)

神経質礼賛 1955.心は八方に働く

 仕事や勉強をしていて次々と雑念が浮かび、うっとうしく感じることがある。そんな時、自分は集中力が乏しくていけない、何とか雑念を追い払って頭の中がクリアーな状態になれば仕事や勉強がはかどるのに、と思う方もおられるだろう。これが昂じると雑念恐怖になる。雑念を追い払おうとすればするほど雑念が浮かんで気になるという悪循環に悩まされるものだ。森田療法では雑念は浮かぶままに手を動かしていくようにと教えている。そもそも、一つのことだけに完全に集中するのは無理であり、むしろいろいろな所に注意が向きながらバランスを取っているということを『生の欲望』の中の「能率増進の秘訣」という項で森田先生は述べておられる。

 又物事をするに、常に心が、其事にばかり集中しなければならぬといふ事も、必ずしも其言葉のまゝではいけない。聖徳太子は、同時に八人の訴を聴かれたとの事であるが、実際に心の盛なる活動は、八方に心を配らなければならない。それでなければ、真の精神緊張といふものは出来ないのである。
 余は電車に乗つて、常に吊革を持たずに立つて、雑誌などを讀んで居る。それで、電車の動揺に倒れないで、乗換場を誤らず、又スリにもかゝらない。之で同時に、四つの事に、常に心が働いて居る譯である。此時に、却てよく讀書の理解が出来るのである。
 その故は、吾人の注意作用には、絶えず緊張と弛緩とのリズムがあつて、同一の事に対して、常に一様の緊張で、注意を集中する事は出来ない。強いて之をすれば、自然に精神が茫乎となるばかりである。多くの事柄に触れて、一定数の変化がある時に、却て精神は緊張するものであるからである。(白揚社:森田正馬全集 第7巻 p.395)

森田先生の色紙の言葉の中でも私が特に好きなのは「四方八方に気を配るとき即ち心静穏なり 自転車の走れる時即ち倒れざるが如し」(217話)という言葉である。周囲に気を配りながら行動していくことが神経質を活かすコツである。

 

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