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2022年3月31日 (木)

神経質礼賛 1970.「酒と肴」企画展

 駅前地下道の壁には地元企業やクリニックの広告が掲示されている。裏側から照明された透過型だから目に付く。広告主が足りないため、空きスペースもある。それを埋めるように県や市の広告もある。電球色のおでん酒場の絵に「しずおかの酒と肴」と書かれているものがあって何だろうと思ってよく見たら、ふじのくに地球環境史ミュージアムの企画展の広告だった。この博物館は廃校になった県立静岡南高校の建物を改装したものだ。以前からどんな所なのか興味があったので行ってみることにした。

 ミュージアムは駅から車で15分ほど。駿河湾を見下ろす丘陵地にある。元が高校だから靴を脱いでスリッパを履くのかと思ったら、靴のままで入館できた。企画展は入場料600円、常設展示だけなら300円、一部の展示とキッズルームと図鑑カフェだけなら無料ということだ。展示のメインは県内に生息する動物の剥製・骨格標本、昆虫の標本、岩石・化石標本である。どの部屋にも解説してくれる人がいる。小学校で生徒たちを連れて来ると勉強になりそうだ。今までこうした分野の展示がある博物館は県内になかったからこれは良い。一方、今回の企画展では「酒や肴の原料に焦点を当て、料理や醸造の背景にある生物多様性を紹介する」と謳っているものの、展示内容は少々薄く、まるで高校の文化祭の展示に思えてしまう。例えば駿河湾だけに生息し最近では急激に漁獲量が減っている桜エビの生態について突っ込んだ解説をするとか、「しずおかおでん」の特色の展示とか、日本酒やビールの製造工程の展示とかがあっても良かったのではないだろうか。県内産の地酒の瓶が展示されているのは酒好きにとってはうれしいけれども。せっかく面白いテーマなのだからもう一工夫欲しい。

 

2022年3月27日 (日)

神経質礼賛 1969.ワーキングメモリ

 仕事中、突然ポケットのPHSが鳴って病棟から連絡が入る。看護師さんが早口で話してくる。「Aさんの〇〇お願いします」「それと、Bさんが△△なので□□して下さい」さらに「それと、Cさんが◇◇なので××お願いします」と来られるともう完全にアウトだ。自分が担当している患者さんだけならまだ何とかなるが担当していない患者さんの名前は覚えきれない。メモリーがパンクである。最初の話の記憶がもう怪しい。間違いがあっては大変なので、ポケットからメモを取り出して、もう一度聞いて確認しながら書いていく。近頃は年齢とともに脳のワーキングメモリ(一時記憶)が衰えてきているから「それと」恐怖症である。情けない話だが、頼むから3つ以上まとめて言わないでくれよ、と内心叫びたくなる。

 以前のWAISⅢという知能検査では全体のIQのほか、言語性IQと動作性IQを測ることができた。現在のWAISⅣではIQのほかにワーキングメモリが測れる。発達障害という診断が増加しているのに対応してのことなのだろう。ワーキングメモリが小さいために勉強や仕事や日常生活がうまくいかないという人もいる。それがわかればいろいろな対応法がありうる。患者さんやその親御さんにそんな話をしながら「自分もそうだよなあ」と秘かに思うこの頃である。

 

2022年3月24日 (木)

神経質礼賛 1968.回転菓子台

 静岡駅前のデパート松坂屋の地下食品売場から惜しまれつつ消えていったものがある。色とりどりのキャンディーやチョコレートやカステラなどの菓子を載せてゆっくりと回る量り売り用の大小2台の回転菓子台である。50年以上動いてきたこれらの回転菓子台は昨日が最終日で、ローカルニュースでは大勢の人々が集まっている様子が報じられていた。思わず大人買いをしてしまったという人もいたようだ。

  子供の頃のデパートの思い出と言えば、屋上遊園地や最上階のレストランやおもちゃ売り場とともにこの回転菓子台を挙げる方も少なくないと思う。我が家は家族連れでデパートに行くことは全くなかった。日曜日、毎週のように父は早朝から釣りに出かけていたからである。ただ、たまに母の買物に付いて行った時に、待っている間、デパート地下の回転菓子台は眺めていた記憶がある。また、何の菓子だったか忘れたが、作られる工程がガラス越しに見られるようになっているのも面白くて見飽きなかった。神経質で親にねだることをしない子供にとっても、それなりに楽しめる場だったように思う。

 漫画やアニメの「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」でもデパートを舞台にした話は時々出てくる。特に「ちびまる子ちゃん」では清水から電車で静岡まで家族でやってくる場面があって、作者のさくらももこさんも松坂屋に実際に家族で来ていたのだろうなと思う。かつては休日ともなれば家族連れで賑わっていた。しかし昨今は、広い駐車場のある郊外型の大型商業施設に客を奪われ、ネット通販の普及や少子化の影響もあって、デパートは大苦戦していて、各地で閉店が相次いでいる。デパートの魅力は何だろうかと考えると、高級感・信頼感の他にシアワセ感やエンターテインメント性もあったのではなかろうか。商品だけでなく夢も売っていたと言えるだろう。そのあたりを打ち出していくことができれば再生の道もあるだろうと思う。

 

2022年3月21日 (月)

神経質礼賛 1967.練習会当日

 今日が練習会の当日。朝は普段通り5時過ぎに起きて朝食を済ませる。珍しく妻も7時頃には起き出してきたので、弾いても迷惑にはならないだろうということで、一通り弾いておく。出掛ける前はあれこれ忘れ物がないか気になる。カバンは持たず、楽器ケースと譜面台だけだから、予備のマスクや筆記用具などは楽器ケースのカバー内にしまい込む。会場は静岡グランシップの練習場。他の練習場はバレエ教室が押さえていると見え、それらしい恰好をした女の子たちが出入りしている。
 ピアノの会の参加者は10人余り。練習場の前の方にグランドピアノが一台置かれ、感染対策のため、スタック椅子を大きく開けて分散配置してある。まるで勝手がわからないので、周りの人たちの様子を観察する。どうやら、前の席の人から手を消毒して順次ピアノ演奏していくようだ。一人10分弱といったところ。ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスなどのクラシック曲ばかりでなく、ポップス系やジャズ系の演奏もある。私と友人の番が回ってくる。会場の天井が高いので、ヴァイオリンの音は上に抜けてしまう感じがしてちょっと違和感がある。それでもベートーヴェンのスプリングソナタ第1楽章は大きな崩れはなく何とか弾ききることができた。全員が一通り弾くと、二巡目が回ってくる。用意していたもう一曲クライスラー作曲「愛の悲しみ」を弾く。ここまではよかったが、友人が「時間があるからもう1曲」と言う。予定にないモンティ作曲「チャ―ルダッシュ」を弾くことになった。この曲は暗譜しているし何度も人前で弾いた経験があるから油断していた。繰り返しを忘れて先へ進んでしまって、曲を止めてしまう大失態を演じてしまったのである。やはり、緊張が足りないと失敗するものである。少し緊張する位がベストである。

 

2022年3月20日 (日)

神経質礼賛 1966.スプリングソナタ

 先々週の日曜日に楽器を持って友人の家に行った。例によって、彼のピアノに合わせて弾く。高校1年の時からの付き合いだから、もうかれこれ50年近くになる。彼は「デュオ結成50周年記念にどこかホールを借りて弾こうよ」などと恐ろしいことを言う。高校で物理や生物の教師をしている彼は近く仕事を退職する。通勤用の車を手放す代わりに新しいピアノを買ったそうだ。言われてようやくピアノがベヒシュタイン製の小ぶりのアップライトに替わっているのに気が付く。「再来週、ピアノの練習会があるから、一緒に出ないかい。ベートーヴェンのスプリングソナタ第1楽章だったら大丈夫だろう?」と。ベートーヴェン作曲ヴァイオリンソナタ第5番ヘ長調は明るい旋律から通称「春」と呼ばれる。それ以前のモーツァルトのヴァイオリンソナタはピアノが主役だったのに対し、ヴァイオリンとピアノが対等に活躍する曲である。彼はアマチュアのピアノ愛好会に参加していて、時々その会の発表会や練習会で弾いている。うっかり「いいよ」と言ってしまってから、心配になる。もう練習している時間はあまりないし、耳の肥えた人たちの前で弾くのは怖いものがある。

 そもそもきちんと練習しておらず、ボーイング(弓の使い方)はその場で適当に弾いていた。あまりデタラメだといけないな、と思って楽譜を見て鉛筆で書きこんでいくが、どうもまとまらない。今どきはユーチューブで演奏ビデオを見ることができるので見てみると、演奏家によってボーイングはいろいろで、ますます迷ってしまう。そして考えながら弾くと間違えやすくなる。これこそ「迷いの内の是非は是非共に非なり」である。もう、これ以上考えるのはやめて成り行きに任せることにしよう。さて、どうなりますことやら。

 

2022年3月17日 (木)

神経質礼賛 1965.男子トイレの臭い対策

 年に一度、院内で各病棟・訪問看護・作業療法のスタッフさんたちによる研究発表会がある。看護部長から出席を依頼されて、講評をお願いします、とのことだった。事例検討、患者さんへのアンケート調査結果、病棟のホワイトボードに記載しているものが電子カルテでできないか、などがあったが、印象に残ったのは男子トイレの臭い対策に関する年配の看護師さんの発表だった。男子トイレの臭いがひどいため、それをなくすための工夫である。男子トイレの小便器の周囲には尿が飛散して汚れやすく臭いやすい。当初は吸水シートを貼って交換していったが効果は不十分だった。どれだけわかってもらえるかと思いながらも、足形を描いてみたところ、汚れや臭いは改善されたという。よく公衆トイレに「一歩前へ」と書かれている例はあるが、患者さんにはわかりにくいことも考えられる。足形を描く方がわかりやすいだろう。こうした日常生活の不便を観察して、ちょっとした工夫によって解決するのはとても価値のあることだと思う。森田的実践だと言ってよいだろう。

 どこの家庭でも奥様方に評判が悪いのが夫や男の子たちの小用である。洋式トイレで立ってすると便器やその周囲が汚れやすい。私も妻から言われて今では座ってしている。座って小用をするようになった当初は正直言って抵抗があったが、慣れてしまえば何でもないものだ。

 

2022年3月13日 (日)

神経質礼賛 1964.春野菜

 だんだん日が長くなってきた。朝5時半に新聞を取り込む時にはもう空が明るくなり始めている。今は南東の空に明けの明星(金星)が輝いている。仕事を終えて帰宅する時にまだ明るいのもうれしい。だんだん温かい日が増え、当地では最高気温が20℃を超える日が出てきた。よくしたもので、冬の間はいくら薬を塗っても治らなかった手指のしもやけやひび割れが自然によくなってきて、ありがたい。その代わりにスギ花粉の飛散は連日「非常に多い」となり、花粉症は全開状態。クシャミ・鼻水・目の痒みに悩まされている。ヒノキ花粉が収まるまで2カ月は我慢の日々が続く。

 春野菜もいろいろ出てくる。春キャベツ、新玉ねぎ、そらまめ、サヤエンドウ、たけのこ、アスパラガス、なばな、ふき、それに種々の山菜たち。以前は近くの蕎麦屋でタラの芽や行者ニンニクなどの山菜天ぷらが楽しめたが、残念なことに閉店してしまったため、御無沙汰になってしまっている。ふきの煮物にかつおぶしがかかったものは春の定番料理である。前の勤務先の病院食にはよく出ていたものだ。今の所ではあまり出てこない。私はどちらかと言えば苦手な方ではある。それでも、春のエネルギーをもらいに、この季節、たまには食べたくなる。春の野菜の中にはふきのように独特のほろ苦さや青臭さがあるものもある。そこがいいところなのだろう。平和のありがたみを噛みしめて、彩豊かな春野菜から元気をいただくとしよう。

 

2022年3月10日 (木)

神経質礼賛 1963.自分は正直であるという人を信用してはならない

 毎日、ウクライナ情勢のニュースを見ているとやりきれない気持ちで一杯になる。無抵抗で何の罪もない一般市民が戦火に追われ、毎日ロシア軍のミサイル攻撃や爆撃で子供を含む多数の市民が死傷している現実がある。クラスター爆弾が使われているとか、原子力施設を爆撃しているという報道もある。一方、中国では平和の祭典であるオリンピック・パラリンピックが同時に行われているのは奇妙である。ロシアのプーチン大統領は演習のためと称して国境付近に大軍を配備していたが、結局はウクライナ国内に攻め込んで一方的に侵略戦争を始めた。ヒトラーのやり口そっくりである。国内世論は締め付けるとともに、すべて悪いのはアメリカをはじめとするNATOだと責任転嫁している。プーチンに限らず、独裁政権・軍事政権は必ず同じようなことをしでかすのは歴史が証明している。

 ロシア人がどうこう、中国人がどうこう、という国民性の問題ではない。第二次世界大戦前の日本も同じようなものだったのだから。いつか来た道に戻らないように、政治家には目を光らせておかなくてはならない。森田先生が次のように言われる人を絶対に為政者にしてはいけない。「どうせ誰がなっても同じ」と放置していると悲劇が繰り返されることになる。

 自分は善であるという人は決して善人ではない。エピクターテスも親鸞も、みな「自分は悪人である」と信じてこそ初めて善人であるのである。商人でも職人でも、「自分は正直である。決して不正をした事はない」とか無遠慮に言い張るものは、決してこれを信用してはならない。この様な人間は、例えばある場合に上前をはねたとか、約束を違ったとかいう時にも、必ず「それは、この社会の一般の習慣である」とか、「一般の人は、もっともっとお話しにならぬ不正がある」とかいう風に、自分勝手に、都合のよいように決めているから、常人から考えて少しもあてにならないのであります。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.557)

 

2022年3月 6日 (日)

神経質礼賛 1962.卒業祝メッセージボード

 TVのローカルニュースを見ていたら、JR静岡駅に卒業祝のメッセージボードが設置されたとのことだった。この企画を考えたのは、駅員さんたちで、20歳の女性が中心になっていたとのことだ。彼女がちょうど高校卒業の2年前にはコロナ感染が始まって、いろいろな行事が中止となって残念な思いをしたから、今回卒業していく学生さんたちにエールを送ろうということで思いついたそうである。朝、出勤の際に実物を見てみる。業務用のホワイトボードの改札側の面には中心に「卒業おめでとう」と書かれた寄せ書きを広げて見ている高校生の絵が描かれ、反対の面には線路の両側に桜が咲いている情景が描かれている。桜の花びらには一つ一つメッセージが書き込まれていて、実際に応援メッセージを書き込める花びらが置かれている。そのうちメッセージの花びらで一杯になるだろう。なかなか粋な企画である。あまりお金をかけずに自分たちの創意工夫で駅の利用者さんたちに喜んでもらおうというのはすばらしい。

 絵の中の高校生が左手に握っている切符には「卒業→夢 有効期限なし 途中下車可能」と書かれている。その通りである。人生にはいろいろ困難があって、途中下車をしなければならないこともあろうし、時には逆戻りして別の路線を進む必要が出てくることもあるかもしれない。時間はかかってもいいから、夢に向かって進んでいってほしい。線路は続くよどこまでも。

 期限なしの切符ということでは森田療法も同じだ。いつでもどこでも生活のあらゆる場で使える夢の切符である。使わないでいてはもったいない。

 

2022年3月 3日 (木)

神経質礼賛 1961.朝寝坊をなおすには

 睡眠の悩みと言えば、不眠症。なかなか寝付けない入眠困難、中途覚醒、早朝覚醒がある。神経質の人に多いのが入眠困難であり、中には自分は一睡もしていないと主張する人もいる。しかし、客観的にはどこかで眠っているものである。眠れないと明日に響く、何とか眠らなくてはいけない、と思い込んでいるから不眠に悩むのである。
 一方で朝起きられなくて困る、という人もいる。森田先生のところに「幼少時より人一倍の朝寝坊で困っている」という38歳男性の実業家から相談の手紙が届いた。それに対して森田先生は次のように回答しておられる。

 朝寝の事でも、単に朝寝其事が、良いも悪いもありません。人生の目的希望なく、何の用事も仕事もない人ならば、幾ら朝寝をしたとて差支へのない事です。只吾々には、したい仕事が思ふやうに出来ないから、朝寝が都合の悪い事になるのであります。即ち吾々は、翌朝はあれをしよう・これもしなければならぬ、と其仕事其事のみを、先へ先へと念がけ、あせり急いで居れば不知不識の間に、醒むれば必ず床を蹴つて起るやうになるものであります。
 之に反して、所謂理想主義で、実際の事実を離れ、机上論的に抽象的に、朝寝は悪徳であるとか、金持になれないとか考へて、自分を其理論に当てはめようとするから、余の所謂「思想の矛盾」となり、ウトウトと眠る心地よい氣分に、心が奪はれるやうになるのであります。更に其上に実行力なく・意志の弱い事を、抽象的に省み悲観して、益々卑屈となり、愈々元氣の発動を抑圧するやうな結果になるのであります。
 尚ほ臥褥時間に就ては、七時間以上も寝過せば、俗に「寝くたぶれる」といふやうに、身体疲労感の惰性によつて、益々起きられなくなります。猶ほ臥褥時間は、都合によりては、之より少なくとも宜しく、其代りに、昼間三十分・乃至一時間以内、横臥休息してもよく、睡眠時間などは、何時も顧慮する必要はありません。(白揚社:森田正馬全集 第7巻 p.399)

  この手紙から1か月後には朝寝の習慣がから脱することができたという感謝の手紙がきたとのことである。早寝早起きをしなくてはいけない、は「かくあるべし」である。この人のようにそう思い込んで、自分はダメだと悩む人もおられるかもしれない。学校や仕事や家事に支障がなければそれでよい。必要があれば起きるのだし、どこかで寝ているのだから、眠りにあまりこだわる必要はないのだ。

 

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