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2022年3月10日 (木)

神経質礼賛 1963.自分は正直であるという人を信用してはならない

 毎日、ウクライナ情勢のニュースを見ているとやりきれない気持ちで一杯になる。無抵抗で何の罪もない一般市民が戦火に追われ、毎日ロシア軍のミサイル攻撃や爆撃で子供を含む多数の市民が死傷している現実がある。クラスター爆弾が使われているとか、原子力施設を爆撃しているという報道もある。一方、中国では平和の祭典であるオリンピック・パラリンピックが同時に行われているのは奇妙である。ロシアのプーチン大統領は演習のためと称して国境付近に大軍を配備していたが、結局はウクライナ国内に攻め込んで一方的に侵略戦争を始めた。ヒトラーのやり口そっくりである。国内世論は締め付けるとともに、すべて悪いのはアメリカをはじめとするNATOだと責任転嫁している。プーチンに限らず、独裁政権・軍事政権は必ず同じようなことをしでかすのは歴史が証明している。

 ロシア人がどうこう、中国人がどうこう、という国民性の問題ではない。第二次世界大戦前の日本も同じようなものだったのだから。いつか来た道に戻らないように、政治家には目を光らせておかなくてはならない。森田先生が次のように言われる人を絶対に為政者にしてはいけない。「どうせ誰がなっても同じ」と放置していると悲劇が繰り返されることになる。

 自分は善であるという人は決して善人ではない。エピクターテスも親鸞も、みな「自分は悪人である」と信じてこそ初めて善人であるのである。商人でも職人でも、「自分は正直である。決して不正をした事はない」とか無遠慮に言い張るものは、決してこれを信用してはならない。この様な人間は、例えばある場合に上前をはねたとか、約束を違ったとかいう時にも、必ず「それは、この社会の一般の習慣である」とか、「一般の人は、もっともっとお話しにならぬ不正がある」とかいう風に、自分勝手に、都合のよいように決めているから、常人から考えて少しもあてにならないのであります。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.557)

 

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