神経質礼賛 1980.症状は言わない
精神科の外来では初診の時には生活歴や病歴について細かく尋ねるので30分から1時間を要するが、それ以降の再診ではそんなに時間をかけられない。1時間に10人位のペースで診察しなくてはいけないので、一人当たり平均6分になる。病状が悪化している人の診察や、本人の同意のもと職場の上司がついてきて復職について話をするような状況だと20分前後かかってしまい、その後が大渋滞となる。もっと話をしたい・話を聞いて欲しいという患者さんが臨床心理士によるカウンセリングを希望することがある。現状では保険診療で追加料金をいただくわけにいかないので、全くのサービスである。臨床心理士さんのマンパワーは限られているので、あまりカウンセリングに向かない方はお断りしている。自己洞察困難でただただ不満を吐き出してスッキリしたい、というような方ではカウンセリングの効果は期待できないばかりか、過去のできごとを反芻してかえってとらわれを深めてしまうこともあるからだ。
神経症、特に強迫の人の場合、症状を事細かく言いたがる傾向がある。後から後から「それから・・・」と話を続ける。細かい字でびっしりと症状について書いた紙を何枚もまとめて渡して「読んでください」という人もある。実は、それをやっているから症状の呪縛から抜け出せないのだ。森田先生は次のように言っておられる。
私のところの治療法では、入院中に、神経質の患者に、自分の症状の事を、一切、口外させない様にする。患者は、初めの間は、当分、とやかくと、容体を訴え、治ったとか治らないとか、いろいろといいます。理解の悪い人は、いくらいわないようにといっても、なかなかやめない。面白い事には、時々、心悸亢進とか足がしびれるとかいう患者に、一週間または十日間、決してその事をいわないという事を約束させて、わずかその間の短い日数以内に、いつの間に忘れたのか、本人の知らないうちに、治ってしまい、本人はもとより、治療者の私までも、その不思議に驚く事があります。
それは実は、そのままになりきる事・禅でいわすれば「心頭滅却」であって、苦しいまま・恐ろしいまま、雑念・煩悶・強迫観念のままにただ無言でいるだけの事です。治ったとか治らぬとか、問題ではないのであります。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.507)
森田療法では「症状は不問」として症状よりも日常生活に目を向けさせ健康人らしく行動していくよう説いている。行動本位の姿勢が身に付けば、日常生活が充実するとともに、いつしか症状の呪縛から解放されているのである。
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