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2022年4月14日 (木)

神経質礼賛 1976.行く道

 脳梗塞から血管性認知症をきたして入院してきた元中学校教員。易怒・易刺激性が激しく、入所した施設ではスタッフに暴言を吐きまくって即退所となり、行き場がなくて入院してきたのだった。いわゆる「まだら痴呆」であって、言葉を駆使する能力はかなり残っておられるので、上から目線でスタッフへの激しい暴言が出る。職員の中には元教え子も数人いる。教員時代には運動部の顧問をしていて、「プロ野球の〇〇(かなり前に引退している)は私の教え子だ」が自慢のタネである。ホールの大画面テレビのチャンネルを勝手に好きなものに変えて他患とトラブルを起こす。私に対しても「どこも悪くないんだから早く退院させろ!ちゃんと診察しろよ!」といった調子である。それでも拒薬はしないので、精神科薬を調整して、認知症周辺症状はかなり改善した。スタッフたちも対応に慣れてきて、怒りをぶつけられても上手にかわせるようになったこともある。今週の誕生日会では苺ショートケーキをニコニコしながら召し上がっていた。ケースワーカーさんが息子さんに働きかけて前の施設と交渉して、ようやく再入所が決まった。

 長生きしていれば、誰でも身体機能の衰えとともに認知機能が低下してくることは避けられない。決して他人事ではないのだ。以前書いたように「子供叱るな来た道だ 年寄り笑うな行く道だ」である。自分も「行く道」を歩んでいる。年齢と共に怒りの爆発はだんだん少なくなってきたけれども、元来怒りの沸点が低いことは自認しているから、「困った爺さん」になる可能性がある。感情の法則を利用した怒りのコントロール(247、442、766話)をしっかり体にしみこませていこうと思う。

 

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コメント

四分休符先生

 認知症とは社会的に周知されている語彙とは知っていても親戚中見渡しても私には無縁で、それが脳梗塞も有り、とは少し驚いている所です。認知症に無縁とはよそ様とも話が通じない事もあり、で「共感」が難しい。

 いわゆる短気。我が父系はシャレにならない程の短気で文字通り「血を見る」短気。我々二人姉妹は父系が優性らしく、共に呑気の果てのような母には似ませんでした。父のように殴って血を見る事はさすが「女の子」、ありませんでした。この先は解りませんが。 ただ、私がちょいと言葉を投げかけただけで「あなたとは金輪際仕事をしない」と同僚に言われた時には私の方が泣きたい思いをしたものです。

 以降、短気では社会で生きられない、と決し、事なきを得て還暦リタイアしました。しかし、短気とは根源的性格らしく、不用意にイカッています。呑気の果てのバァさん=母=92歳に向かって。たしなめられると更に沸点に達する。

 坊様の話。私には縁が遠いです。父が墓場まで持って行ったように私も同様と思われます。性格です。墓に入って悟るしかない、でしょう。その点、ダンナはイカらない。なんで?まるで宇宙人。ゆえに、貴方は悟っているそして哲学者である、と言う私。その時ばかりは言うな、とやや憤慨するダンナ。不思議です。

 さて思ったのは、「頑固=思い込み」です。人生100年時代にあって人体実験をしている感が否めないのですが...呑気の果ての母とて短気の対局にある呑気と思っていましたら、年を重ねて思い込みが強くなっているように見えます。
 短気も呑気も思い込みの強い頑固になっていくのはどうも同じように思われます。近年メディアに伝えられる、そして事実起こる高齢者ドライバーの事故。なにも事故を起こすのは高齢者だけではない、思い込みの強さが原因ではないかしらん、と考える事があります。
 
 確かに、短気は損気と言われるように短気にいい事なし。短気を克服するには社会で揉まれる事、と私は自負していますが、どうもこればかりは根源的展開にはいかないように感じています。

 坊様のようになれますか、それとも短気も呑気も頑固という道を「行き」ますやら。
 付け加えます、我がダンナ、頑固ではありません。やはり悟っているのでしょうか...ユニークな人に出遭いました。フルに神経質で神経症に非ず。短気でも呑気でも頑固でも無し。坊様級。
 鈴木知準先生に言われた、神経症人間はヘタな坊主より悟れる、と。
 も~、ホントですか、鈴木知準先生!

yukimiya 様

 コメントいただきありがとうございます。

 鈴木知準先生より前に、森田正馬先生はたびたび釈迦、親鸞、白隠を優れた神経質者として説明しておられました。でも、宗教家でなければ、悟るとか悟れないとかにこだわらなくてもよいのではないでしょうか。日常生活が何とか回っていれば、それで十分なのではないでしょうか。(と、悟れない凡人の小生は開き直っています)

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