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2022年4月 4日 (月)

神経質礼賛 1972.森田先生の楽しみ

 森田先生は幼い頃から好奇心・探求心が強く、様々な趣味があった。奇術や占いに凝って、三味線も習った。勝負事が大好きで、巣鴨病院では同僚を誘って毎晩のようにトランプをしていたという。藤村トヨ女史の依頼に応じて東京女子体操音楽学校(現・東京女子体育大学)の講師を無給で引き受けていた(817話)時期は、講義を終えてから生徒たちとテニスやダンスを楽しんでいた。月1回の形外会では神経質についての座談会だけでなく、落語を聞いたり、ゲームや隠し芸を楽しんだり、全員で東京音頭を踊ることもあったし、ピクニックに出かけることもあった。最晩年は病気のため臥床がちになっても、前話の佐藤政治先生とよく将棋を指していた。いろいろと楽しみごとはあったけれども、「私の楽しみ」として次のように書いておられる。ものそのものになれば仕事も楽しみも混然一体となってしまうのである。

 私の楽しみの一つは、神経質の患者に対して、屁理屈を闘はせる事である。一二の例を挙げてみると、
一、「人が自分を除け者にする。自分が人から、変に思はれはせぬか・と氣になる」といふ対人恐怖の強迫観念患者がある。余はいふ。「斯様な人の心持に、色々あるが、便宜の為め、三種に分ける。第一種の人は、人からへんに思はれると、単にそれを気にして、直ちに忘れる人。これが普通の人。第二は、何か自分に、変な所があるのではなからうかを、自分を反省して、之を矯正する工夫を凝らす人。之が上等。第三、変だと思はれるのは苦しいから、さう思はないやうに氣を紛らせたり・大胆になり・達観しようとする人。之が下等の人である。君は、どの種類に属するか。」患者の曰く、「第三種」と。余曰く、「それは不可能を可能にせんと・もがき苦しむ人で、そこに強迫観念が発生する。自分の素質を肯定して、よく反省し・境遇に服従して、第二の心掛けになれば絶えず向上して、苦悩はなくなるのである」と。
二、「雑念が起り・ボンヤリする事多く・頭が悪くて・忍耐力がない」といつて、悲観する会社員の患者。既往歴・及び生活状況を聞きたゞして見ると、学校卒業は優等・会社は殆んど欠勤せず、人並以上の事務をとつてゐる。余はいふ。頭が悪くて・優等ならば、カンニングをやつたか。雑念があり・頭が悪くて、また其上に、人並以上の成績が挙がれば、二三人力以上である。頭が良過ぎるから雑念も起り、力があり余るから、ボンヤリする時もあるのである。此位の處で、ガマンした方がよい。
 又或る患者は、「信仰しようとしても、信じられない。ラヂオ体操は、やつた方がよいか」など問ふ。余はいふ。信じられるものだけを信じた方がよい。ラヂオ体操も嫌いならば、庭掃除や風呂焚きをした方が、それより有効である。
 次に之も、私の楽しみの一つ。私の雑誌『神経質』の原稿を書くのも楽しみである。経済は欠損であるけれども、其内容は、後世に残る・といふ誇大的野心をも持つて居る。(白揚社:森田正馬全集 第7巻 p.428-429)

 実際、『神経質』の原稿は数々の著書と共にずっと読み継がれていくのである。

 

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