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2022年4月28日 (木)

神経質礼賛 1980.症状は言わない

 精神科の外来では初診の時には生活歴や病歴について細かく尋ねるので30分から1時間を要するが、それ以降の再診ではそんなに時間をかけられない。1時間に10人位のペースで診察しなくてはいけないので、一人当たり平均6分になる。病状が悪化している人の診察や、本人の同意のもと職場の上司がついてきて復職について話をするような状況だと20分前後かかってしまい、その後が大渋滞となる。もっと話をしたい・話を聞いて欲しいという患者さんが臨床心理士によるカウンセリングを希望することがある。現状では保険診療で追加料金をいただくわけにいかないので、全くのサービスである。臨床心理士さんのマンパワーは限られているので、あまりカウンセリングに向かない方はお断りしている。自己洞察困難でただただ不満を吐き出してスッキリしたい、というような方ではカウンセリングの効果は期待できないばかりか、過去のできごとを反芻してかえってとらわれを深めてしまうこともあるからだ。

 神経症、特に強迫の人の場合、症状を事細かく言いたがる傾向がある。後から後から「それから・・・」と話を続ける。細かい字でびっしりと症状について書いた紙を何枚もまとめて渡して「読んでください」という人もある。実は、それをやっているから症状の呪縛から抜け出せないのだ。森田先生は次のように言っておられる。

 私のところの治療法では、入院中に、神経質の患者に、自分の症状の事を、一切、口外させない様にする。患者は、初めの間は、当分、とやかくと、容体を訴え、治ったとか治らないとか、いろいろといいます。理解の悪い人は、いくらいわないようにといっても、なかなかやめない。面白い事には、時々、心悸亢進とか足がしびれるとかいう患者に、一週間または十日間、決してその事をいわないという事を約束させて、わずかその間の短い日数以内に、いつの間に忘れたのか、本人の知らないうちに、治ってしまい、本人はもとより、治療者の私までも、その不思議に驚く事があります。
 それは実は、そのままになりきる事・禅でいわすれば「心頭滅却」であって、苦しいまま・恐ろしいまま、雑念・煩悶・強迫観念のままにただ無言でいるだけの事です。治ったとか治らぬとか、問題ではないのであります。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.507)

  森田療法では「症状は不問」として症状よりも日常生活に目を向けさせ健康人らしく行動していくよう説いている。行動本位の姿勢が身に付けば、日常生活が充実するとともに、いつしか症状の呪縛から解放されているのである。

 

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コメント

その通り

ありがとうございます。

四分休符先生

 確かに鈴木診療所に於ける指導は鈴木康夫様言われる通り「その通り」でした。兎に角、症状は言わない。 けれどそれは思いのほか容易いものではありませんでした。言おうと言うまいと、今になって40余年経って思います。

 劇的展開を得る症例もあるのでしょう。鈴木知準先生著書には書かれています。されど少なくとも私の場合は違ったように思います。
 医師を変えました。変えざるを得なかったのです。その医師は無理なく症状を訊かれ、私は助言の聞き、その積み重ねで「軽快」に至りました。

 そして今、なんとなく解るのです、「症状を言わない」という意味が。
 必要があれば行動するのみ。それが今では普通になっています。症状一つ一つではなく、「今をやればよい」

 私には森田療法は合わなかったのかもしれません。経過はどうあれ、結論として言えるのは、症状云々ではなく「今を生きる」つまり、症状を言わない、という事が初めて言える私です。

 症状にとらわれて述べ続けるのもどうかと思いますが、時には言ってもいい。けれど、今やることはやる。行動する。そういう事なのではないかと思うのです。
 寛解=軽快。ダメな時はダメ。それでも致し方無い。
 パニック障害はひょんな時出てくるのです。テキトーに逃げます。とても「恐怖突入」は出来ません...やっかいな事です。

yukimiya 様

 森田療法では、気分本位を避けて行動本位にするように指導するのは、神経質者が気分に偏り行動がおろそかになりやすいからであって、本来は気分と行動のバランスが取れているのが望ましいのだと思います。「症状は言わない」も症状を言い過ぎてとらわれを深めてしまう神経質者が多いからであろうと思います。ある意味、方便です。森田先生は「人を見て法を説け」とよく言っておられました。
 「時には症状を言っても良い、けれど、今やることはやる」それで良いのです。症状からテキトーに逃げる、恐怖突入できなくてもそれで何とかなっているのですから十分です。

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