神経質礼賛 2000.自由に思わせておく
石丸悟平(1886-1969)という作家、宗教思想家がいた。大阪府生まれ。早大国史学科卒。教員として勤めた後、大阪弁を取り入れた長編小説『船場のぼんち』で文壇デビュー。『人間親鸞』を朝日新聞に連載。雑誌『人生創造』を刊行。大正から昭和(戦前)にかけて大変人気があり、当時の師範学校生たちにとって必読の書となっていたそうである。また、茨木中学の後輩の川端康成に影響を与えたと言われている。花園大学客員教授もつとめた。大阪府豊中市には記念碑があり、彼の胸像の台座には「人生に結論なし ただ創造の一途あるのみ 意味は発見し得る者にのみ輝く」という言葉が刻まれている。
森田先生の形外会でも参加者の某氏が石丸氏の著書について質問する場面がある。「石丸氏の『生きて行く道』という本の内に、神経質の治療例が出ています。石丸氏の言葉は、すべて「思想の矛盾」かと思われるが、いかがでしょう」。石丸氏は「思考力のなくなったのを治してほしい」と訴える人に対して「脳神経衰弱なり。治るものである。観念を持つことだ。君のように立身出世ばかり心配するものはない。(中略)一切を捨てること。命だけ残すこと。世間の事は何も考えぬこと。日光浴でもすることだ」などと答えている。森田先生は同氏の「人生創造」という雑誌の記述について批判して次のように述べておられる。
ここの修養法では、苦楽とか・善悪・正邪とかいう標準を、一切立てる事をしない。頭痛や不眠でも、そのままじっと持ちこたえるだけで、苦しいとか困るとか、口外する事を禁じる。まもなくこれが解消された時にも、さらにこれを喜んだり安心したりする事を決していわせない。喜べば必ずその反動で再発します。赤面恐怖でも、気になるとか苦しいとかいう事をいわせないと同様に、これがよくなって、「外を歩いても平気になった」「人前で楽になった」とか喜んではいけないのです。
それらの事は、みな起こるべきに起こり、かくあるべきにあるところの事実であるというまでの事で、腹がへれば苦しく、満腹すれば落着くというように当然の事である。これを日常百般の事に一つ一つ苦楽善悪で評価していっては、とうてい、仕事も間に合う事ではない。能率のあがるはずがない。
かくの如く、ここでは石丸さんのいう様に「どう思え」とか、「思うな」とかそんな事は決して教えない。自由に思うままに思わせておく。それで苦楽好悪とか、思う思わぬとかいう事を超越し・無視し・放任する事ができるようになった時に、初めてすべての神経質の症状が解消するのであります。 (白揚社:森田正馬全集第5巻 p.578-579)
こう思え、ああ思え、ということ自体が強迫観念を作り出してしまうのである。理屈ではなく実際の行動を重視していくのが森田のやり方であり、名前が残っていないが参加者・某氏の発言は実に的確だったと言えるだろう。
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