神経質礼賛 1991.病院でお看取りの時代
精神科の病院では統合失調症や双極性障害など一般の精神病の入院患者さんが減少し、認知症の患者さんが増加する傾向にある。精神病の治療薬が進化するとともに軽症のうちから早期治療が行われるようになったためだと考えられる。また、精神科病院での長期入院者の保険点数を下げて退院させるようになったこともある。現在、私が勤務している病院も事情は同じであり、80代や90代の方の入院が増えている。さらに積極的にそうした患者さんを受け入れて看取り・緩和ケアを行っていこうという流れになっている。高齢者には誤嚥性肺炎がつきものであるが、日本呼吸器学会が成人肺炎診療ガイドライン2017の中で、「老衰と肺炎は別の物ではなく終末期に抗生剤治療をすることは、予後の改善とともに不快や苦痛をもたらす両刃の剣である」「肺炎の治療は次の苦しみを予約するようなもの」とまで踏み込んで、抗生剤を使用しない選択もありうる、としている。今まで当たり前だった点滴や酸素吸入にしても苦痛を増やすだけ、という考え方もある。さて、自分が当事者だったらどうだろうか。若い頃から、治る見込みがなければ、余分な治療はしないで欲しいと思っていた。今でも基本的には同じ考えだが、いざその場になったら考えが揺らぐかもしれない。
『生の欲望』が強い神経質は概して長生きである。森田療法関係者をみれば高良武久先生、鈴木智準先生のように御長命でしかも最晩年まで活躍された方が少なくない。もし、森田正馬先生にしても肺結核でなければ長寿を全うされたことだろう。森田先生の生きることへの執着は大変なものだった。死期が近づくと、死の恐怖にさいなまれ、夜には「死にたくない、死にたくない」と言って泣き、少し気分が良くなると人々を枕元に集めて快気祝いだと言って御祝儀を配り「御全快おめでとうございます」と言わせた。苦しい息の下から「僕は必死ぢゃ、一生懸命ぢゃ、駄目と見て治療してくれるな」「如何に生に執着してもがくか、僕の臨終を見て貰いたい」と弟子の長谷川虎男に語った記録もある。最期まで生の欲望を燃焼させて生き尽くされたのだ。名僧の一休さんや仙厓さんにしても亡くなる直前に死にたくないと語ったという。そこまで気概のない凡夫としては死の恐怖に怯えながら、細々と今できることをやって生きていこうと思う。
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